第3話 ふたつがひとつに
暴走馬車は碧王軍の護送車両で、大男は東部戦線で捕らえられた紅王軍の捕虜だった。
王都へ運ばれる途中で暴れ出し、両腕の自由がないにも関わらず護送兵を殺し、御者を蹴落として馬車を暴走さて村に突っ込んできたのである。
大男はマレンとミリィだけを連れてディーシト寺院に立て篭もった。院長を含めて僧侶全員が退避させられ、村には重苦しい雰囲気が漂っている。
勿論、長居すれば碧王軍がやって来る。ここは東部戦線への中継地点のひとつだ。
大男はバカではない。まず、ミリィに命じて工具で手枷を壊させた。手枷は2枚の金属の板を曲げて作ったもので、片側はヒンジ構造になっていて、その反対側はボルト(と呼ぶには工作精度が低い)で留める構造となっている。
ミリィは竈門から持ってきた火バサミをボルトの頭にねじ込んでテコの原理で壊し、大男の不自由を解いた。
(錆止めの油を塗ってある。材質はステンレスじゃない。それにボルトという概念が存在しているのね……)
一方のマレンは手枷を拾いつつ、構造と材質を分析していた。ボルトの頭は金属疲労で破断したように見える。
散々、拷問具を自作してきたのでこういった知識は豊富だった。
「おい、そっちの修道女! お前は傷を治せるんじゃなかったのか!」
礼拝堂の真ん中に居座り、胡座をかいた大男が怒鳴ってくる。マレンは申し訳なさそうな表情を作り、カバンの中から乾燥させた薬草を取り出した。
それぞれの効能は分かっている。元のマレンの知識から引き継いでいるからだ。
しかし、この身体の持ち主にない現代の地球の知識も持ち合わせている。
(細菌という概念が生まれる前の世界らしいから、傷口を洗って消毒するって概念がない)
さて、どの程度まで治療しようか。
マレンはしばし迷う。
こいつは派手な怪我をしているものの五体満足で、動きは鈍っているが女二人でどうにかできる相手ではない。
(それもまぁ、真正面から殴り合ったらの話だけど)
ミリィに院内を探させて布を集め、それを割いて大男の血を拭った。それから傷口の開いた場所を縫合し、血止めとなる薬草をすり潰して塗り込み包帯を巻く。
なるほど、これだけの手際の良さなら聖女と着目されてもおかしくはない。自分の治療行為がなんだか遠い他人の偉業に思えてくる。
大男は最初こそ威圧的な口調だったものの、治療が進むにつれて次第に大人しくなってきた。マレンはタイミングを見計らってパンと水の入った皮袋を手渡す。
「食べ物と水です」
「お前がまず口を付けろ」
「毒を盛ったとでもお思いですか?」
「ふん。碧に与する教会の人間なんて信用ならん」
ここまでは折り込み済み。
大男が疑うのは予想していたので、毒なんて入れていない。
マレンはジッと大男を見ながらパンを齧り、水で流し込んでみせる。ようやく信用したのか大男は食事を自分の口に運んだ。食べ物が胃に入ったことでかなり落ち着いたらしく、深く息を吐いた。
「痛みが引いてきやがった。足がスースーする。これが薬草術ってやつなのか」
「はい。メルカバの葉には止血作用があります。それとドリベアの亜種の根は鎮痛効果を持ち、これを傷口に塗れば……」
「退屈な御託は聞きたくねぇな。外はどうなっている?」
「ミリィ」
声をかけられたミリィは礼拝堂の正面の扉まで走り、僅かに隙間を開けて外の様子を確認した。大きな黒い目は今にも泣き出しそうである。
「村の人たちが寺院の様子を見ています。兵隊さんはまだ来ていません」
「直に囲まれます。手当はしました。逃げるなら早くしたほうがよろしいでしょう」
「ふん。誰にモノを言っているんだ?」
「あなたは、兵士だけでなく村人をも殺してしまいました。見つかれば殺されるかもしれません」
「俺はな、碧王軍の秘密を握っているんだ。こんなチンケな村の住民を殺したところで、俺の首が撥ねられることなんてねぇよ」
「秘密?」
聞き返すと大男は不敵に口端を持ち上げる。見かけに反して、敵軍での地位が高いのかもしれない。
大男はよろよろと立ち上がり、マレンの前に立つ。身長はともかく、体格は倍以上。
ちょっと腕を掴まれただけでも骨ごとへし折られそうだ。
「そうさ、秘密さ。だから碧王軍は俺を殺さない。わざわざ王都まで運ぼうとしたくらいだからなぁ。だが護送兵がバカ揃いで、あろうことか俺の横っ面を殴りやがった。腹が立ったから殺してやったよ」
「そういうことですか……」
馬車が村に突っ込んだとき、兵士の死体が出てきた。彼らのことを言っているに違いない。
こいつの腹癒せで村人も巻き添えを喰らったわけだ。
「さぁて、ここんとこ戦続きでお楽しみがなかったからな。ちょうどいい。あっちのチビに俺の相手をしてもらおう」
「私は、あなたの傷を治しましたよ? 約束が違うではありませんか?」
「おいおい、ぜんぜん治ってないぜ」
「あとは自然回復を待つしかありません」
「話の通じない女だなぁ、コッチはギンギンに腫れ上がって痛てぇんだ。さっさとしろよ」
にやけ面で、膨らんだズボンの股間を指す。
指名されたミリィは青褪めて涙を浮かべていた。
咄嗟に駆け寄ったマレンは彼女の肩を抱きしめ「大丈夫」と小さく告げる。
「ミリィ、竈門に火を入れてきて。それと私が『いい』というまで戻ってこないで」
「マレン様!?」
「言うことを聞いて。さ、早く」
嫌がるミリィの背を押し、礼拝堂から逃すとマレンは大男に向き直った。
それからゆっくりと近づき、床に膝を突いてズボンを脱がせる。
「彼女はまだ子供です。私が相手をします」
「ほぉ〜? 修道女様のクセに殊勝な心がけだなぁ?」
「……」
黙ったままマレンは男の腰に手を回す。視線は股間と同じ高さ。
おぞましい光景に吐き気がしてきた。あからさまに嫌がる様子に大男の嗜虐心はくすぐられ、「早くしろ」と命令を放つ。
たっぷりと時間をかけて、マレンは背けた顔を戻した。
大男は神に近しい存在になった気分を味わう。敵国とはいえ、唯一教会の修道女……つまりは神の下僕を穢しているのだ。
これほど高揚するのは、戦場で次々と敵を斬り伏せた時以来である。
そんな心中など察する余地のないマレンは、たどたどしい愛撫を始めた。全ての動作がぎこちなくて、まるで慣れていないのが分かる。
だがその不慣れさが心地よい。この女にとって、最初の男になったのだという確信に邪悪な笑みが浮かぶ。
そうこうしているうちに、修道服のヴェールがずり落ちて大男の竿に引っかかる。
泣き出しそうなマレンの顔が見えなくなり、男の興奮がやや冷めた。乱暴にヴェールを剥がそうと手を伸ばしたその瞬間、耐え難い激痛が男を襲う。
「がああああっあああッ!?」
股間で何かが爆発した。そう錯覚するほどの痛みだ。
大男は立っていられず、仰向けに倒れる。その勢いで頭を打って一瞬だけ意識が飛んだ。
脚を内側に曲げて両手で股間を押さえると、片側が完全に萎んでいた。
「あっ!? な……」
「んんん〜 2個同時に潰すのは無理よねぇ」
嘲る声と共に、側頭部に強い衝撃が走る。倒れた状態で頭を蹴られてまたも意識が飛んだ。
次に目が覚めた時には視界に金髪の修道女……マレンの顔があった。
ただし視界は半分だけ。左側の目は強い力で押さえられていて何も見えない。
「えいっ」
マレンは躊躇いもせず親指を大男の眼窩に差し込む。
ぷちんという、なんとも他愛ない音と共に大男の視界の半分は永久に失われた。
怒りの咆哮と共に起き上がり、馬乗りになったマレンを吹っ飛ばすが足取りはおぼつかず真っ直ぐに立てない。
「いやぁ、こういう時のために練習しておいたんだけどさぁ。らっきょうとかニンニクをペンチで潰したり、オレンジに親指を差し込んで穴を開けたり。イメージトレーニングって大事なんだなぁって思う」
一方のマレンは心底楽しそうにヘラヘラ笑って立ち上がる。
手には血の付いた火バサミを持っていた。
大男の手枷を壊した火バサミと同じもので、マレンはそれを修道服の中に隠し持っていた。
火バサミ支点の部分で大男の睾丸を挟み込み、ペンチのように力を入れて潰したのである。
手元を見られないように、自分の頭からヴェールを落として隠すという念の入れようだった。
「このクソ女がぁぁっ! 狂ってやがるのか!?」
「否定できないなぁ。でもマレンの知識も大したモノだよ。いや、マレンってのはこの身体の主のこと。痛み止めは処方量を守らないと麻痺に至る……ってちゃんと資料にメモしてあるんだもんね」
ようやく大男は気付いた。
暴走馬車の衝突で負った怪我の痛みが殆ど消えていることに。
脚を中心に塗りたくられた痛み止めの薬草は確かに効果があった。しかしそれは足からのフィードバックを打ち消して、正常に立ったり歩いたり事を不可能にしてしまったのである。
加えて、何度も頭部にくらった衝撃のせいで吐き気がしてきた。脳震盪を起こしている。
うまく身体を動かせなくなっている。
「ありがとう。今まで、拷問ってイメトレだけしかできなかったんだよね。だって現代日本でそんなことしたら捕まっちゃう。だからキミが私の初めての男になったんだ」
マレンの纏う異様な空気に気圧されて男は尻餅を付いた。
金髪の修道女は悪魔みたいな冷たい笑顔を浮かべている。
そこには、大男が抱いたような嗜虐心はまるでない。虫を潰して遊ぶ子供のような無邪気さに満ちている。
「さぁ、もうちょっとで竈門から焼けた墨が手にはいる。キンタマも片方残っている。眼球も片方残っている。両手足の指は20本生えたままだね。あ、その前に爪かな? とにかく、人間ってのは末端部分を失ってもなかなか死なないもんなんだ。私にとってはただの知識。知識は実践してこそ」
「ひっ……」
「このままじゃただの暴力になっちゃう。キミが持っている碧王軍の秘密とやらを聞き出すためにちゃんと拷問しよう」
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