第5話 聖女の決意
蝋燭の日で照らされた寺院の中、大男は痛みに耐えかね意識を失った。
最高の時間はあっという間に終わってしまい、マレンは大きな溜息を漏らす。
これほどの大男でも金的と目を潰したらあっという間に戦意を失ったのである。片方ずつ残しておいたのが功を奏したようで、残りも潰すと宣言したら大男は「碧王軍の秘密」とやらをアッサリと白状した。
あまりにつまらない展開になってしまい、今度は悲鳴が寺院の外に届かぬように大男の口蓋に布を詰めて焼けた炭を股間に押し当てた。陰毛の焼ける臭いは不快そのものだったが、大男の泣きっ面は痛快だった。
現代社会において拷問はあらゆる法規によって禁じられている。表向きはそうでも裏向きは違っていた。外に情報が出ない独裁国家では平然と拷問(性質は処刑に近いが)が行われているし、中東に戦争を吹っ掛けた超大国でも同じことをしている。女性兵士が尻に敷いた革命戦士たちの記念写真はあまりにも有名だ。
だから、日本という平和な国に生まれただけで拷問する機会そのものがないのは不公平ではないかと感じていた。もしも自分が海の向こうで生まれていたのなら然るべき国家機関に入り、暴力を武器に言葉を引き出す役目を背負いたかった。そんな自分が異端者だと自覚しつつ、誰にも使うことのないラックや首絞め器を淡々と作る生活を送ってきたのだ。
初の拷問の中でマレンは走馬灯を見た。古い自分が死んで、新しい自分に生まれ変わったからだろう。振り返った人生は退屈でくだらない。人間の末端部を痛め付ける方法や、実際に存在した責苦を知識として得ているときを除けば幸せを感じたことはなかった。
子供の頃…… クラスメイトを「スパイごっこ」と称して、縄跳びで椅子に縛ってプラスチックのバットで叩いたことがある。秘密を話せ、と息巻いて殴るのは快感だった。けれど担任の先生に見つかって酷く怒られ、両親が学校に呼び出されてしまった。
母親からは「他人の痛みを分かるように」と道徳的な本を音読させられ、父親からは「誰にだって尊厳がある」と長い長い説教をされた。苦くて嫌な思い出である。それからはひたすら妄想の中で拷問を続けた。
試しに野良犬を捕まえて遊んだことがあるが、動物を殴っても楽しくない。あいつらは喋らないから。
そういった意味で、紅王軍とやらの大男は逸材だ。暴力の恐怖をよく知っていた。反応もいい。惜しむらくは根性がまったく足りなかった。
「さて」
マレンは気絶した大男を見下ろす。
例えば、気を失ったこいつの鼻の穴から細い火挟を差し込み、脳みそを貫けば殺すことだってできた。しかしそれをやってしまうと証拠が残る。過失で殺したならまだ言い訳できそうだが、この状況ではそれも難しい。
死んだ身でありながら他人の身体に乗り移って生まれ変わったのだ。それもくだらない束縛のない異世界に。楽しまなければ損である。
しばし考えを巡らせ、マレンは自分の修道服を破いて男の血を塗りたくった。下着と靴を脱ぎ、乱雑に投げ捨てる。それから埃っぽい床を指で撫でて目を擦った。ゴミが入って涙が出てきたのを確認する。
あとは演技力次第。一度、深呼吸してからマレンは寺院の外へと駆け出した。敵国の逃亡兵に組み伏せられ、純潔を奪われたフリをして村人たちに助けを求める。遠巻きに野次馬をしながら恐怖に沈んでいる男衆だったが、聖女を穢されたと知るや怒りに染まった。マレンはそこへ「大男は怪我で弱って気を失った」と吹き込み、集団で襲い掛かれば倒せるのだと煽動する。
あとは全部、マレンの思い通りに事が運んだ。大男はリンチされて死に、些細な暴力の証拠は掻き消されたのである。
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
宿屋の一室。
ミアと名乗った女騎士の姿を目の当たりにしたマレンは「ゲームに出てきたら真っ先に負けそう」などと不謹慎な感想を抱いた。銀髪で褐色肌、背も高くて鎧をまとったミアは絵になっていたものの華奢でどこか人形めいている。彼女が村人たちと明らかに人種が違うこと、王都から来た西方人であることを事情聴取の中で知った。
「聖女マレン、事情は把握いたしました」
沈痛な面持ちのミアは目を伏せてこうべを垂れる。マレンの視点から今回の事件のことを話したら当然の反応だった。部屋の隅ではミリィが両手で顔を覆って嗚咽を漏らしている。ミリィは寺院の中に連れ込まれたが、聖堂とは別にある竈門の前にいたので直接的な被害は受けていない。ただ、マレンの口から語られた話に涙しているのだ。
「あなたの御心を踏み躙った者に強い怒りを覚えます。また、我々の力も至らなかった」
「いえ……」
「東部戦線への慰問は中止してください。あなたの御身は私が責任を持って送り届けましょう。唯一教会に戻り静養してください」
ミアの申し出は本来であればありがたい。しかし、真実と事実は乖離している。大男を拷問して得た情報をマレンは握っていた。何故、大男は捕虜として前線から連れて来られたのか?
どれほどの狼藉を働いても碧王軍が彼を見逃すというほどの秘密とは何だったのか?
実のところ、必要なパズルのピースは揃っていない。大男が持っていた情報というのは単独では何の意味も成さない代物だった。
(確か『紫の頸木は、みっつの月の交わる日、ななつの丘にある』って言っていた)
詩的な意味をマレン本来の知識では理解できなかった。辛うじて「みっつの月」というのは夜空に浮かぶ衛星のことだと判断できる。この異世界には月が三個あるのは昨晩に確認済みだ。しかしそれが交わるとはどういうことなのだろう?
それに「ななつの丘」がどこなのかをマレンは知らない。頸木は家畜を繋ぎ止めておくものだと分かるが……
(別に今は分からなくていいか。まぁ、どうせ一回は死んだ身だし)
西に戻れば安全だとはミアの弁である。マレンは安全なんて望んでいない。
人を痛ぶる味を完全に覚えてしまったのだ。あれをもっと味わいたい。そんな仄暗い衝動が腹の底から湧き出て、血流に乗って全身を巡った。こんなに楽しいことは生まれ変わるまでなかったのである。
人死が多い場所へ行けば、またチャンスが巡ってくるかもしれない。捕虜がいるのだから情報を聞き出すという体で、拷問ができるかもしれない。口実なんていくらでも考えつく。敵に穢された復讐だとでも言えば、筋は通る。
「私は東部戦線で傷ついた兵士たちを癒すためにやって来ました。ここで帰ってしまっては意味がありません」
「しかし、あなたの身は……」
穢された、という言葉をミアは呑み込んだ。マレンは強がっているような笑みを浮かべて「薬草術の効力に変わりはありませんから」と否定してみせる。実際、関係ないのだから事実を述べたまでだ。
「お願いします。送り届けてくださるなら東へ」
「決意は堅いようですね」
「はい」
「……承知しました。あなたの身は、必ずや守ってみせます」
恭しく傅くミアの姿に、マレンは心の底から笑った。
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