第14話 一週間後

 あの敗北から一週間が経った。

 エミリアはこうして五体満足で生きている。


 あれから何が起きたのか、エミリアは見ていない。

 途中で失神したからだ。


 他の教師から聞いたところによると、稲妻の剣がエミリアに激突する瞬間、ローラの手によって防御結界が作られ、エミリアを守ったという。


 生徒に負けた上に、生徒に助けられた。

 言ってみれば、一つの試合で二回負けたのだ。


(何よ、それ。想定していた最悪より最悪だわ。どの面下げて生徒の前に立てばいいのよ……いいえ、もう冒険者として、魔法使いとして表を歩けない。何が全身全霊をもってして超天才を迎え撃つよ。圧倒されて、守られた。軽くあしらわれた……いっそ誰か私を殺してよ!)


 自殺する勇気が湧いてこないのが惨めさに拍車をかけた。

 どうすることもできず、エミリアは次の日から学校を休み、アパートメントの自室にこもって頭から布団を被っている。

 いい歳をして引きこもり。

 九歳の女の子に負けて涙を流す二十三歳。

 生きている価値がないほど惨めだ。

 そうと分かっているのに涙が止まらない。

 悔しい。悔しくて身を引き千切りたい。


 戦ってよく分かった。

 ローラ・エドモンズは挑むとか戦うとか、そういった対象ではないのだ。

 生物としての格が違う。

 放っておいても勝手に強くなる。

 現に試合中に成長し続けていたではないか。


 そうだと理解したのに、エミリアは割り切れない。


(悔しい……悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!)


 血が出るほど唇を噛み締めた。

 子供のように嗚咽した。

 そんな毎日を過ごして七日目。


 呼び鈴が鳴って、少女の声が聞こえてくる。


「あの、先生……大丈夫ですか? 皆、待ってます。だから……」


 エミリアを生き地獄に落とした、ローラの声だ。

 心底こちらを心配している声だ。

 悪意なんて少しもない。


 なのにエミリアはちっとも嬉しくなかった。

 むしろ怒鳴り散らさないように枕を噛み締めて耐えるのがやっと。


(帰って、お願い、帰って!)


 思いが通じたのか、ローラはそれ以上何も言わず、そして足音が遠ざかっていく。

 よかった。

 今は誰にも会いたくない。

 しかし、じゃあいつになったら部屋から出ることができるのだろう。


 明日? 明後日? 来週?


 自分はもう立ち上がれないかもしれない。

 努力してきたのだ。頑張ったのだ。強くなったと思っていたのだ。

 それが全て錯覚で、しかもローラはどんどん強くなっていく。追いつくどころか差は開いていくのだ。


(馬鹿馬鹿しい。もういい。私はもう何もしない)


 エミリアの自己嫌悪は最大級に膨らんだ。

 そのタイミングを狙い澄ましたかのように、二人目の来訪者が現われた。


「開けなさい、エミリア。あなたいつまで仕事をサボるつもりなの?」


 この声は。ああ、聞き間違えようもない。

 なにせ命の恩人なのだから。


「大……賢者様……!」


「またそんな呼び方して。今は一緒に働いているんだから、学長と呼びなさい、学長と」


 カチャリ、と音が鳴った。

 玄関の鍵が開いたのだ。

 物理的な鍵と魔法による二重の施錠を施していたのに、どちらも容易く突破されてしまった。


 扉が開いて、白銀色の髪の女性が入ってきた。

 見た目の年齢は二十歳前後。エミリアよりも若く見える。

 しかし実際には、三百年近い時を生きる伝説の存在。

 麗しき大賢者の異名を持ち、百三十年前に魔神の一体を倒してこの国を救った英雄。

 王立ギルドレア冒険者学園の創設者であり、今でも学長を務める最強の魔法使い。

 カルロッテ・ギルドレア。


 そんな神の如き人が、このアパートメントにやってきたのだ。


「学長……申し訳ありません、今は誰にも会いたくないです」


「そんな子供みたいなこと言って。ほら、顔を見せなさい」


 エミリアが布団の中に隠れたのに、大賢者はそれを引きはがしてしまう。

 嫌がるエミリアを無理矢理起こして、そして、抱きしめてくれた。


「見てたわよ、ローラちゃんとの戦い。あなた強くなったのね。最初に出会ったときは、ゴブリンを見て泣いてるだけの女の子だったのに。いいえ、三年前にドラゴンを倒したときよりも強くなってる。偉い偉い」


 大賢者はエミリアをまるで子供扱いする。

 いや、子供以下だ。

 言い訳はできない。子供に負けたのだから。


「何が偉いんですか……あんな無様な負け方をして、しかも相手に助けられて、生き恥を晒している……知っていますよ。学長だって本当は私を笑っているんでしょう?」


「そうね。弟子の成長を喜んで笑っているわ。本物の天才を前にしてよく逃げずに挑んだわね。あの戦いを見て、あなたをバカにする者なんて誰もいないのよ。だって、次にローラちゃんに挑むのは自分だなんて威勢のいいことを言っていた人たちは、結局、誰も挑んでいないもの。ちゃんと戦ったのはあなただけ」


「だけど、負けました……」


「ええ、そうね。むしろよかったじゃないの。次はあなたが挑戦者。不意打ちも持久戦も心理戦も、何をやっても許される。綺麗に戦わなくてもいい。鍛えて鍛えて鍛え抜いて、またいつか戦えばいいじゃない。それとも諦める? まあ、あなたの自由だけど。教師として働いているんだから、いつまでもサボられたら困るわ」


「……教師? 生徒より弱い教師って必要あるんですか? 私はあの子に何を教えたらいいんですか?」


「卑屈ねぇ。負けたせいで、自分が無能の極みだって思い込んでる。別に敗北が始めてってわけでもないくせに。あのねエミリア。ローラちゃんは試合が始まった時点では、あなたよりも弱かったのよ? 気付いてた?」


「え?」


 あの怪物が、自分より弱かった?


「ローラちゃんはあなたの技を見て、次々と盗んで、信じがたい速度で成長した。しかも私の目論見通り、、、、、、魔法を楽しそうに使っていた。それはエミリアの戦い方が楽しいからよ。ど派手な落雷を使って、数多くの召喚獣を使って、そのくせ基礎がしっかりしている。だから大丈夫。あの子に教えてあげられることはまだまだあるわ。そして更に引き出しを増やしなさい。あなた自身が発展途上よ。だって悔しかったんでしょう? 強くなりたいんでしょう? なら、まだ先に進めるわ。十分休んだんだから、そろそろ立ちなさい」


 大賢者は今、『目論見通り』と恐ろしいことをさらりと言った。

 エミリアがローラに嫉妬することも、戦いを挑むことも、どちらも読んでいたのだろうか。

 しかし、エミリアにとって重要なのはそこではない。


「けれど……私は十五歳でギルドレア冒険者学園に入って、ずっと努力してきました。八年も研鑽を積んだんです。それをローラさんは数日で……いえ、あの試合中の数十秒で越えてしまいました。それでも私は追いつけるのでしょうか?」


「八年ですって? 笑わせてくれるわね。私からしたら、数十秒も八年もさほど変わらないわよ、卵の殻もとれていないヒヨコさん。ヨチヨチ歩きができるようになったばかりなのに、一人前みたいな顔して自分の限界を決めるなんて滑稽ね。分かってるはずよ。あなた、本当は今すぐベッドから飛び出して、がむしゃらに特訓したいんでしょう? 伸びるかどうかなんて考えず。小難しいことを考えていないで、外に出て暴れなさい。なんなら、相手してあげましょうか? スッキリするわよ」


 大賢者はエミリアを見つめて微笑む。

 全部お見通しという顔だ。

 その目で見つめられると、何だか深刻ぶっていたのがアホらしくなってきた。

 最初から深刻な問題なんてなかったような気になってくる。


「……分かりました。お願いします。私、大賢者様に八つ当たりさせていただきます」


「結構。じゃあ場所を変えましょう。あとエミリア。パジャマを脱いでシャワーを浴びてきなさい。いくらなんでも汗臭いわよ」


「うっ」


 エミリアは顔が熱くなる。

 なにせふて腐れて、ろくにご飯も食べず着替えもしないという生活を送っていた。

 冷静になった今考えると、二十三歳の女のやることじゃない。


「ところで大賢者様……じゃなかった学長」


「なぁに?」


「学長は負けたことってあるんですか?」


「あら。そんなのあるわけないじゃない。だって私、天才だもの」


        △


 王都から少し離れた山でエミリアは、あらん限りの魔力と技を大賢者にぶつけては返り討ちに会い、回復魔法で復活させられ、またボコられ、気絶させられ、水をぶっかけられ、それでもなお向かっていって、徹夜で暴れて、そして久しぶりに学校に向かった。


 魔法学科一年の教室を開けるのが緊張する。

 生徒に負けた教師を、皆はどう迎えてくれるのだろうか。

 いや、まずは一週間以上も休んだことを謝らないと。


「すぅぅ……ふぅ」


 深呼吸をしてから、意を決して扉を開ける。


「みんな、おはよう」


 できるだけ、前と同じように声を出して教壇の前に立つ。

 すると生徒たちの視線が一斉に集まり、そして駆け寄ってきた。


「エミリア先生! おはようございます!」

「先生、こないだの試合凄かったですよ! 俺、感激しました!」

「先生ってやっぱり色んな技を使えるんですね。私、早く教えて欲しいです!」


 意外なほど歓迎された。

 訳が分からずエミリアは唖然としてしまう。


「えっと……まずは先に謝らせて。今まで休んでごめんなさい」


 授業は他の先生たちが進めてくれたから、さほど遅れていないはずだが……そういう問題ではないのだ。

 入学してすぐの大切な時期に、担任が正当な理由もなしに一週間以上も休んだ。

 批判されて然るべき。


「いいんですよ。だって、あんな凄い試合を見せてくれたんですから。疲れて休むのは当然ですよ。先生、今度俺らとも戦ってください!」


 だというのに、生徒たちは目をキラキラさせて、むしろ賞賛してくる。


「えっと……そんなに凄かった……?」


「そりゃもう! 強くなったら、自分もあんな戦い方ができるんだって……想像するだけで楽しいですよ」


「だよな。今まで強くなったらどうなるか、イメージが漠然としていたけど。おかげで目標ができました。ありがとうございます」


 確かにエミリアは、全力を出した。

 戦術に非の打ち所はなかった。

 その上で負けた。


「先生、エミリア先生!」


 生徒の壁をかき分けて、幼い少女が前に出た。

 エミリアを完膚無きまでに倒した、ローラ・エドモンズだ。


「私、あの試合、楽しかったです! 魔法を使うのが、楽しかったです!」


 ローラは小さな体を背伸びさせ、大きな瞳でエミリアを見上げ、一生懸命に訴えてくる。


「楽しかった? 本当に? あんなに剣を好きなあなたが……?」


「剣は剣で好きです。けれど……ようやく分かりました。どうしてシャーロットさんや先生や皆が魔法を一生懸命やってるのか。私、もっと魔法を知りたいです。先生と戦っていると、自分がどんどん強くなっていくのが分かりました」


「そして、あなたは勝った。本当に強かったわ」


「はい……けど、私はもう一度、先生と戦っても勝てるんでしょうか? 先生にできる魔法って、あれで全部じゃないですよね?」


「まあ、ね」


 技を出し切る前に負けてしまったのだ。


「やっぱりエミリア先生は凄いです! これからもよろしくお願いします!」


 ローラはぺこりと頭を下げた。

 こちらを憐れんで気を使っているのではなく、本当に教えを請うているのだ。

 ああ、とエミリアの肩から力が抜ける。

 結局のところ、自分が一番子供だった。

 そして、今から更に子供っぽいことを言う。

 笑うなら、笑え。


「……ローラさん。次は負けませんからね」


 するとローラは、今日一番の笑顔で答えた。


「私も負けませんよ!」


 エミリアはその眩しい笑みを見ながら、『こうしてローラが魔法を好きになることまで大賢者は読んでいたのだろうか』と考え、空恐ろしい気持ちになった。

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