幼馴染はレモンの味
「よおし、いっちょ手でも繋いでみっか」
どうやら俺の幼馴染は、何かの拍子で頭をカラッポにして夢を詰め込んでしまったらしく、少年漫画の主人公のような思考回路になっていた。
「どうしたんだよ色々と」
「ああだこうだ考えても意味がないと、昨日の一件でわかった。もう実力行使しかあるまい。さあ、我と手を結べ」
その一方で、少年漫画の悪役のような発言をするようになってしまった。
「ほらよ」
「ほいきた」
小町の考えは、手に取るようにわかる。
ようするに、恋人っぽいことをしてドキドキあるいはキュンキュンとすれば、俺たちの関係が恋人にステップアップできる可能性あり。そうでなければ可能性なし、としたいのだろう。
しかし、その挑戦の無意味さを俺は十分に理解している。口で言っても伝わらないだろう――という言葉の代わりに、俺は小町に手を差し伸べた。特に躊躇うこともなく、小町はそれを受け入れる。
「ドキドキするか?」
「……ゴツゴツしてる」
「ドキドキするか、って聞いてんだよ」
「……心なしかギトギトしてるような気がする」
「ドキドキ、するかって、聞いてんだよ」
「うわあ、すごい
俺の手を握った小町の顔に赤みがさすことはなく、むしろ青ざめているようにすら見えた。
「手を繋ぐなんて今更も今更だろ。こんなもんでドキドキするかよ」
「ぐぬぬぬ」
言うなれば、この歳になって親兄弟と仲良く手を繋ぐようなものだ。そこに色恋染みたドキドキ感なんぞ存在するはずもなく、あるのは形容しがたい違和感のみ。
実力行使だの荒療治だの言うのなら、あと一歩踏み込む必要があるだろう。それも、幼馴染という一線を飛び越えるような、大きな一歩だ。だがそんなことは――
「よおし、いっちょキスでもしてみっか」
などと杞憂していた、俺が愚かであった。誰もが二の足を踏むような状況でも、構わず土足で踏み入ってその場でタップダンスをするのが、俺の幼馴染である。
「小町。お前、今何て言った?」
「心なしかギトギトしてるような気がする」
「それのもうちょい後」
「レモンの味がした」
「それのもうちょい前――って、キスする未来はもう確定なのか?」
こうして暴走するのは、小町の悪い癖だ。
一歩も二歩も踏み込んだあまり、挙句にトリップしてしまう。
「落ち着け馬鹿。キスはさすがに荒療治が過ぎる」
「だってこうでもしないと、いつまで経っても私たちの関係は進まないじゃないかあ!」
「付き合ってもいないのにキスなんてできるかよ」
「接吻できなきゃ切腹しろォ!」
「承服しかねる」
荒ぶる小町をなんとか宥めようとするも、彼女の機嫌は悪くなるばかりである。じゃじゃ馬で気分屋で沸点の低い彼女だが、ここまで話が通じなくなるのも珍しい。
「バカ飛鳥! 飛鳥のバーカ!」
「語彙力と情緒どこやったんだよ」
「唐変木の朴念仁のポンポコピーのポンポコナーの超重症の超スケベ!」
「語彙力だけは一命を取り留めたか」
小町がここまで感情を剥き出す理由が、俺にはわからなかった。手を繋ぐならまだしも、キスをするのはさすがに一線を越えすぎている。そのことがわからない彼女ではないだろう。
「なんだよう! 隣のクラスの女子とはキスできて、私とはできないってのか!」
俺が頭を抱えていた、その最中。
悩み苦しむ脳と心臓に、思いもよらぬ言葉が突き刺さった。
「お前、なんでそれを」
「友達が教えてくれた。飛鳥が隣のクラスの女子に呼び出されたよ、って。こりゃ飛鳥をイジる最高のネタができたぞってんで見に行ったら、キスしてるんだもん!」
彼女が言うように、確かに俺は今日、隣のクラスの女子とやらに呼び出された。結論から言えばそれは愛の告白だったわけだが、思いがけぬオマケもついてきた。
名前も知らぬその女子は、去り際に俺の唇を奪っていったのだ。それはまさに奪うという表現がぴったりで、あまりに不意のことで成すすべなく、されるがままとなった。その一部始終を、小町に見られていたというわけか。
「ふーんだ! いいよもう! その子とよろしくやればいいじゃん!」
それがわかったところで、ようやく小町の言動に合点がいった。
「はあ?」
「付き合うんでしょ? その子と」
「付き合わないけど」
要するに、小町は嫉妬していたのだ。
案外こいつにも、可愛いところがあるじゃないか。
「なんで? キスしてたじゃん」
「それは不意打ちをくらったというか。第一、断ったし」
「なんで?」
俺が淡々と事の顛末を伝えていくにつれ、小町の表情から怒りは消えていき、代わりに困惑と疑念の色が浮き出てくる。
「まあ確かに、どこかの誰かさんよりもおしとやかだし」
「あ?」
「どこかの誰かさんよりも美人だし」
「ああ?」
「どこかの誰かさんよりもおっぱいあるし」
「ああああ!?」
「テキトーに名前つけたRPGの主人公かよ」
その後すぐ、怒りの色が戻ってくるのも小町らしい。
「……じゃあなおさら、なんで付き合わなかったの?」
「俺もよくわかんねえんだよな」
ぶすっとした表情の小町から零れ落ちた問いに、ありのまま思ったことを返してやる。彼女はこれまた素っ頓狂な声と表情をしていたが、本当に自分でもよくわからないのだから仕方がない。
俺の唇を奪った彼女と、お付き合いできたらどれだけ幸福か。行為は純粋に嬉しいし、完全一致とまでは言わないが俺の好みのタイプにかなり近い。
「なんというか、お前以外とそういう風になるって違和感があるというか、想像できねえっていうか」
それでも俺がその気になれなかったのは、小町の存在があったからだろう。
「ふうん」
「なんだよ」
「べっつにぃ」
嘘偽りない俺の言葉を聞いて、小町はひどく嫌らしい笑みを浮かべながら俺を見上げてくる。実にむかつく表情ではあるが、すでに怒りの感情は窺えない。むしろ上機嫌なようにさえ見えた。
「飛鳥って、ほんと私のこと大好きだよねえ」
「ほっとけ」
「んもう、満更でもないくせにぃ」
「おい引っ張んなよ」
彼女の手を握りしめたままでいたことと、その繋ぎ方がいわゆる『恋人繋ぎ』であったことに、今更気が付いた。気づいてもなお、俺は彼女の手を放す気にはなれなかった。
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