第19話 人獣合身

「ちょ、ちょっと、不忍池の方角から何あれ、火の玉みたい」

 突如、上野の夜空を横切った流星のような光に気がついた人々が声をあげ、それぞれに首をもたげていた。まさかと思いつつも見た以上は、どうしても気にかかる。

 錯覚にしてはあまりにも現実的に見え、そこに存在する確かなものをして認識することが出来たのである。

「何だか女の子が飛んでいったみたいだったぞ」という声や「その後に薄気味悪い怪物と髪の長い女も一緒だった」という言葉も飛び交った。

 そこにいる普通の人々は、周囲を徘徊する奇怪な生き物たちの存在には何一つ気がつかないまま、不安な気持ちと共に夜空を少しの間だけ見上げていた。

 不忍池界隈から吹き飛ばされ、遥か隅田川の川辺に立つ雑居ビルの屋上近くの壁に叩きつけられた志野は、自分でも意識があることに驚いていた。魔子の放った一撃は志野を吹き飛ばしはしたが、同時に彼女のモウリョウ青龍蒼牙が瞬時にそれを防ぎ何とか彼女を守り通していた。

 そうは言っても体のあちこちに痛みが走り、まさにこれ全身打撲かと思わせる状態なのは違いない。体がめり込んだビルの外壁から何とか上半身を起こすと、そこが高さ十数メートルの場所であることに改めて気がつく。すぐ近くに業平橋電波塔がキラキラと光を発し下町の夜景がまだ綺麗に見える。得物の錫華御前はすぐ近くに突き刺さっていた。

「ちょ、ちょっとお…」

 志野は焦るがどうにも出来ない。うっかりバランスを崩せば落下は間違いなしなのは確実だろう。さりとて混乱する頭では空に浮かぶことの出来る術式など思い出せもしない。

「まっずいなあ、この状況…」

 志野はどうにか錫華御前の柄をつかみ、何とか落ちないように踏ん張っているものの、時間の問題でしかない。周囲には空を飛ぶ奇怪なモウリョウどもが様子を伺い、どうやって志野を襲おうか算段しているように見える。ここはどうあっても自力で何とかするしかないわけだが、そんなに考えをめぐらしている暇も無さそうだった。

「嬢ちゃん、よー耐えたわ。普通はあれでしまいやで、褒めたるわ」

 背後にカマスを従え、魔子が志野の近くにやってきた。風になびく黒い長い髪とセーラー服のスカートが妙に艶かしい。そんなことを考えられる志野はまだ、自分には余裕があるのかと思えてしまう。

「し、四神瑞獣の力を甘く見ないで欲しいわね…」

 強がりなのは分かっていたが、そうでも言わないと志野の気分は収まらない。

「この後に及んでもまだ強がりとは、大したもんやな。せやけどあんたはもうおしまいや覚悟せい。四散したあんたの覇力はうちとカマスがいただくで」

 手にした大鎌を突き出して魔子は冷ややかな笑みを浮かべ勝ち誇った。

「そんなこと、させるわけないでしょ。私はまだ負けたわけじゃないもの」

 圧倒的に不利な状況なのは分かっていたが、不思議と志野のは自分が押されているという気持ちにはなっていなかった。むしろこの状況をどう打ち崩すことが螳螂姉妹を倒せるのか、そんなことをずっと考えていた。

「ほんまにどこまでも賢しいお嬢ちゃんや。もうええで、あんたには嫌気がさすわ」

 氷のような顔に狂気を浮かべた魔子は、左を上げて振り下ろす。

「カマス、食い殺しておやり」

 叫ぶ魔子に反応し背後に控えていた怪物カマキリが羽音を響かせ志野に突進する。それに釣られてか周囲に控えていた他のモウリョウたちも一斉に動いた。

 このまま何もしなければ本当に命運は尽きる。この状況を恐ろしいと思っていたが、志野は何故か冷静でいられると感じていた。さらにコンマ数秒のうちに何をすべきが答えを出せていることにも不思議とは思わなかった。

「青龍蒼牙、主たる綾川志野が命じる、今こそ我に力を貸し与え、この邪悪なるモウリョウどもを蹴散せ!」

 叫ぶ志野の声が隅田川の上で響いた瞬間、まさに襲いかからんと突進してきたモウリョウカマスと志野の間に広がった青い光が盾となって渦巻いた。それに正面からぶち当たったカマスは悲鳴に似た雄たけびを上げて引き下がる。共に衝突した低位のモウリョウたちはその場で四散し光の粒となって消し飛んでいった。

「せ、青龍だと…」

 叫ぶ魔子の眼前で渦巻く青い光が一気に周囲へと広がる。目も眩む光が消え去ったそこには青い肢体を持つ巨龍が姿を見せ、その雄たけびでこの場にいるすべてのモウリョウを威嚇した。

 魔子は唇を噛み目の前に出現した四神瑞獣をにらんだ。キズキビトが初心者でもモウリョウは格が違う。そこは絶対的である。

「やーっと出てきたわね蒼牙、お前、本当に来るの遅すぎるわよ」

 志野は文句をぶつけ青龍に凄んでみるが、当の青龍は聞いてないのか聞こえてないのか、動じる気配は微塵も無い。勝鬨橋の時と違ってすぐに現れたということは、今が志野自身のピンチであると認めたということなのだろうかと考えてみる。

「いいわ、そんなこと。今は目の前の相手を倒す。それだけ」

 身を起こした志野は落ちないように御前につかまりながら、自分を助けに来てくれたモウリョウ青龍を頼もしく見上げる。

「フン、己のモウリョウがいくら四神瑞獣といっても、あんたがアホなら関係ないで。そんなことは知っているやろ」

 瞬時、隙が出来たのを魔子は見逃さない。大鎌を振り上げるのと同時に、カマスも青龍を恐れることなく突進する。

「光刃裂撃!」

 先ほどよりも遥かに威力のある閃光が魔子から放たれる。それとほぼ同じくしてカマスも両の腕を振り上げてその手から光の刃を撃ち出した。

 一直線に突進する光の刃は、志野の前に盾となって立ちふさがる青龍に直撃、ズドンという激しくぶつかった激音が周囲に反響する。すべてを終わらせてしまったと思わせるには十分なものだった。

「あは、四神瑞獣青龍、討ち取ったで」と魔子は叫ぶ。しかし、収まっていく激しい閃光の中に彼女は信じられないものを見た。

「な、何や、ま、まさかそないなことが…」

 魔子の視線の先には、青龍の力によって空に浮かぶ志野が青い四神瑞獣を背後に従え、その手には得物を持ち何らダメージを受けた様子も無く存在していた。

「残念だったわね、桜魔子。青龍蒼牙が出てきた以上、あんたの覇力とモウリョウの力では、あたしは倒せないよ」

 志野は叫び、振り返ってかすり傷ひとつ負ってない青龍蒼牙の姿を確認する。

 桜魔子とモウリョウカマスの一撃は確かに強力無比ではあったが、それに勝る青龍の覇力は、瞬時に光の盾を展開してそれを受け止め吸収して無力化していた。志野が改めて命じるまでもなく、主を守る青龍の本能がさせたことであった。

「お、お、お前ら!、ほんまに腹が立つわ!」

 魔子の叫び声はすべてのものを引き裂かんばかりの怒りがこもっていた。

 大鎌を振り上げた魔子は目をむき出して志野めがけ突進した。モウリョウの力の格は認めざるを得ないかもしれないが、キズキビトとしての力の差は圧倒的に優位なのだ。

「怒りで相手を倒すことなどっ…」

 迫る魔子を見据え、志野は己の覇力を高めていく。妙義で修行した時の事を思い出して心を落ち着かせ、迷わず力を一気に覇力を集中させて得物に全てを注ぎ込む。

 振り下ろされる魔子の一撃を下から錫華御前ですくい上げ、志野はそのまま受け止めつつも一気に全力で振り上げた。

「な、」

 バキンという金属同士が激しくぶつかり合う鈍い音と共に、魔子の大鎌が志野の錫華御前でへし折られる。覇力の源、モウリョウとの契りの証である得物が破壊されるということは、まさにその覇力の違いを見せつけられたといってもよかった。

「嘘や、こないなことはあり得ん…」

 歯軋りして叫ぶ魔子だが現実はこの通りだった。後ろへ下がる魔子の手からすり落ちた大鎌が隅田川に落ちて水音を立てた。

「勝負あったよ、桜魔子。私はあなたの命まで取ろうなんて思わない。コタローを解放して東京を立ち去ってくれるならそれでいい」

 錫華御前をグイと突き出し、威嚇十分の覇力を見せつけて志野は言った。魔子が得物を無くしたせいなのか、彼女の後ろに控えるカマスの動きがどこと無くおかしい。全身を震わせ苦しみもがいているようにも見える。

「フフフ、アハハハ…」頭を垂れ見方によっては意気消沈していたかのように見えた魔子は、唐突に腸に響く不気味な笑い声を上げると頭を上げ志野をにらんだ。

「何を阿呆なことぬかしているんや、この嬢ちゃんは…」

「得物を失って、動揺するモウリョウを前に何をするというわけ」

「われら我邪を名乗るものに、この程度で勝ったと思うか、ええ?嬢ちゃん」

 不敵と言うにはこれ以上他に無い冷笑を見せつける魔子は、自信たっぷりな表情を浮かべ志野を威嚇する。その瞳には未だ負けたという自覚はかけらもないようだった。

 返す言葉の出ない志野をもう一度にらみ、魔子は足元の隅田川に目をやった。

「ほう、来たようやな…」

 その言葉につられ志野も黒い川面を見た。ざわっという水面が割れる音がすると背中に傷を負い、片腕となった巨大な蟹が姿を現す。

「あ、あれ巨蟹…」

 あの日、国際通りで見た化け蟹の巨蟹。それ以来の巡りあいにせよ志野にとって因縁のあるモウリョウであることに間違いは無い。この化け蟹が呼んだのか、青龍が招いたのかは知れないが、キズキビトになるきっかけを作った相手であった。

「フン、体に傷を受け、おまけに片腕か。随分とやられて、覇魔矢が折れたならさっさと逃げ出せばいいものをここまで来るとは、もはや因縁やなくて怨念やな」

 唾棄するように見下した言葉を投げかけた魔子は、顔を起こして志野を見る。

「あんたに、いや正確には青龍にか。怨みたっぷりの巨蟹が相手をしてくれるで、嬢ちゃん。うちらがけしかけんでも巨蟹はあんたと青龍を見つけたんや。もう逃がさへんで。せやけど、ここでちょいとうちがこいつを利用させてもらうがな」

 ククと笑う魔子はセーラー服のポケットから真っ黒い短冊を引き出す。

「黒短冊、我邪奥義、人獣合身!」

 魔子はそう叫ぶと右手の指に挟んだ黒い短冊を目の前に掲げ、そのまま夜空に突き出し上空に向けて投げ放つ。空の一点に突き刺さった短冊はそこに亀裂を生じさせ、ガラスが砕けたように割れた穴からはどす黒い覇力が渦を巻いて吐き出てくる。

「な、何が始まるの…」

 事態を把握できない志野にはこれから何が始まろうとしているのか想像も出来ないが、それ自体が恐ろしく邪悪で悪意と怒りに満ちたものであることくらいは想像がついた。

 それを裏付けるかのように、青龍がどこか落ち着きなく顔をしかめ、その空に開いた黒い穴をにらみつけている。

「見るがいい、青龍の嬢ちゃん。モウリョウを従えるキズキビトが最後の最後に打つ手がどういうものかな…」

 叫ぶ魔子の背後にモウリョウカマスがやってくる。夜の闇よりも深く黒い覇力が魔子とカマスを包むように取り込んでいくと、次の瞬間、志野は信じられないものを見た。

「えっ!えええ…」

 振り上げた両の腕で魔子を捕らえた螳螂のモウリョウは、目にも止まらぬ速さで主を一飲みしたのである。

「そ、そんな。モウリョウが主たるキズキビトを襲うなんて…」

 とても信じることが出来ない、という表情を露わに志野の目は事の成り行きを追っていた。

 完全にカマスを包み込んだ黒い覇力はゆっくりと回転し始めると、瞬時に竜巻のような風の渦を作り出し、そのまま隅田川に伸びながら突き刺さっていく。真下にいた巨蟹がその竜巻に飲み込まれて姿を消すと、穏やかな川面が激しく揺れ突然、台風が起きたような様子をそこに見せていた。

「あ、あれ譲之介さん!」

 燐が指差す先には川面に突き刺さった竜巻が夜空に開いた闇の穴と直結し、まるで天と地をつなぐ塔のような光景をそこに見せていた。ゴオオオという激しい音は、耳をふさいでも我慢できるレベルではない。

 逃げた巨蟹を追い、いろは組が手配したモーターボートで隅田川を遡行してきた燐と譲之介は、突然に目の前のそそり立つ黒い覇力の竜巻に驚かざるを得なかった。

「何が起きているの…」と唸る燐だが想像すら出来はしなかった。

「燐殿、あそこに志野と青龍が!」

 今度は譲之介の指差す方向を燐が見上げる。隅田川上空に浮かぶ綾川志野その人と彼女の四神瑞獣である青龍蒼牙。そのコンビが目の前で起きた不可思議な出来事を見てどうすればいいのか途方にくれているようにも見えなくない。初陣の志野には当然かもしれないが、青龍が動かずにいるのが少し解せなかった。

 不意にバーンというその場のものすべてを打ち壊してしまうと思えるほどの轟音が、隅田川に立ち上る竜巻から発っせられた。

「こ、これからいったい、何が始まるというわけ…」

 唇を噛み、崩れ行く竜巻を凝視して志野は叫んだ。

 巻き上げた川の水が雨のように降り注ぎ、水煙を巻き上げる。その奥に潜む巨大な影は、もはや大きさだけで驚くには十分なものがあった。

「あ、う…」と志野は絶句する。

 収まる水煙の向こうに現れたそれは、魔子のモウリョウカマスではあったが、その体躯はゆうに倍以上はあった。

「どうや、嬢ちゃん。ど肝を抜かれたやろうな」

 聞こえる声は魔子その人のもであったが、どこを見渡しても肝心の彼女がいない。

「どこ見とるんや、うちはここや」

 声がすると思しき場所はまさにモウリョウそのものである。カマスの顔をよく見た志野はその額に驚くものを見た。魔子の顔だけがそこに浮き上がっていたのである。

「え、え、まさか、そんなことが…」

「フフフ、これぞまさに人獣合身。キズキビト自らがモウリョウとなってその力を振るう。媒介に他のモウリョウを合わせれば、その力はさらに膨れ上がる」

「巨蟹をそのために」

「そうや、青龍に怨み骨髄の巨蟹が持つ怨念と覇力。力にするんには申し分ない。奥の手のためとはいえ、いろいろと仕込んでおいてもらって正解だったというわけや」

 ククと笑い魔子は志野をにらむ。巨蟹がどうのというのではなく、もはや己の恨みがなせる業と言えなくもなかった。

「さあて、青龍の嬢ちゃん。あんまり時間もあらへんし、今度こそあんたを食い殺してその覇力、全部頂戴したる。覚悟せいや」

 鎌状の前肢を振り上げ、よりいっそう凶暴な怪物に成り果てたカマスが、志野と青龍めがけて勢いよく突進する。巨大な体に似合わずその動きは素早かった。

「そ、蒼牙っ!」

 叫ぶ志野よりも早く、青龍も雄たけびを上げてカマスへと立ち向かう。隅田川の上空でぶつかった巨大な二体のモウリョウが引き起こす覇力の衝撃波は尋常ではなかった。川面は激しい水しぶきを巻き上げ、周囲のビルに亀裂を起こして軒並みガラスを砕いていく。地上では唖然としてこの光景を見上げている人々も巻き込んですべてを破壊し続けていた。

「こ、これじゃあ浅草の街自体も…」と叫ぶ燐だが、川の上で嵐の中に投げ出されたような状態になっているモーターボートの上では、自分の体を支えるのがやっとだった。すぐ隣では譲之介も同じようにして耐えている。

 真正面から本気でモウリョウが激突すればどうなるのか。そんな問いに答えてくれるような状況が目の前で繰り広げられていた。

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