第2話 天使の顔をした悪魔

 この身体は「カマルハルの聖女、マレン」と呼ばれているらしい。なる宗教組織の中でも一目置かれる存在だという。

 一体、どうして首絞め器で事故死した自分がマレンなる女に乗り移っているのか理由は分からない。

 そこは考えても仕方ない。あとで追求すればいい。

 現状の把握に努めるべく、ミリィに次々と質問をぶつけていく。

 彼女が寝静まった後はマレンの身体を弄り、本当に人間なのか確かめた。

 こうして朝日が昇る頃には(太陽は幸いなことにひとつだ)、ある程度の結論を出しておく。


 ・少なくとも、ここは地球ではない。月がみっつある。

 ・東西南北の概念は地球と同じ。

 ・この身体は人間に近いものと推測できる。試しに自分の首を締めてみたが窒息しかけ、指を切ってみたら血が出た。

 ・食事と水がないと生体が維持できない。睡眠も必須である。

 ・知らない言語や文字だがマレン本来の知識があるためか読み書きできる。

 ・数字は存在する。SI単位系は使われていない。

 ・物理法則は地球と同じだと推測できる。重力もある。摩擦もある。磁石は方角を示す道具として使われているらしい。

 ・光が見えているため電磁波があると推測できる。マレンの身体が人間と同等だとすると眼球が受ける光で「見る」ことができている。

 ・もしも光の速さを測れれば、少なくとも地球と同じ宇宙にある他の星という結論が得られそうだ。

 ・時間の概念はあるが1日の長さが地球と同じかは不明。

 ・科学技術の水準は極めて低い。ガラスは高級品で窓には使用されていない。鏡もない。製鉄技術はある。

 ・唯一教会の本が存在することからグーテンベルクの活版印刷のようなものがある?

 ・生憎と植物に詳しくない。加工された木材の知識はあるが役に立たなさそうだ。

 ・未知の環境で思い込みは厳禁だが、中世ヨーロッパくらいの感覚だろうか?

 ・現代日本にいたときの常識は一旦置いておく。



 あとは貨幣経済が成り立っており、宗教が存在することくらいか。

 あまり興味の沸かない事実だが覚えておく。


「マレン様、お身体の方はもう大丈夫でしょうか?」


 宿の朝食の席で斜向かいに座ったミリィ。シャギーカットの黒髪に潤んだ大きな黒い瞳は清楚で愛らしい。修道服がなぞるボディラインはスレンダーで「人形のような」という形容がピッタリの容姿である。

 彼女は常にマレンの心配ばかりする。美少女に心配されるのは悪い気分ではなかった。

 マレンがどういうキャラクターだったのか把握できていないが、宗教家だったのだから大人しそうに演じて「もう大丈夫」と返しておく。

 行儀作法は自然と身に付いていたので苦労はなかったものの、朝食は噛み砕くといった表現でしか食べられないパンと具のないスープだけ。

 ガタイの良かった生前では考えられないほど少量だが、胃袋が小さいのかマレンの身体は空腹が満たされたようだ。

 食事を終えた後はディーシト寺院に再び足を運び(正確にはマレンに乗り移る前に一度寄ったらしいが)、院長と名乗る老人から話を聞く。

 なお、寺院とは名ばかりで古い石造りの見窄らしい建物だった。

 そこでおおよその世界情勢も聞くことができた。この国は隣国と戦争状態にあるらしい。

 ミリィが「東部戦線に慰問に行く」という目的の通りだ。果たして、そんな危険な場所に足を運ぶ意味はあるのかと聞きたくなる。


「どうかお気をつけて。マレン様の類稀な薬草術で、傷ついた者たちを救ってくだされ」


 院長は祈りのポーズでマレンとミリィを見送ってくれた。

 そこで出た「薬草術」という言葉を聞いて脳の芯に電撃が走る。マレンとしての知識が戻ったらしい。荷物を詰めた鞄の中には乳鉢などの道具や、乾燥させた草、レシピが書かれた本などが入っていた。


(ということは、私はこの世界のナイチンゲールみたいなもの? 違うか。統計学も何もないし)


 聖女と呼ばれる理由も、一目置かれる理由も分かった。

 しかし、ピンとこない。治すことにはあまり興味がないのだ。

 どちらかといえばその反対。壊すことに芸術性を感じる。

 なんとも不似合いな身体を手に入れてしまったものだと溜息が漏れた。

 寺院を後にして村の通りに出ると憂鬱になってくる。こじんまりとした露店が並んでいたが活気はない。


「お疲れですか?」

「いえ、これから戦地の近くまで赴くというのに女二人で大丈夫か不安で……」


 これは本音だった。

 試しに動かしてみたがマレンは華奢で力がない。

 ミリィはそんなマレンよりさらに小柄だ。

 そもそも本当にそんな場所に行かなければならないのか、決断できていなかった。

 あくまで以前のマレンが行うべきことであって、首絞め器で死んだ自分のすることではない。死んだと思って拾った生をあっさり捨てられるほど達観していなかった。


「いくら敵国でも教会の人間を襲ったりはしません」

「そういうものなの?」

「はい。だって向こうにも唯一教会はありますし」


 ということは、同じ宗教を信仰しているのに争っているわけだ。こんなところまで地球と同じなのは笑える。

 この世界の人間も地球の人間も精神構造には大差ないと思えてきた。


「そういえば東部戦線までは歩いていくの?」

「すごく遠いですよ。物資を輸送する馬車が、この村を通りかかりますので待ちましょう。教主様の手紙を見せれば乗せてもらえます。あ、ちょうど来ましたよ! あの天蓋付きの馬車が……」

(この世界にも馬がいるんだ……)


 村の外は緩やかな丘になっていて、頂上のあたりから土煙が見えた。

 目を凝らすと二頭立ての馬車が猛スピードで走ってくる。しかし、様子がおかしい。

 ミリィもそれに気付いたらしい。商売をしている村人たちも「なんだ?」とばかりに集まってくる。

 馬車は暴走していた。御者台に誰も乗っていない。

 暴れる馬が倒れると、馬車だけが切り離されて村目掛けて突っ込んでくる。

 周囲から悲鳴が聞こえた。村人たちが慌てて逃げ惑う。しかし、ミリィは硬直してしまって視線を動かさずにいた。


「危ない!」


 マレンはミリィの手を引いて、馬車の進行方向とは垂直に走り出す。

 間一髪、ほんの数秒前までミリィが立っていた場所を暴走馬車が通過し、露店に突っ込んで爆音が響いた。

 吹っ飛んだ車輪だけがカラカラと回って、通りを過ぎていく。


「ひぃっ!?」

「人だ! 人が乗ってる! 生きてる!」

「碧王軍の兵士じゃないぞ!?」


 馬車の残骸の中から大柄な男が立ち上がった。紅い胴巻の鎧に、丸太のように太い腕。髪の毛は刈り上げている。

 両肩にひとりずつ別の男を乗せていたが、そいつらを軽々と投げ捨てる。既に事切れていたらしく、二人は地面に落下してもピクリとも動かなかった。

 大男は全身血まみれで両腕には枷が嵌められている。血走った目で野次馬に集まった村人たちを睨み、肩で息をして前へ踏み出した。その迫力に全員が息を呑む。


「敵だ! 紅王軍の兵士がこんなところに……!」


 腰を抜かした村人の近くまで大男は躙り寄る。そいつは獣のように吠えて、村人の頭を踏みつけた。

 頭蓋の砕ける音がして血溜まりが広がる。村人は大きく痙攣し、すぐに動かなくなった。

 喧騒は止み、沈黙が当たりを支配する。


(すごっ……)


 マレンはその様子を興味津々に眺めていた。恐怖はもちろん感じている。

 けれど退屈な現代日本では絶対にお目にかかれない光景だ。あるとしたら映画の中くらいのものだが、そこでは足りない。

 スクリーンからは血の臭いがしないのだ。今は違う。

 自分の異常性に自覚的である分、こういう場面に出くわしても戸惑うことはない。

 聖女と呼ばれる身体に、それとは正逆の精神。マレンは自然と笑みを浮かべていた。

 そんな様子が大男の目に留まる。


「そこの修道女! 何を笑っていやがる!?」


 犬歯を剥き出しに吠えてくれる。

 全員の視線がマレンに向いた。ゾクゾクとして頬に朱が混じる。

 震えるミリィの肩から手を離し、マレンは前へ出た。


「これ以上の乱暴はやめてください」


 いいぞ。もっとやれ。


「私には薬草術の心得があります」


 それよりも拷問の知識の方があるけど。


「あなたの傷を治すことができます。だからどうか」

 

 でも、もっと壊すこともできる。

 マレンというガワを被った者は恭しく両膝を地面に突く。

 それは神性で、神々しく、尊い行為に見えた。

 けれど肉に埋もれた人間の内面なんて絶対に見えない。

 どれだけ禍々しく、邪悪だったとしても、使のだから。

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