第301話.痕跡
痕跡を見付けたと自慢気なムーアだが、俺の目にも鼻にも何も痕跡は感じられない。
「どこに、痕跡があるんだ?」
『何も無いでしょ。それこそが痕跡よ!』
魔力が漏れ出すならば、祠には必ずどこかに隙間がある。そして隙間があれば必ず、塵や小さな虫が入り込んでもおかしくない。しかし祠の中には、それらすら一切存在していない。
そしてムーアがポーションを取り出すと、床の上に放り投げる。瓶はパリンッと音がして割れると、中の液体は床一面に広がる。
「これで、どうするつもりなんだ?」
痕跡を見せるといった言葉とは違い、ムーアの取った行動は僅かに残った痕跡さえも分からなくしてしまう。
『黙って見ていて。面白いことが起こるから!』
床一面に広がった赤いポーションは、ジワジワと白い石畳の床に吸収される。そして、床にはポーションの赤いシミ一つ残されていない。
「そんなことが有り得るのか?」
石でも僅かではあるが水を吸い込んだと思うが、今見ているのは砂の上にポーションを溢したかのようで、さらに驚かせるのは赤い痕跡すら消えてしまう。
思わず屈んで床を触るが、床には湿った感触もなくポーションがあったことを全く感じさせない。しかし、特別に床自体がおかしいと感じるような所もない。
『カショウ、まだよ!』
しかし、ムーアはまだ終わっていないことを告げてくる。残っているのは割れて飛び散ったポーションの瓶だけで、他には何もない。
「ポーションで、床が回復するとでも言うのか?」
『まあ、見てのお楽しみよ♪』
床も割れたポーションの瓶にも変化は見られないが、それでもムーアは黙ってポーションの瓶を見つめている。もうこれ以上は何も起こらないだろうとムーアに声を掛けようとした時、カチャリと破片の動く音がする。
石を積み上げて作った祠だが、気密性は高く中には外からの風は吹き込んでこない。階段からは魔力が流れ込んで来てはいるが、空気の対流を起こす程の力もなく破片を動かすことは出来ない。
再びカチャリと音がして、一番大きな破片がバランスを崩して倒れる。ラップ現象であれば、ゴースト系の魔物の仕業なのかもしれないと、久しぶりに自身で行使する魔力探知の感度を上げるが、不審な魔力は感じられない。
「もしかして、瓶がとけているのか?」
崩れた瓶の破片が、僅かに丸みを帯びて形を変えているような気がする。しかも音がした大きな破片に目がいっている間に、細かな破片は消えて無くなっている。
「いや、瓶がとけただけじゃない。もしかして、床に吸収されているのか?」
『そうよ、ビックリしたでしょ!』
「何でこんなことが起こるんだ?」
「簡単、ダンジョンよ!」
それにはガーラが、短く答える。短い言葉ではあるが声には力が籠り、ガーラはここがダンジョンであると確信している。
ダンジョンは姿形のあるものを産み出しもするし、消し去りもする。その2つの条件が揃えば、そこはダンジョンしか有り得ない。
「でも、この光景はどこかで見たぞ。ダンジョンじゃない場所で···」
しかし、それが何処であったかは思い出せない。
『バイコーンよ』
今度は、ムーアが俺の忘れかけた記憶を呼び起こしてくれる。それは、地面にとけるようにして消えかかったバイコーンの姿で、確かに似ている現象かもしれない。
「でも、あの森にはダンジョンなんてないだろ?」
『クオカの森で、濃い魔力溜まりが発生しているのはダンジョンの影響かもしれないわ。バイコーンには、スライムのようにとけて地中に潜る能力なんて持ってないもの』
「でも、少し強引過ぎないか?」
『それしか、説明する出来る方法がないのよ。未知のことが多いのもダンジョンの特徴なのだから』
元の世界もアシスでも、共通していることは多い。その一つが地下のことになる。空へと高く昇り宇宙へと行くことが出来ても、地下深くへ潜ることは出来ない。精々頑張っても10㎞程の距離でしかなかったような気がする。
実はその奥に、秘められた“地の力”が隠されていると言われても、完全に否定することは出来ないだろう。
「一番深いダンジョンは、どれくらいの深さがあるんだ?」
『そこまで辿り着いた者、誰もはいないわ。それがダンジョンなのだから!』
「それで今の選択肢は、進むしかないんだろ!」
『真っ直ぐ階段が伸びているなら、その先はヒガバナの群生地の下になることだけは間違いないわよ』
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