第3話 佐々木伊織③

「……嘘つき」


 脱ぎ散らかした靴下みたいにぐったりして、伊織は言った。

 ベッドの上で、初めてを散らした後だった。

 玲児は特に余韻もなく、使い終わったゴムやティッシュの後処理をやっている。


「なにがだ」

「気持ちよくないって言ったじゃん」

「普通はな。そうならないように努力した。良かったのは、伊織の注文が正確だったからだろ」


 玲児は既に部屋着に着替えていた。伊織を置いてどこかに行くと、水の入ったペットボトルを持ってくる。


「飲むか?」

「飲む」

「百円だ」

「お金取るの?」

「タダで配ってたら水代で破産する」


 こいつ、どんだけヤッてんだよと伊織は呆れた。


「……飲むけどさ」


 気怠い身体を引きずって、部屋の隅に置いた鞄まで這っていく。もうしばらくは立てそうにない。


「先に服を来たらどうだ」


 汗の染みたベッドに腰掛けると、スイッチを起動しながら玲児は言った。


「……あたしの裸って、そんなに魅力ない?」

「いいや。終わってから勃起すると気まずいだけだ」


 あけっぴろげに玲児は言った。

 本当かなと思って、伊織は立ち上がって下手くそなグラビアポーズを決めて見た。


「あだだだ」


 腰が痛くて二秒も持たなかった。

 玲児の鼻がフンと笑った。


「笑うなし!」

「面白かったら笑うだろ」

「そーだけどさ! うぅぅ……」


 それとなく玲児の股間を確認するが、膨らんでいる様子はない。

 それを見て、伊織はまた不安になった。


「エロ漫画じゃないんだ。一回イッたら、暫くは勃たない」

「……でも、友達の彼氏は何度も出来るって言ってたけど」

「そういう奴もいるだろ。それか、見栄を張ってるかだ」

「ならいんだけど……あたしのエッチ、変じゃなかった?」

「どういう意味で?」

「どうって……他の相手とヤッた時、恥ずかしくないかって事」

「相手によるとしか言いようがないな」

「そうだけどさ、あんた、経験豊富じゃん」

「男と寝た経験はそっちの方が上だ」


 言われて、伊織はぽかんとした。


「男と寝た事はないって意味だ」


 仕方なく、玲児が補足する。


「あーね」


 納得して、伊織は言う。


「じゃあ、あんたの主観で」

「主観以外に言いようもないがな」


 呟いて、玲児は顔をあげた。


「セックスに正解なんかない。もしあったとして、自分の気持ち良いとかけ離れていたらどうする? お互いに裸になって、恥ずかしい思いをして、それで気持ちよくなかったら? 不毛なだけだ。そんな事を続けていたら、愛だってきっと冷める」

「そーかもしんないけどさ、相手にだって事情はあるわけでしょ? その、あんたの言う、性癖って言うの?」

「まぁな。そこは上手く話し合うしかないだろ」

「そんな恥ずかしい事出来ないって!」

「見ず知らずの俺とは出来たのに?」

「それは……だって、あんたは別に彼氏じゃないじゃん」

「だな。お願いされたら誰とでもヤル、都合のいい男だ。なにを言った所で、あと腐れもない」

「ちょ、そーいう意味じゃないし。怒んないでよ」

「怒ってない。ただの事実だ。実際そうだから、俺みたいなのを利用する奴がいるんだろ」


 淡々と玲児は言った。何一つ、怒った所はない。

 伊織としては、少しくらい怒れよと思ったが。


「それで、毎回俺は言うんだ。好きな相手だからこそ、下らない見栄を張らず、ちゃんと話し合うべきだと。でなきゃ、愛なんか簡単に壊れてしまう」

「……それって経験談?」

「あぁ」


 あっさりと、玲児はそれを認めた。


「……あのさ、一つ聞いていい?」

「内容による」

「……あんた、なんでこんな事してんの?」

「それは俺が、お願いされたら誰とでもヤル男だからだ」

「それ、理由になってなくない?」

「それ以上の理由はない」


 きっぱりと玲児は言った。


「……もう一個良い?」

「内容による」

「あんた、彼女とかいる?」

「彼女がいるのにこんな事してるような奴は死んだ方がいい」

「それ、答えになってないけど」

「いない」

「……そっか」


 十秒程の沈黙があった。


「じゃあ、あたしと付き合わない?」

「付き合わない」


 きっぱりと、玲児は断った。

 伊織の顔が、くしゃりと歪む。


「……やっぱあたし、魅力なかった?」

「いや。お願いされたら誰とでもヤルような男には勿体ないくらい魅力的だ」

「じゃあいいじゃん」

「よくない理由が三つある。一つ、伊織は俺には勿体ない。二つ、それは恋じゃなく初エッチの余韻だったと暫くすれば気づく。三つ、俺には好きな相手がいる」

「……ぇ?」


 三つ目の理由に、伊織は失恋のショックを忘れた。


「あんた、好きな子がいるのにこんな事してんの!?」

「あぁ」

「サイテー……なんで? 意味わかんない!? もしかしてアレ? こんな事続けてれば、その内その好きな子とヤレると思ってるとか?」


 玲児は鼻で笑った。


「それだけは、絶対にあり得ない」

「じゃあなんでさ! おかしいでしょ!」

「伊織の知った事じゃないだろ」

「そーだけど……いーじゃんか! 一緒にエッチした仲だし、なんならあたし、告っちゃったわけだし。ねーねー、それって、あたしの知ってる子? 出来る事あるなら協力するって!」


 失恋そっちのけで伊織は食い付いた。


「必要ない」

「なんでし! あたし、彼氏はいないけど、キューピッド役は得意なんだよね!」

「もう振られた」


 それを聞いて、伊織は気まずそうな顔になった。


「あ~……そっか。それは、ドンマイ。てか、振られたんなら、あたしと付き合っても別によくない?」

「まだ好きなんだ」

「でも、振られたんでしょ?」

「忘れたくても忘れられないから、好きなんだろ」

「そうかもしんないけどさ。だったら余計に、こんな事してたらダメじゃね?」

「仕方ないだろ。俺はお願いされたら誰とでもヤル男なんだから」

「意味わかんない」

「俺だって分からないよ」

「本当あんた、なんでこんな事してんの……いや、答えなくていいけど」


 どうせ、お願いされたら誰とでもヤル男だからと返されるだけなのだ。

 代わりに伊織は言った。


「ねぇ。またお願いしてもいい?」


 玲児は答えた。


「俺は、お願いされたら誰とでもヤル男だ」

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