第3話
母が入院していた病院は人気のない山奥にあった。4階建ての古びた病院だった。病院の外壁は汚れていて、病院の前の駐車場に留めてある車もまばらだった。病院の裏はすぐ山になっていた。その裏にも第2駐車場があった。髭おじちゃんはその駐車場に車を止めた。僕らの他に車を停めている者は誰もいなかった。僕らは母が飛び降りたという非常階段に向かった。
病院の裏口に金属製の非常階段がついていた。青色の塗装が剥がれ、ひどく錆びついていた。非常階段の目の前には、病院のてっぺんまで届くような高い木が何本も植えられていた。
「あそこだよ、3階の非常口の正面の欄干」
髭おじちゃんが母が飛び降りた場所を指差した。僕は非常階段を一段一段登った。軽い金属の音がした。昨日降った雨が、踊り場の隅に残っていた。
3階に着くと、母が飛び降りたという非常階段の欄干に身を乗り出してみた。欄干の高さは僕の胸より下あたりで、心持ち少し低い気がした。僕は下にいる髭おじちゃんを覗き込んだ。おじちゃんは「危ないぞ」と言った。
その時だった。
欄干から身を乗り出し、お腹をテコにしてシーソーが上がるように、下を向いていた顔を上げた僕の目の前に、木の枝が突き出ていた。よく見るとそこには、赤い実がなっていた。
ジューンベリーだ。
僕は手を伸ばして乱暴に実をもいだ。実をもぐと木が弓のようにしなった。
手の中の小さな赤い実をじっと見つめた。間違いなくあの日、母と作ったジャムの実だ。
母はここから身を乗り出して、この実を取ろうとしてたんだ。僕は確信した。自殺じゃない、事故だったんだ。それは僕の直観だった。
母はこの赤い実を見て、きっと僕が昨晩手繰り寄せたのと同じ記憶を思い出したに違いない。この時僕は10年ぶりに、母と気持ちがつながった気がした。
僕の両目からボタボタと涙が溢れ落ちた。僕は膝から崩れ落ちた。非常階段の踊り場に這いつくばり、喉が掻ききれんばかりに声を上げて泣いた。僕は小学2年生に戻ったかのように「ママ、ママ」と泣いた。
僕の10年分の涙が、手の中の小さな赤い実を濡らした。
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