第6話 映画「ドライブ・マイ・カー」劇中劇と共鳴するPoint of No Returnを巡る物語

あらすじ 舞台劇俳優・演出家の主人公家福。脚本家の妻と良い関係を築いていた。そんな二人の関係はある出来事から疑念の波紋が広がっていた。それでも続く日常のはずだったが。

 2年後、家福は演劇祭の招聘演出家として広島へ向かった。そこで妻の作品に出演していた俳優と再会して「ワーニャおじさん」のオーディション、本読みと進んでいく。滞在中、事務局の契約条件により専任ドライバーをつけられた。


 物語は概ね3つのパートに分かれていて、冒頭のアバン・タイトルで妻との日々が描かれて、タイトル・クレジット登場後、妻のいない世界の2年後に招聘された広島の国際演劇祭へ赴く主人公から物語が展開される。そして最後に思わぬ展開によって主人公は決断を迫られ、そして結論が最後に提示される。


 濱口監督作品はSNSのフォロワーの方の感想などから評判は知ってましたが見たのは本作が2本目(『寝ても覚めても』以来)。テンポが良い訳ではない長尺でも飽きさせない必然性のある物語を作る人という印象。

 クリエイターが投じる偶然という必然は本作だと画面には映り込まないところで響く音に代表させている。それはスマフォのシャッター音だったりレコード・プレイヤーの音飛びによる繰り返しなどで示される。作品世界への乱入を意識的に示しているようにも見える。


 劇中での舞台劇作りは感情を排した本読みを執拗に描き、劇中の俳優は感情を込めるなと家福に言われて意図が分からずムッとするようなシーンが入ってくる。

 そして本作の家福らの声も基本的に感情をなるべく排した淡々とした口調で統一されている。劇中劇での感情表現の禁止は相手を理解するための手段として本読みが位置付けられているためのものだと分かってくる。本作世界での感情が廃されぎみの演技もやはり同じ目的があって「上演」というべきところで感情が爆発する事で封じ込められてきた感情の表現が為されている。相手を理解するための論理を先行させて感情表現が後から追いついてくる。そんな演出が劇中劇「ワーニャおじさん」と本作世界において二重に仕掛けられている。


 感情についていえば妻の脚本作品に出演していた若手俳優の物語も興味深かった。感情の赴くままに行動をして彼もまたPoint of No Return、運命の岐路に立つ事になる。そんな彼にもちゃんとこの物語はご褒美は与えている。フィクションにおいてただ登場人物を使い捨てにしない気持ちは大事。本作はそういうハートがちゃんとある。


 人は時に死ぬ。機会を逃せば取り返しがつかないまま、その傷を抱えて生きていくしかない。その事へ気付いてからなおどうサバイヴしていくのか。そういう事を問いかける作品だと思う。

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