第34話 またいつかやりましょう

 狼の三連続体当たりで、シャーロットは王都の外に広がる草原に飛んでいった。

 おそらく、もう意識はない。

 一応、手加減はしたし、大賢者いわく首から上が残っていれば大丈夫らしい。

 しかし、そんな理屈とは無関係に、ローラはシャーロットを追いかけた。

 もう決着はついたのだ。ならば早く助けないと。

 ローラだって回復魔法を多少は使える。

 千切れた腕を再生させるのが無理でも、止血くらいにはなる。


「シャーロットさん!」


 彼女は草原の上に転がっていた。

 狼に喰わせた右腕がないのはもちろん、他の手足も変な方向にねじ曲がっている。

 制服はズタズタで、もう服としての機能を失っている。

 露出した肌にいくつ傷があるのか数え切れない。


 また、たんに見た目がボロボロというだけでなく、何かこう……とてもしぼんで見える。

 もちろん片腕を失っているのだから、物理的に小さくなっているのは当然だ。

 しかしローラが感じたのは、そういった見た目のことではなく、五感の外の話。

 シャーロットの魔力が、明らかにしぼんでいるのだ。

 使ったから減ったという印象ではない。絶対量そのものが削れてしまったかのよう。


(私との戦いでシャーロットさんの霊体に何かが……?)


 ローラは考え込みそうになったが、そんな場合ではないと首を振る。


「傷つきし体よ、我が魔力を吸って再生せよ――」


 まず表面の傷を治して血を止める。

 しかし骨折と、右腕が千切れた断面はそのままだ。

 どうする?

 強引に治すことも可能だが、骨は真っ直ぐくっつくのか?

 腕を生やさないまま傷口だけ塞ぐと、あとで面倒なことにならないか?


「どうしよう……どうしよう……」


 魔力と才能が膨大でも、経験が圧倒的に足りなかった。

 ゆえにローラはどうしていいのか分からず、眠ったままのシャーロットの前で狼狽えることしかできない。


「そうだ! 王都まで運んでいけば、大賢者様が治してくれる!」


 どうして最初に思いつかなかったのかと恥じ入りながら、ローラはシャーロットを抱き上げようとした。

 そのとき、誰かが優しく肩を叩いてくる。


「大丈夫。その必要はないわ」


 驚いて振り返ると、白銀色の髪が揺れていた。


「あ……保健室にいた先生……!」


「覚えていてくれたの? ありがとう。それで、シャーロットちゃんが結構危険な状態だから、先に治しちゃうわね」


 名も知らぬ先生は、シャーロットに手をかざす。

 その瞬間、曲がっていたシャーロットの手足が真っ直ぐになった。

 更に、右肩の付け根から肉が溢れ出し、あっという間に新しい腕が生えてきた。

 全ては瞬く間の出来事。

 ローラの目をもってしても、どうやって模倣していいのか分からないところが多い。

 特に腕を生やした術は、もう一度やって見せて欲しいくらいだ。


「う、ん……ここは……あらローラさん?」


「シャーロットさん! 気が付いたんですね、よかったぁ」


「わたくし、右腕を失ったはずなのに……それに魔力が元に戻っていますわ。アビスの門に潜ったのも、ローラさんと戦ったのも、全て夢……? 」


 シャーロットは体を起こし、右腕をマジマジと見つめる。


「いいえ。夢じゃないわよ。私が再生させたの。新しいからお肌ピチピチでしょ。もっとも、あなたたちの年齢だと、もとからピチピチかしら」


 銀髪の先生がしゃがみこみ、シャーロットに笑いかけた。


「腕を、あなたが……? うそ、だってそんなことができる魔法使いは、それこそ……」


 シャーロットは頬に汗を流しながら、声を震わせる。

 そして先生の白銀の髪を見つめ、ハッとした顔になった。

 しかしローラには何のことだか分からない。

 確かにこの先生の回復魔法の技術は桁外れだし、魔力そのものも常軌を逸している。

 とはいえ、かの大賢者が学長を務める学園なのだから、このレベルの教師がいても不思議では――。


「自己紹介がまだだったわね。私はカルロッテ・ギルドレア。麗しき大賢者なんて大層な名前で呼ぶ人もいるわ。あと、あなたたちが通う学園の学長もしてるの。サボってばかりだけどね」


 大賢者――彼女はそう名乗った。と同時に、魔力の波動を全身から放つ。

 その辺にいた小鳥たちが一斉に逃げていく。

 ローラは腹の奥にビリビリと振動を感じた。


(なに、この人。すごく強い……追いつくには、何年かかるの!?)


「へえ。二人とも、何年かしたら追いつけるって顔してるわね」


 大賢者は嬉しそうに笑う。

 そしてローラとシャーロットの頭をなでた。


「いいわよ、若いうちはそのくらい生意気じゃないと。あなたたちみたいな生徒が来るのを待っていたのよ。それが二人も同時になんて。ふふ、楽しみ」


 三百年近く生きているはずの大賢者だが、その笑顔は見た目通りに若々しく、そしてイタズラっぽい。

 なのに魔力だけは大賢者という名のイメージ通り。

 ローラはだんだん混乱してきた。


「ところでシャーロットちゃん。魔力が元に戻ったのを不思議そうにしているけど、そんなのは当然よ。だってあなた、今日勝てたら明日死んでもいいって覚悟で戦ったんでしょう? だからあなたはアビスの門なんて非常識な場所に耐えることができたし、今日あれほどの力を発揮した。けど、そこまで。しょせんは付け焼き刃。限界を超えたあなたの霊体は、戦いが終わった途端、空気が抜けた風船みたいにしぼんだのよ」


「そんな……ではわたくしの半月は無駄な努力だったということですの!?」


 シャーロットは声を震わせた。心の痛みに耐えるかのように拳を握りしめる。


「さあ、どうかしら。けれど今日のあなたは楽しかったんでしょ。いっときとは言えローラちゃんと同じ領域で戦い、空を飛び、片腕を食いちぎられても、それでも楽しかったんでしょう? 痛みなんて気にならないくらいに」


「それは……はい」


 大賢者の言葉にシャーロットは頷く。

 冷静に考えればデタラメな話だ。十四歳の少女が、片腕を食いちぎられながらも戦うのが楽しかったなんて。

 だがローラは、シャーロットの言っていることに違和感がなかった。多分、自分も腕や脚がとれたくらいでは戦いをやめない。あの戦いはそれほど甘美だった。


「じゃあ無駄じゃないでしょ。シャーロットちゃんは目指している領域に、ほんの一瞬だけど立つことができた。その感覚を忘れずに日々真っ当に努力すれば、近い将来、帰ってこれるわ。私が保証する。けど、アビスの門はやめなさい。あれは昔のガザード家が私と戦うために作った一種の儀式場。今日のあなたと同じく、今日勝てたら明日死んでもいいという覚悟で、限界以上の魔力を絞り出すための反則装置。次に入ったら、それこそ死ぬわよ」


「昔のガザード家は、やはり大賢者様と戦ったのですか……っ?」


 シャーロットは息を飲み、そして興奮した様子で言った。


「ええ。百年くらいまでは結構頻繁に突っかかってきたわよ。当然、私の全勝だけど?」


 大賢者は胸を張って言う。

 ケンカに勝ったことを自慢する子供みたいだった。

 それを見たシャーロットは、何やら安堵するような息を吐き、再び草原に寝転んだ。


「そうですか……少なくとも昔のガザード家は、言い伝え通り、気合いが入っていたのですね。それを聞けて嬉しいですわ」


「シャーロットちゃんはガザード家の気性を色濃く継いでいるのね。私と戦いたくなったら、いつでもどうぞ。じゃ、私は帰るわね。二人とも、いい試合だったわ。今日はゆっくり休みなさい」


 大賢者は立ち上がる。

 そのときローラの目にゴミが入り、たまらず手で擦った。

 視界が塞がったのはほんの一瞬。

 その間に、大賢者の姿は消えてしまった。


「……帰っちゃいましたね」


「ええ。まるで夢か幻みたいに」


「私たちも帰りましょうか?」


「いいえ、もう少しだけ休ませてくださいな」


 シャーロットは草原の上に大の字に四肢を広げた。

 そのまま空を見つめて、ポツリと呟く。


「ローラさん。優勝、おめでとうございます。わたくしの負けですわ。今日のところは、、、、、、、


「あ、そっか。私たち、学園のトーナメントで戦ってたんでしたっけ。私が優勝……ありがとうございます」


「まあ、忘れていたんですか? それではわたくしたち、特に理由もなく戦っていたことになってしまいますわ」


「そ、そうですね。それじゃバカみたいです」


 校内トーナメント、という大義名分のもとで試合を行なったのだ。

 色々と逸脱してしまったような気もするが、とにかく、きっかけはそれだった。

 決してケンカをしたのではないし、まして〝どっちが強いか白黒つける〟なんて脳筋な理由ではない。

 あくまで学校行事である。


「ところでローラさん」


「はい?」


「また挑んでもよろしいでしょうか?」


「特に理由もなく?」


「ええ。特に理由もなく」


 シャーロットは真顔で言った。

 そしてローラは断る理由がなかった。


「いいですよ。いつでもかかってきてください」


 ローラも大の字に寝転び、シャーロットと一緒に空を見つめる。

 隣から、すーすーと寝息が聞こえてきた。

 疲れたのだろう。無理もない。

 ローラも流石に今日ははりきり過ぎだ。

 瞼が重い。


「……早く帰らないと、みんなが心配、しているような、気がするんで、す、けど……」


 ローラの意識はそこで落ちた。


        △


 教師たちは、一向に帰ってこないローラとシャーロットを探して王都やその周辺を探し回った。

 もちろんエミリアも必死に探した。

 あれだけの戦いだ。

 二人とも大ケガをしているに違いない。

 と、そう心配していたのに。

 ようやく見つけたローラとシャーロットは、草原の上で仲良くお昼寝をしていた。

 その寝顔があまりにも可愛らしすぎて、エミリアは怒る気にもなれなかった。

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