第60話 獣人の里に行くことになりました

 大賢者は伝書鳩を使って、獣人の里に手紙を送ったという。

 内容はもちろん、神獣ハクについてだ。


 メーゼル川を流れてきた卵をギルドレア冒険者学園の生徒が拾って来た。

 それが孵化してハクの赤ん坊が産まれた。

 ハクは現在、ローラという生徒を母親と認識し、とても懐いている。

 ハクをどうすべきか話し合いの場を設けたい――。


 というような手紙を昨日出したら、早速ミサキがやってきたということらしい。


「ハク様は獣人の守護神であります。私はハク様を連れて帰るよう、長老に言いつけられたであります。ハク様があなたのそばを離れないというのであれば、一緒に連れて行くであります!」


 ミサキは真剣な顔で言う。

 そしてローラの右腕を引っ張り、部屋から連れ出そうとする。


「そんな、急に言われても困りますよぅ」


「そうですわ! ローラさんはわたくしのルームメイト。連れて行くというのであれば、まずはわたくしの許可を得てからになさい!」


「それに宿題がまだ全然終わっていない。獣人の里なんかに行ったら、とても間に合わない」


 シャーロットとアンナが、ローラの左腕を引っ張る。

 完全に綱引きだ。それも半端な力ではない。

 ローラじゃなかったら真っ二つに千切れていただろう。

 そんな状況なのに、当のハクはローラの頭の上でお昼寝をしている。

 ローラが近くにいれば、あとはどうでもいいと思っているのだろうか。


「はいはい。ケンカはやめなさい」


 大賢者はそう言って、指をパチンと鳴らした。

 その瞬間、ローラの全身に虚脱感が走る。

 そしてミサキとシャーロットとアンナが、へなへなと床に座り込んでしまった。


「ち、力が入りませんわぁ」


「今ならカブトムシにも負けそう」


「大賢者殿の仕業でありますか……?」


 手も触れず、傷も負わせず、一瞬で三人を無力してしまった。

 これはどんな魔法なのだろうか。

 大抵の魔法は見ただけでトレースしてしまうローラだが、大賢者の魔法だけは高度すぎて理解が及ばない。

 特殊魔法の類いだろうということしか分からなかった。


「ローラちゃんにも魔法をかけたんだけど、平気なの?」


「一応、もの凄く疲れた感じですけど」


「へえ、それだけなんだ。本当にローラちゃんは凄いのね」


 大賢者はローラを見つめてニヤリと笑う。

 なぜかローラは、猛禽類に狙われた小鳥になった錯覚を感じ、冷や汗をかいた。

 もしかして大賢者も、自分と戦いたがっているのでは――。

 ローラはそんな想像をしたが、しかし今戦ったら確実に大賢者が勝つだろう。

 大賢者は、そんな勝敗の分かりきった戦いに興味を持つような人だったか?

 あるいは……ローラが強くなるのを待っているのかもしれない。

 普段は飄々としているくせに、何て恐ろしい人だろうとローラは戦慄する。

 とはいえ、全ては想像だ。

 実際のところは分からない。


「ま、とりあえず今は、ミサキの言っていることに従うべきだと私は思うわ。ハクが獣人の里から流れてきたのはハッキリしているんだし。ハクがローラちゃんから離れないなら、ローラちゃんごと行ってもらうしかないわね」


「流石は大賢者殿。話が分かるであります!」


 魔法が解けたらしく、ミサキの表情に辛そうな様子はない。

 それどころか嬉しそうに笑い、耳と尻尾をピコピコ動かした。

 ローラの内に、それをモフモフしたいという衝動が湧き上がってくる。

 しかし、今はそれどころではない。


「いやいや、学長先生。獣人の里に行ったら、帰ってこられないじゃないですか。だってハクはずっと獣人の里にいなきゃいけないんでしょう?」


 ローラの抗議に対して、ミサキが澄まし顔で答える。


「無論であります。ハク様は獣人が育てるであります」


「でもハクは私から離れないんですよ。すると私もずっと獣人の里にいることになるじゃないですか!」


「客人として丁重に扱うであります。大丈夫であります」


「大丈夫じゃないです! 私はここの生徒なんです!」


 今は夏休みだからいいが、授業が始まったら獣人の里でのんびりしていられない。

 ハクを学園で育てるか、ハクに親離れしてもらうか。

 早く問題を解決しないと、大変なことになってしまう。


「ローラさんはわたくしたちと一緒に卒業するのですわ。獣人の里にずっといるなんて許しませんわ!」


「ローラがいなくなったら、剣の修行相手がいなくなる。ダメ絶対。獣人の里まで私たちが付いていく。そして必ず学園に連れ帰る」


「シャーロットさん……アンナさん……」


 ローラは二人の友情に感動した。胸がジーンとする。

 やはりギルドレア冒険者学園は最高の場所だ。

 ここの生徒になれて良かった。

 これで宿題がなければ、もっと最高なのに。


「あなたたちだけで行かせるわけにはいかないから、保護者として私も同行するわ。長老たちと交渉しないといけないしね」


「おおっ! 学長先生が一緒なら心強いです!」


「ふふ、そう言ってくれると嬉しいわ」


 大賢者は褒められて嬉しそうだ。

 ならばどさくさに紛れて宿題のことを頼んでみよう。


「そんな強くて優しい学長先生にお願いです。今から獣人の里に行ったら夏休みの宿題が間に合わないので……提出を待ってくれるよう、エミリア先生にお願いしてくれませんか」


「あら。あくどいことを思いつくのね。いいけど、どのくらい?」


「うーん……一ヶ月待ってください!」


「いくらなんでも一ヶ月はダメでしょ。エミリアの頭からツノが生えてくるわよ」


「うぅ……では二週間!」


「そんなに宿題、終わりそうにないの?」


 大賢者はベッドの上に散乱していたローラたちのノートを手に取り、パラパラめくる。

 そして「あらー」と呟いた。


「あなたたち。夏休みの間、ずっと遊んでいたのね?」


「い、いえ……遊んでいたのではなく……お父さんを説得するのに忙しくてですね!」


「そうですわ。ローラさんのお父さんを説得するため、あの手この手で!」


「連日連夜の話し合いで、宿題どころではなかった」


 ローラたち三人は目を泳がせ、必死に誤魔化す。

 しかし大賢者の目は、全てを見通すかのように光っていた。


「まあ、いいわ。宿題の期限は私が何とかしておくけど……次からはちゃんとやるのよ?」


「「「はーい」」」


 二週間あれば、流石に終わるだろう。

 これでハク問題に専念できる。

 ローラにとっては宿題が一番の難問だったので、それが片付いて気が楽になった。

 実際は片付いたのではなく先延ばしにしただけなのだが、ローラの中では終わったも同然だった。


「そんなことより、早く出発するであります!」


 ミサキはぷんすか怒りながら、耳と尻尾をピコピコさせている。

 やはりモフモフしたくて仕方がないローラであった。

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