第18話 対決
麻里子の運転する青いスマートは、不忍池の天龍橋から弁天堂に真っ直ぐ続く参道の真正面に派手な音を立てて急停車した。
「ほほう、来おったで魔子」
「そうやな理子。しかしまあ、まさかの真打登場とは、ちぃーと恐れ入るところや…」
「ええやろ。まさに相手にとって不足なしや。ぎょーさん楽しめるで」
弁天堂の階段に腰掛けていた蟷螂姉妹こと桜摩子、理子の二人は、不敵な笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がった。二人にとってみれば意外な人物の登場となったわけだが、より手ごたえのある相手ということでは申し分ないということなのだろう。
夜も更けてきたというのにカラスの鳴き声が不忍池のあちこちから聞こえてくる。上野の町も通りもまだまだ寝静まることを知らぬまま喧騒の渦中にあった。
スマートを降りた志野がまず感じたのは途方も無い恐れの感情を持った覇力の流れだった。むき出しの鋭い本能的な叫びとえばいいのだろうか。そんな色合いを帯びた覇力はそれだけで激しく心に突き刺さる。
「ま、麻里子さん、この覇力…」
「ああ、多分、動物園のじゃないかな。人間なんかより彼らのほうが敏感だし。檻の中じゃ逃げることも出来ないからこうやって叫ぶしかないのだろうけど」
上野の山に視線を流す麻里子の目は悲しみを帯びていた。何のかかわりもない動物たちはただ脅え、震えるしかない。あまりにも無力だった。
「ギャーギャー」と叫ぶ動物たちの声が志野の耳に届き、この場がただならぬ状況にあることを否応なしに自覚させてくれる。そうさせた張本人たちは、この前方にある弁天堂の前で薄笑いを浮かべてこちらを見据えていた。
「あれが、蟷螂姉妹か…」
少し遠くに立つセーラー服姿の少女が二人、麻里子は頭のてっぺんから足の先まで隅々を観察してにらんだ。なるほどただならぬ怖れを感じさせる覇力を全身にみなぎらせていることからも、並みのキズキビトではないことを教えてくれる。
「一卵性双生児みたいですから、どっちが桜魔子で理子なのかわからなかったです」
「そうだねぇ…」
志野に答えた麻里子は「行くよ」と告げ歩き出す。その後に続く志野は、零時前くらいでは、まだそこかしこにいそうなカップルやこのあたりをねぐらにする人々の姿がまるで無いことに気がつく。
「全然人の気配がありませんね、麻里子さん」と歩きながら志野は言った。
「大方、追い払ったんだろうねぇ。薄気味悪さ満点の覇力でもちょっと見せれば、普通の人間なら一目散に退散だろうしね」
そう答えた麻里子は周囲に目をやる。壊された塚から這い出てきたはぐれモウリョウどもか、不忍池の周囲に息を潜めて様子を伺っているのが良く分かる。隙あらば襲いかかるつもりなのか、それとも高みの見物なのかは判りかねたが、この蟷螂姉妹に味方するとなればそれはそれで厄介だろう。今一度あたりを殺意十分の視線でにらみつけ、連中の肝を冷やす。
「ちょっかい出すなよ…」と脅せば多少はおとなしくしているであろうか。
「え、何ですか麻里子さん」
「いや、志野ごめん、独り言だわ…」
麻里子は答え、二人は天龍覇橋を渡りきる。弁天堂を後ろにして蟷螂姉妹が薄笑いを浮かべて待っていた。
「よう来たな、青龍のお嬢ちゃん。とりあえず褒めといたるわ。ビビって逃げださんかったことだけはな」
二人に対して体を横に向け、桜魔子が言った。刺すような冷たい視線は変わらない。
「あんたたち、よくもコタローを拉致って、どこにやったの」
叫ぶ志野は、自分でも怒り心頭なのだと自覚していた。
「威勢がええなあ、青龍の嬢ちゃん。子狐はほれ、あそこや」
摩子が指差す弁天堂の屋根に太く長い杭が突き刺さっていた。そこにコタローが鎖で頑丈に縛られているのが見える。お札が貼り付けてあるということは、それでコタローの覇力を封じてあるのだろう。
「それにしてもまあ、麒麟の嬢ちゃんの代わりに誰が来るかと思えば…そういうことなんやなあ。とうに引退して隠居生活がお似合いの婆さんとは、これまた…」
理子が話の途中でククと笑い出す。
「せやなあ。どんだけぎょうさん強くても、あんたの力はもう往年の勢いには届かんで。
「覇魔矢が自分のアジトに刺さっていても気づかへんなんて、もうお笑いや」
手を腰に添え魔子が甲高い声で笑う。
その声に釣られたのかこのあたりを根城にするカラスたちが一斉に叫び声を上げる。ギャアギャアという独特の鳴き声は耳に障った。
「ふーん」とわざとらしい大きなため息をついて、麻里子は二人をにらんだ。
「はいはい、螳螂のお嬢ちゃんたち、好き勝手放題はこの辺で終わり。あんたたちこそ威勢がいいのは結構なことだけど、これ以上ふざけた真似を続けるなら、ちょっとばかし痛い目にあうことになるんだけど、わかってんの」
麻里子にしては相当にテンションを抑えて二人を威嚇する。
「何を言うかと思えばこの婆さん。あんた、うちらが何のためにこんな東京くんだりまで出向いてきたんかわかっておらへんのか」と魔子が叫ぶ。
蟷螂姉妹にしてみれば、何を今更というところであろうか。
「そんなの知ったこっちゃないわ。それにしてもまあ江戸、いや東京の置塚を本当に手当たりしだいぶっ壊しまくってくれたわね。おかげでモウリョウどもが百鬼夜行でとんでもないことになったわ」
こっちは嫌味をたっぷり込めてという麻里子だったが、二人は意に介さない。
「フフン。それがどないしたんや。夕方、そこの青龍の嬢ちゃんに言うた通り、うちらは麒麟と青龍つぶすために来たんや。使える手駒を増やすんは当然やろ」と魔子。
「そや、それに封陣札や置石の効力がほとんど無くなるほどほったらかしのあんたらが悪いんやで。お陰で苦労なしに封印解き放題だったわ」
理子は笑いながら言う。
そんな言い方をされて麻里子の沸点が上昇しないわけがない。
横でやり取りを聞いている志野は、覇力の流れということではなくても何となく麻里子の気分がかなりヤバイのではないかと思えてくる。
「ああそう、そりゃ悪かったわね。ま、あんたたちにどんな理由であろうとも、このあたしがいる東京でで好き勝手やられたら示しつかないのよ。わかる」
叫ぶ麻里子は感情が昂っているのが自分でもわかる。
「わからんなあ、なあ理子」
「せやな魔子。この婆さんもうろくし過ぎていろいろ勘違いしとんのと違うか」
「おのれの覇力、弱くなっとるのわからんのやろ」
「歳は取りたくないもんや、長生きするんも程々がええで」
「さっさと限界知って引退すりゃ、もちーとは長生きできるんのに、なあ」
二人の暴言は止まるところを知らなかった。
麻里子は自分の中の何かがぷつりと音を立てて切れたの悟った。
「あんたたち、今すぐコタロー解放して退散するなら見逃してあげる。帰って朽木相馬と二条瞳子に二度と東京には近づくなと伝えなさい」
叫ぶ麻里子の声が周囲の空気を震撼させる。
「ほほう、そんな戯言聞くためにここまで舞台を整えて待っていたと思うんか?四神瑞獣朱雀の麻里姫。さっきも言ったやろ?あんたの覇力、往年の勢いは無いと」
これ以上はないと思える凄みを利かし、魔子がにらむ。
「せや、ぎょーさん長生きして来たことだけが覇力の重みになる、というわけじゃないことくらい一番理解してるんはあんたじゃないんか」と理子が麻里子と志野に対して真正面に体を向ける。
「覚悟しや、四神瑞獣二匹討ち取ってうちらの名前を上げたるさかい」
魔子が右手を、理子が左手を横に突き出すと、その手に覇力が光る。同時に手にした得物は先ほど志野が勝鬨橋で見た全長が二㍍はありそうな大鎌だった。
「志野、肝に根性据えて掛かりなさい。これから始まるのがモウリョウと契ったキズキビトの本当の戦いよ…」
そう囁いた麻里子に志野は無言で頷いた。蟷螂姉妹の恐ろしさは先ほどの勝鬨橋で十分に体験している。だが、それ以上のことがこれから起こるかと思うと逆に武者震いさえも出てこなかった。
「うおおおおりゃあ!」と叫びながら魔子が得物を振るう。その刃先は二人ではなく、姉妹の横に鎮座していた大きな置塚に突き刺さって軽く両断する。
真ん中から切断された塚の石が地面にドンと落ちて数秒、弁天島を揺らす地響きが四人の耳に届く。
「ま、麻里子さん!」と志野は叫ぶ。
「案の定、弁天島の鉄鋏を起こすかお前ら…」と麻里子は叫び蟷螂姉妹をにらむ。分かってはいたが、いざ目の前でやられるとさらに腹が立つ。
「せやなあ、築地の巨蟹に弁天島の鉄鋏。江戸の二大化け蟹はその昔、あんたに封印されて怨み骨髄や。その怨念、ぎょーさんその身で受けたらええ」
言い放つ理子の横に広がる蓮池がゴウと不気味な音を立てて盛り上がった。巨大な生物が池の底から這い出てきたというところであろうか。バッと水面が割れ、巨蟹とは姿の異なる化け蟹がその身を現した。
「ちっ、何てことをねぇ…」数百年ぶりに再会の麻里子と鉄鋏は、互いにその姿を確かめたという感じでにらみあう。
さらに鉄鋏の復活に息を吹き返したのか、不忍池の周辺で息を潜めて成り行きを見守っていたモウリョウどもが次々と駆けつけ、麻里子と志野に不敵なにらみをみせる
「さて、役者はそろったで」と魔子は居並ぶモウリョウどもを見渡し麻里子に叫んだ。
「今夜はマジもんの百鬼騒乱やで」
手にした大鎌を一度振るい、理子も満足げに笑う。
目の前すべてを埋め尽くす不気味な化物どもの群れに、初めての志野が怖気づか無いわけがなかった。もちろんそんな素振りは見せないようにするのが喧嘩の鉄則である以上、表面上はそ知らぬ顔をしているものの、心中は穏やかでない。
横目で麻里子をみると、明らかに不快な表情を浮かべ、もはや爆発寸前と言う雰囲気に見えた。
『麻里子さんがマジで切れる時は、見た目は冷静そのものだけど、そんな雰囲気は一切見せないから注意してね。もっとも離れていても分かるくらいの物凄い荒れた覇気が発散されているのがすぐに分かるけど…』という燐の言葉を志野は思い出す。今の麻里子は確かにそんな状態だった。
「いくら数をそろえようとも、四神瑞獣相手にして本気で勝てると思うか」
ドスの利いた麻里子の声がこの場に響く。一瞬だが周りのその他大勢組モウリョウが萎縮する。
「じゃかしいわーババアがっ。能書きは勝ってからほざきやがれ!」
叫ぶ理子が地面を蹴った。それに大小さまざまなモウリョウたちが続き、鉄鋏も動く。
「来るわよ、志野。蔵王丸!」
「錫華御前!」
麻里子と志野はほぼ同時に叫び、それぞれの得物を手にする。太刀を腰のベルトに装着するやいなや抜刀した麻里子は、迫るヤモリに似たモウリョウをまとめて三匹叩き斬る。
「はあああああ!」と気合を込めた声で叫ぶ志野も下手からの切り上げで、醜悪な肢体をさらす百足モウリョウを両断する。戦うと決めた以上、志野も迷いは無かった。
「朱雀の麻里、覚悟おお!」
振りかざした大鎌を一気に振るい、空気をも両断する勢いで理子は麻里子に迫った。バキンという金属同士が叩き合う鈍い音が響き、麻里子が蔵王丸で理子の大鎌を払いのける。さらに一度、二度、三度。振り下ろされる理子の大鎌は、麻里子の蔵王丸に受け流されるが状況は五分だった。
加えて目覚めた鉄鋏が自慢の豪腕を振り下ろし、麻里子を潰そうと割って入る。それをよけるのはさほど難しくは無いにしても、気をつけなければならないのは確かだった。
「ま、麻里子さん!」と叫ぶ志野に向かい、魔子の大鎌が空気を引き裂く。それを御前で払いのけた志野は間合いを取るが、そこに別のモウリョウが飛び掛ってくる。左からの真っ向両断で切り捨てた志野はさらに降りかかる魔子の鎌をまたも、寸前で払いのけた。
「青龍の嬢ちゃん、よそ見しているとあんたが先にお陀仏や。気いつけや…」
ククと笑う魔子は志野を睨む。背後に控えた蜥蜴紛いのモウリョウが五匹ほど半身を起こし、不気味な鳴き声で志野を威嚇した。
『こ、こんなことで持つのだろうか…』摩子と相対する志野にそんな気持ちが湧き上がる。まだ数度斬りあっただけではあるが、摩子は恐ろしく強烈な覇力で志野に迫り圧倒しようとしてくる。負けるものかと思いつつも経験に裏づけのない志野の心に不安がよぎるのは仕方が無いことであった。
『燐さんがいてくれたら…』と思う志野だが、彼女に頼れる状況ではないし、何時までも彼女を当てにするわけにもいかない。自分の力でここを切り抜けない限りキズキビトとして、いろは会で戦っていくことなど出来るはずが無いと思う。
志野はギュっと錫華御前の柄を握り、さりとて必要以上に気負わないよう気持ちを落ち着けながら目の前に対する桜魔子をにらみ返した。
『そうだ、私はお前なんかに負けない…』深呼吸をして焦りと迷いを振り払い、志野は自分が出来ることをやるだけだともう一度心に言い聞かせた。
「さあ、嬢ちゃん、夕方の続きや、今度は逃がさへんで」
すっと左手を上げた魔子に命令されるまま、ヤモリ風のモウリョウが志野に飛びかる。同時に五匹が中を舞い、大口開いて牙を光らせ志野に迫る。
『この後に魔子が来る!』察した志野は五匹のヤモリを一気になぎ払うと魔子に備えた。
「往生せえやああ!」
振り下ろされた大鎌はこれまでにないスピードで志野を襲う。その一撃をどうにか払った志野は魔子が腕を振り回して大鎌の向きを変えるわずかな隙を見逃さない。
「覚悟っ!」
志野は地面を蹴って飛び、槍のように錫華御前を突き出して魔子の懐に迫る。その一撃は魔子の横腹をかすめセーラー服を切り裂くもの紙一重でかわされた。
「こ、この嬢ちゃん、チッ…」
まさかの一撃を受け、間合いを取って下がる魔子。よもや素人にという思いが頭の中を巡り、自分が押されているのではあるまいなと自問する。しかし、現実は右腹の痛みとして己の迂闊さを痛感させてもくれる。
「フン、多少はやれるようやね」
フーと息を吐き、魔子はまた志野をにらむ。夕方と同じような失敗はするわけにいかない。もちろん逃げられるなど論外である。
「み、見くびらないでよね。私だって四神瑞獣の主なんだからっ!」
志野は怖さを紛らわすために叫んだ。半分以上強がりではあるのだが、己を奮い立たせるにはそうでも言わないと気負けしそうだった。
「四神瑞獣が何だと言うんや?モウリョウの格なんてくそくらえや。強いもんが勝つ。それが戦の道理やで」
振り回す大鎌を構えなおし魔子は己の覇力を高めていく。その背後が光を放ち、勝鬨橋で散華したはずの彼女の螳螂モウリョウ、カマスが姿を見せた。
「お嬢ちゃん、逝きやああああ!」
振り下ろされた魔子の大鎌から、これまでに見たことも無いような閃光が打ち出され、志野に襲いかかる。蔵前高校で二条瞳子が燐たちに向けて放った光の渦と同程度の威力が十分に感じられた。
「そ、蒼牙っ!」と己のモウリョウの名を叫ぶ志野は、錫華御前をくるりと回して防御の構えを取り衝撃に備える。持ちこたえられるのか、受け止めきれず押し込まれて跡形も無く消えうせるのか、そんなことをコンマ数秒の中で志野は考えていた。
バーンと何かに激しくぶつかる音と共に、志野は自分が魔子の光弾攻撃に耐え切れずその場を吹き飛ばされていく感触を得ていた。
『こ、これで終わりなの、私じゃ無理なわけ』という思いが頭を横切るが、その直後に固いものに自分の体がぶつかり、そのままさらに後ろへ引きずられながら壁か何かに激突したと感じる意識が志野にはあった。
「し、志野っ!」と叫ぶ麻里子は自分も激戦中とはいえさすがに驚く。この戦いが生易しい展開で終わることなど無いと分かっていても、いざ目の前で見れば唇を噛むというものだ。
「おやおや、青龍のお嬢ちゃんは、えらいことになってしもうたねぇ」
ククと笑う理子は、麻里子を見下して言い放つ。彼女としてはそれこそ当然の結果と言えるのだろう。
麻里子は志野が飛ばされた方向に眼を向ける。魔子の放った技の一撃に何とか耐えたもの、志野は吹き飛ばされ建物の壁に激突してのめり込んでいる。そんな光景が想像できた。
「お前ら…」
意識せずに蔵王丸を握る手に力が入る。ふっと周囲を警戒する意識が切れた瞬間をモウリョウどもは見逃さない。左右から襲いかかる連中を即座に切り倒し麻里子は理子に切先を向ける。
「今夜、お前たちは私が倒す。覚悟なさい」
「さっきも言うたはずや、能書きは勝ってからほざけとな」
同時に地面を蹴った二人は大鎌と蔵王丸を激しく打ちあわせる。モウリョウの格としては差がある二人ではあったが依然、互角の戦いを続けていた。
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