第6話 魔砲使い
東へ向かう物資輸送の列の中、ひときわ豪華な天蓋付きの馬車が混じっている。このあたりの開けた平原は碧王軍の勢力下だが警戒は緩めない。補給路を叩くのは戦争の常套手段でもあるからだ……というのをアニメか漫画で読んだ記憶がある。
通る道はデコボコしているものの、馬車ないの揺れは想像していたよりずっと少なかった。
マレンとミリィ、それに女騎士のミアはそんな目立つ馬車に乗っている。
(転生前に使っていた通学バスくらいの揺れね)
不快なディーゼルエンジンの振動がない分、馬車の方が性に合っていた。
きっと車輪を支える機構が優れているのだろう。降りたらチェックしてみたくなった。こういった工学的な知識や技術にマレンは心惹かれる。その理由は拷問具に応用できるからだ。
弾性に優れたバネや強度の高いボルトが手に入るなら工作の自由度が増す。金属を曲げたり加工したりする技術も重要だ。現代日本にいた頃、ホームセンターに足繁く通った記憶が蘇る。あれのおかげで工具やら木材やらに詳しくなったものだ。
「あの…… 本当に大丈夫ですか、マレンさま」
隣の席には付き人のミリィが座っている。
初めて会った時も同じセリフを聞いた。黒髪のミリィは修道服の胸のあたりでギュッと両手を合わせて、不安そうな顔を浮かべている。曇りない笑顔で返してしまうと違和感があるから、陰のある声音を作って「大丈夫です」と答えておいた。
「この馬車は乗り心地が良いですし、酔うこともありませんね」
車内は装飾が施されていて、シートのクッションは適度に柔らかい。揺れたときに捕まるグリップまで彫刻が施してある。疲れず移動するには持ってこいだった。
マレンの向かいに座るミアは腕組みして外を眺めている。帯剣しておらず、鎧も着ていない。動きやすそうな黒インナーの上にマントを羽織っている。その服があまりにも見事にボディラインをトレースしているのでどんな素材なのか不思議だった。
(ゴム……ではなさそう。通気性と伸縮性があるのは間違いない。この異世界独自の技術かな?)
チラリと見えたミアの腹部は六つに割れていた。それが薄手のインナーの上からも見て取れる。華奢に見えても鍛え上げているのだろう。
ならば、その腹筋を砕いたらどんな反応をするだろうか。横隔膜を叩けば呼吸できなくなり、酸欠に陥る。紫色に内出血した腹と、酸素を失って紫色に染まった顔を想像するだけでヘソの下あたりがムズムズしてきた。
「聖女マレン、どうされました?」
「あとどのくらいで到着するのかと思いまして」
視線に気付いたミアに別の話題を持ち出す。もしかしたら腹筋をチラ見する顔から邪気が出ていたかもしれない。浮かれていたのを自ら認め、マレンは気を取り直す。
「太陽が沈む前に宿営地を作ります。到着は明日の昼ごろになるでしょう。もっとも、この輸送団の指揮を取っているのは私ではありません。あくまで荷物のひとつとして隊列に加えてもらっているだけなので保証はできませんね」
「よ、夜は安全なのですか?」
「ミリィ殿。それを望むのであれば、ここより東には滞在できません。敵の勢力地が近いですし、街と違って野生の獣も出ます」
「ご、ごめんなさい……」
「ですが、あなた方は我々が必ずお守りします。どうぞ唯一神に祈っていてください。碧王軍に加護があるようにと」
ミアの言葉通り、輸送団は日が暮れる前に止まって宿営地を作った。兵士たちは皆、手慣れた様子でテントを張って火を起こす。マレンは興味本位で様子を見回ろうとしたが、ミアに止められたので馬車の中で待機した。完全に暗くなった頃に食事が運ばれてくる。
芋のようなものが煮崩れた、粘性の高いスープとパンだった。ミリィと一緒に馬車の中で食べ終えると、兵士が食器を回収しに来る。
訪ねてくる男たちは興味深そうにマレンの顔を見た。敵兵に穢されたという噂は輸送団の中にも広まっているらしい。好奇の目に晒されているのが自覚できる。
「お二人は馬車の中で寝てください。私は外で警護にあたります」
食後に姿を現したミアはちゃんと鎧を着込んで帯剣していた。マレンは彼女に向かって聖印を切り、無事を祈るフリをしておく。殆ど外に出られないのは不服だったが、逆らって不信感を抱かれるよりはマシだろう。今は聖女の役を演じておくに限る。
付き人のミリィはよほど疲れていたのかすぐに寝息を立ててしまい、一人残されたマレンは馬車の内部を調べてみた。
(これだけ豪華なのに窓にガラスは使われていない。そもそもガラスを製造する技術がないか、薄く作れないだけか……)
尻の下のクッションを押してみるとバネの手応えを感じた。皮の質感から察するに牛に近い動物のものだろう。ついでに縫製も確認してみる。縫い目は綺麗に揃っていて、これを作った職人の腕が確かなものだと分かった。
天蓋を支える柱部分の彫刻は立体的でありながら繊細、場所によっては金箔や宝石が施されていた。文字が彫られている箇所もあって、マレン本来の知識があれば読むこともできる。「我らの王と全能なる神に感謝を」とあった。
つまりは王政が敷かれていて神という概念が存在し、文書化もされている。なんとも分かりやすい中世ファンタジー的な世界だ。
(馬には鞍が乗っていた。動物の皮をなめす技術もある。金属を精製して加工もしている。武装している兵士は剣だけじゃなく、槍や弓も持っていた。袋状の水筒も見た)
様々な薬草の知識を持つマレンの身体だったが、武器には全く詳しくなかった。それは転生前の自分も同じである。この異世界における戦争がどんなものなのか、目で確かめるまではなんとも言えなかった。
少なくとも金的や目を潰せば痛がるし、暴行すれば死ぬことは分かっている。だから身体能力に関しては地球人並だと仮定しておこう。そうなると戦争行為というのは弓矢で射て、槍を突き回すものと推測できる。
(もしかしたら火薬が発明されているかも。けれど火砲の類は、この輸送団の中では見ていないからなぁ。東部戦線ならあるとか?)
考えれば考えるほど頭が冴えていく。いっそのこと、ミアに根掘り葉掘り聞いてしまえばよかった。怪しまれるかもしれないけどスッキリ寝れたことだろう。
異世界というのはなんと面白いことだろうか。日常がループしている錯覚に陥った現代日本の生活とは全く違う。ここに来て生まれて初めて自分らしく在れたとすら感じた。
マレンは興奮する心を鎮めるため、夜風に当たることにした。外には出るなと念押しされていたので移動は馬車の目と鼻の先だけに留めておく。
見渡すと平原の道には松明の灯りがポツポツと並んでいた。輸送団のものである。目を凝らすと兵士たちが巡回していた。夜襲を受けたとしてもこれだけ開けた場所ならすぐに気付くだろう。
馬の嘶きに兵士たちの声も聞こえる。輸送用の馬車たちがジッと身を寄せ合って休んでいる光景は不思議と落ち着いた。
「風が心地いい」
空気は澄み切っている。呼吸すると清浄さが肺に広がるようだ。引き換えに腹の底はどこまでも邪悪なのだが、それは置いておく。
マレンは夜空を見上げた。サイズの異なる月が三つ並んでいる。それが明るすぎるせいか他の星は目立たない。
「紫の頸木は、みっつの月の交わる日、ななつの丘にある」
敵国の兵士を拷問して聞き出した言葉を復唱してみた。忘れぬようにメモを取っておいたほうがいいかもしれない。確かマレンの荷物の中に、紙とペンがあった筈だ。馬車の中に戻ろうとしたとき、マレンは月の中に黒い点が移動しているのを見つける。
「こんな夜に鳥?」
点が降下していく。闇夜に紛れるとそれはあっという間に見えなくなってしまった。
それからわずか数秒後、地平線が激しく光る。一瞬だけ昼みたいに明るくなったかと思うと、焚き火の何百倍も大きいオレンジ色の塊が輸送団目掛けて飛んできた。冷え込んでいた空気が一気に上昇し、蒸し暑さで肌が焼かれる。
本能が危険を告げ、マレンは咄嗟に馬車の中に避難した。そして寝息を立てるミリィの上に覆い被さって身を硬くする。
その直後、爆発音が轟いて馬車が大きく傾いた。あまりの音と光に驚いた馬の鳴き声が聞こえる。
「えっ? あっ……マレンさま!?」
起きあがろうとするミリィをマレンは押さえつけた。爆発とともに発生した衝撃は地面ごと馬車を掬い上げ、横転させてしまう。悲鳴をあげてパニックに陥るミリィを抱き締め「落ち着いて。ここにいて」と声をかけた。
ドアは本来なら横にあった筈なのに、転がったせいで上側になっている。マレンはよじ登ってみたものの、ドア自体の重さもあって退けることができない。僅かに浮かせたところに腕を捻じ込んでストッパにし、外の様子を確認する。
「これは……」
オレンジ色はあたり一面に広がっていた。平原が燃えている。
兵士たちは逃げ惑い、運んだ積み荷は尽く灰と化した。
「聖女マレン! ミリィ殿!」
すぐ近くから聞き覚えのある声がする。女騎士・ミアのものだ。
ミアは横転した馬車の上へと這い上がり、マレンの腕が挟まったドアを壊して退けてくれた。
引き上げられて外に出た二人だったが、周囲の惨状を目の当たりにして言葉を失う。
「ミアさん、これは一体……」
「ちくしょう、やられた! こんなところにあいつを配置するなんて!!」
ガラリと口調を変えたミアは乱暴に吠えて、馬車の車体を蹴り上げる。昼間とは別人のようだったが、こっちが本来の性格なのだろう。怯えるミリィの肩をマレンは抱き締めてやる。
「もしかして、敵の襲撃ですか? それにしてもどうやればこんな……」
こんな現象は転生前の知識にもない。火球が飛んできて爆発するなんて、近代兵器でも使われたのだろうか。ミサイルや爆弾は興味の範囲外なので詳しく知らないが、少なくとも中世の地球にはこんな兵器はないだろう。
さすがのマレンも混乱してきた。自分が生きているのは限りなく偶然に近いからである。もしも、もう少し輸送団の前の方にいたら黒焦げにされていた。
「失礼、取り乱しました。補給線を狙った奇襲です。生きている部下を集めて退避しますのでついて来てください」
「これが、奇襲?」
「はい。本来であればあいつらは全線で睨み合っている筈ですが、完全に虚をつかれました。敵の魔砲使いが襲ってきたのです」
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