06話.[駄目なところだ]

 七月になった。

 前にも言ったように暑さにはそれなりに強いから気にならなかった。

 一緒にいる翔子も全く影響を受けていない感じだからそこで心配にはならない。

 心配になるのは私達のことではなく水和についてだ。

 伊佐が一気に踏み込んだことで全く落ち着いて対応できていない。

 話しかけようとするとすぐに逃げてしまうというのも悪いことだった。

 あっさり帰られて寂しいとか言っていた水和はどこへ行ってしまったのか、私には分からなかった。


「今日も駄目みたいね」

「なんでああなるんだろ」


 気になっている人が勝手に近づいてきてくれるなんて嬉しいと思うけど。

 近づけなくてもやもやする必要がないというだけでかなり楽になる。

 また、違う女の子と話していてもそう不安にならなくて済むだろう。

 あんなことを繰り返せばさすがの伊佐だってなんにも感じないということはないはずだ。

 後悔することにならないよう水和は落ち着く必要があった。


「みんながみんな町枝先輩みたいにはできないのよ」

「でも、翔子はそのままだけど」

「私は無理やり抑えることも多いから」


 と彼女は言うが、正直、慌てたことなんて一度もなかった。

 こっちが珍しく勇気を出してあんなことをしても驚くどころか冷静すぎて少しだけ消えたくなったぐらいだ。

 それこそみんながみんな彼女みたいにはできない、ということになる。


「町枝さんはなんでこうなったと思う? やっぱりはっきりしたのが影響しているのかな?」

「それしかないと思う」

「そっか、だけど僕も適当に言ったわけではないからね」


 水和が悲しそうな顔をしていたりしたら嫌だ、だから適当にそんなことを言う存在ではなくてよかったとしか言えない、

 ただ、仮にそういう最低な相手だったとしてもなにかができたわけではないから微妙だった。

 所詮、考えることはできても行動することはできない弱い人間なのだ。


「ま、ゆっくりやっていくかな」

「いまは変に追ったりしない方がいいかも」

「だね、自然と近づいてくれるまで待つのもありかもね」


 もし自分がその気になったときに翔子が逃げ回るようになったときのことを考えたら物凄く嫌だと思った。

 が、さすがにここは教室だから抱きついたりすることはできない。

 それに先輩としてこちらが甘えてばかりというのも嫌なので、内にあるごちゃごちゃを抑え込もうとするだけで時間が経過してしまった。


「はぁ……」

「珍しいわね」

「私は先輩らしくいたい、だけど、翔子といるときはできていないから」


 自分が求めた側ではないからこそかもしれない。

 そのせいで変な余裕ができてしまってすぐに甘えたくなってしまうのだ。

 きっと翔子的にもいいはずだからと正当化してしまうのも駄目なところだ。


「あくまであなたのままよ?」

「すぐに甘えたくなるから」

「それでもいいじゃない」

「や、やめてっ、誘惑しないでっ」


 これもまたすぐに流されてしまうのだから。

 だが、それでも意地悪なところがある彼女は柔らかい笑みを浮かべているだけだ。

 普通は後輩側の彼女がこういう風になって、先輩の私が「大丈夫」と答えてあげるところだろう。


「ふふ、誘惑してきているのはあなたでしょう? いつも私にとって嬉しいことばかりを言ってくれるもの」

「そ、そういうつもりはない……」

「あなたにとってはそうでも私にとっては違うのよ」


 怪しい目をしていたから帰ることにした。

 留まっていると教室だろうとなんだろうとやられてしまいそうだったから。

 そしてそれを嫌だとは感じずにそのまま受け入れている自分が容易に想像できてしまうからだった。


「待って、今日も私の家に寄っていってちょうだい」

「な、なにもしない?」

「酷いことはしないわ」


 時間が経過しても兄の家には未だに戻れていないままだから受け入れた。

 ただ、それでも寂しく感じていないのは水和や彼女の存在が影響している。

 このまま戻れなくてもいいとまでは言えないが、仮に実家暮らしのままとなってもなんとかやっていけるだけの余裕はあった。


「はい」

「ありがと」


 でも、やっぱり大好きな兄とも一緒にいたいのは確かだ。

 戻ってきていいと言われたら速攻で戻る自信しかない。

 だが、そうなると今度は大好きな両親といられなくなるということだからごちゃごちゃになるのも確かなことだった。


「え」

「どういうつもりなの?」

「それは……こっちが言いたいこと」


 押し倒したところでなにかが出てくるとかでもない。

 学校がある日はなるべくお金とかも持っていかないようにしているからだ。

 だから押し倒されている私を見ることぐらいでしかこんなことをしても楽しめないはずだった。


「キスしていい?」

「……それなら名前で呼んでからにしてほしい」

「分かったわ。じゃあ雲月、目を閉じていてちょうだい」


 あんな感じだった割には優しいそれだった。

 だから怖いとも感じずに、終わった後は自分から抱きしめていた。

 というか、顔を見られたくないというのが正直なところだった。




「テスト勉強って面倒くさいよねー」

「はは、ぶっちゃっけたね」

「水和は正直すぎ」


 心のどこかでは感じていても言わないことが大事な気がする、そうしたところでテスト週間がなくなるというわけではないからだ。

 なにより、そういう風に考えながらやったところでいい方には繋がらない。

 楽しむとまではいかなくても渋々やるよりはいいだろう。


「でもさっ、雲月や孝太郎だって面倒くさいと感じることはあるでしょ?」

「んー、なにかしたいことがあるときはちょっと感じるときがあるかな」

「掃除とかに脱線することがあるから実際はそうなのかもしれない」


 そう考えていてもずっと集中できるというわけではないか。

 実際、他になにかしたいことがあったら内が忙しくなってしまうわけだし。

 だけどいい点も確かにあって、それはこうしてふたりと一緒にいられることだ。

 あ、いや、ふたりというか確実にお友達との時間を確保できるのがよかった。


「だけど僕はこの時間が好きだな、こういうときなら町枝さんも参加してくれるし」

「あ、確かに翔子ちゃんとばかりいて相手をしてくれないからね」

「お互い様だと思う、水和は伊佐を優先しすぎていて一緒にいられない」

「そ、そんなに孝太郎とばかり一緒にいるわけではないけど……」


 休み時間になったら磁石みたいに速攻で集まるし、放課後になったら教室に残るかすぐに帰るかなのによくそんなことを言えたものだ。

 恋は盲目というのは確かなことなのかもしれない。

 私はそんなことにはならない、翔子と親密な関係になったとしても絶妙な距離感で上手くやってみせる。


「残っているのならやっていこうか」

「そうだね、一時間ぐらいは頑張らないと」


 時間を設定しないでやった方がいいと思う。

 そうした方が私はなんとなく向き合っている時間が増える気がする。

 ○○時までやらなければならないという気持ちになってしまったら駄目なのだ。


「ん?」

「あ、ごめん、なんとなく町枝さんが変わったように見えてさ」

「雲月が? あくまでいままで通りだと思うけど」


 水和の言う通りだ、私はあくまでいままで通りのままここにいる。

 翔子といるときは翔子といるときの、ふたりといるときはふたりといるときのままの態度で。

 だからまあ気にしないでおいた。

 他者が考えていることなんて想像することしかできないから。

 敢えていまそれをする必要はない、私達がしなければならないのはテストで悪い結果を出さないように頑張ることだけだ。


「はい――あ、来たのね」

「うん、ふたりとやってきた」

「ええ。上がって」


 それだけではなくいまからも勉強タイムだ。

 一時間+一時間で十分だと思う。

 継続しなければ意味がないからこんな緩い感じでやっていくだけだった。


「少し意外、翔子も残ってやっていくと思ったから」

「他の誰かといると話すことばかりに集中してしまうから」

「翔子なら切り替えて上手くやりそうなのに?」

「駄目なのよ、誘惑を断ち切って上手くやることはできないの」


 お家に帰っても早くやらないとゆっくりしてしまうから駄目とのことだった。

 なにもかもが想像できないことばかりだからそっかと終わらせておいた。

 こちらとしては誰かがいてくれる方がしっかり向き合えるから本当にありがたいことだった。


「水和先輩と伊佐先輩はどうだった? いままでより仲良く見えた?」

「いつも通りだった、水和はまだ素直になりきれていないところがある」

「ふふ、水和先輩はあなたを見習った方がいいわね」

「いや、翔子の真似をした方がいいと思う」


 抑え込むことができるのも強さだと言える。

 こちらとしては少し悔しいところではあるが、ずっと冷静に対応できるというのもやはり真似をしたいところだ。


「できた」

「お母さんとお父さんは帰宅時間が遅い?」

「そこまでではないわ、だけど時間があるから私がやっているの」


 兄のあれはそれだけではなかった気がする。

 明らかにこちらの方が時間があるのにやらせようとしなかったから。

 彼女みたいに分かりやすく成長していたらそんなこともなかったかもしれない。

 よく食べてよく寝ていたはずなのに全く影響しなかったのは悲しいところだ。


「私もやるわ」

「うん」


 それからは意外にも一時間以上ここでやることになった。


「お家にいればよかったのに」


 実家も彼女のお家から離れているわけではないから全く問題はなかった。

 考え事をしながら歩いたところで危ないことにも巻き込まれないようなそんな道だから、というのもある。

 が、彼女的には違かったのか「駄目よ、夏だからまだ明るいけどね」と言われてしまった。


「翔子的にはあれかもしれないけど翔子とも一緒にやりたい、だからテスト本番までよろしく」

「ええ、分かっているわ」

「送ってくれてありがと、ばいばい」

「ええ」


 今日はなんかまだやれる気がしたから食事を終えてからも勉強をした。

 この時間を継続することはできなさそうで少しだけ矛盾している自分だった。




 今日も雲月が目の前で勉強をしている。

 頼まれていなければさすがに相手が雲月とはいってもこうしてはいなかった。

 ひとりで頑張らなければならないこと、そういう考えが強いからだ。


「消しゴム……あった」


 ただ、今回ばかりは早く終わってほしいとしか思えなかった。

 何故なら雲月も完全にそっちに意識を向けてしまっているから。

 ひとりで頑張らなければならないことだと考えているのに、一緒にいるからには甘えたい、甘えてほしいなんて気持ちが強くなってしまって……。


「駄目ね」

「集中できない?」

「ええ」


 テスト週間だけは別々に行動する必要がある。

 このままだと間違いなく悪い結果になって心から楽しめなくなってしまうから。

 お兄さんに実家に戻ってほしいと言われてしまった雲月に言うのは少し微妙なものの、自分のためにこれは間違いなく必要なことだった。


「分かった、それならお互いに本番が終わるまで頑張ろ」

「ごめんなさい」

「ありがとうと言ってほしい」

「ありがとう」

「ん、それじゃあこれで帰るね」


 もちろん家まで送ることはちゃんとした。

 わざわざあんなことを言ったんだから帰ってからは真面目に勉強をした。

 近くに雲月がいないというだけでここまで集中できるんだからある意味すごいことのような気がする。

 だってそこまでの存在だということになるんだから。


「翔子、ただいま」

「おかえりなさい」


 母が帰宅してからすぐに父も帰宅する。

 今日は集中できなかったから早めに作ったものの、雲月にも言ったようにそこまで遅い帰宅時間というわけではないから普段は合わせて作っていた。

 それでも温めればできたてみたいに味わえるからそこはいい。

 食事、洗い物、入浴と普段通りに過ごして部屋へ。


「ふぅ」


 最近のこの時間は水和先輩と電話をするという風にしている、話はもちろん雲月とのことだ。


「なるほど、ま、集中できないなら仕方がないよね」

「でも、受け入れておきながらそれですから……」


 矛盾しているし、私は常に自分勝手だった。

 すごいとか偉いとかよく言ってくれるものの、全くそんなことはない。


「大丈夫だよ、雲月は翔子ちゃんのことを信じているから」

「そうだといいんですけど……」

「大丈夫、寂しくなったら雲月の顔を想像するといいよ。私はよく寂しくなったら孝太郎や雲月とどういうことをして遊ぼうか考えて過ごすから」


 そういうこともいまは駄目な方に繋がりそうだからやめておくことにした。

 それでもこうして聞いてもらえただけですっきりできたからお礼を言っておいた。




「え、戻っても大丈夫?」

「ああ、もううざ絡みをしたりしないから安心してくれ」


 それなら……もう戻るしかない。

 兄と過ごしたくて兄のお家にお世話になっていたんだから矛盾はしていない。

 なにより、兄が直接来てそう言ってくれたんだから問題にはならないだろう。


「雲月がいてくれていることのありがたさがよく分かったよ」

「テストが終わってからは私も家事をやる」

「それは駄目だ、迷惑をかけてしまったからもっと俺が頑張るよ」


 あれ、前までなら「そうか?」と認めてくれるときもあったのに悪化している気がする……。

 翔子がご飯を作っているところを見て再度自分も頑張らなければならないという気持ちになったのにこれでは意味がない。

 そうしたらまた兄がそう言ってくれているのならとかなんとかで正当化しようとするのが目に見えている。


「交代交代がいい、お兄ちゃんにやってもらってばかりなのはもう嫌だ」

「駄目だ、いてくれるだけで十分だ」

「なんでっ」

「なんででもだ」


 ずっと勉強はしていられないからいまはそういうことをして時間をつぶしたい。

 そうでなくても翔子といられなくなってしまっているからと話をしてみたのだが、兄がうなずいてくれることはなかった。

 だから不貞腐れて床に寝転んでいたら兄がやって来て近くに座る。


「なにもしなくていいんだからいいだろ?」

「嫌だ、私もなにかしたい」

「いつの間にか頑固になっちゃったなー……」


 いつの間にかではない、私は元からわがままだ。

 だからこそこのお家に住ませてもらっていたのだ。

 なんにも説明もないまま出ていこうとしたことが納得がいかなくて、離れなかったぐらいだから。


「……実はあのとき、彼女がいたんだよな」

「え、教えてくれなかった」

「だってひとり暮らしを始めてからすぐに別れることになったからな」


 そのために始めたのに別れることになったのは辛かったと教えてくれた。

 でも、私が無理やり付いていっていたのは何気にいい方へ繋がっていたようだ。

 もっとも、それでも無理やりはよくないから言ったりはしないけど。


「まあもうそのときの話はいいんだ」

「だからお手伝いさせてもらう」

「駄目だ、流されないぞ」


 はぁ、それこそ頑固なのは兄だという話だった。

 不貞腐れてても効果はなさそうだからお風呂に入ってしまうことにした。

 長時間独占することで抗議、みたいな形にしたかったが、あくまで兄には全く効いていなくて駄目だったことになる。


「今度そのしょうこ……? ちゃんを連れてきてくれ」

「テストが終わったら連れてくる、この前はお兄ちゃんがいなくて無理だった」

「来たことがあるのか、今度は合わせるからよろしく頼む」


 そのとき気持ちよく過ごすためにも頑張ることが必要だ。

 そもそもテストが終わるまでは会えないから家事もできないのなら勉強を頑張ることでしか大きい時間経過は期待できない。

 ここに翔子が来てくれたら協力してもらって説得しようと決めた。

 学生だからとか兄も大学生なのに全く必要のない心配をされるのはごめんだから。


「惚れないで」

「惚れないよ、俺は年上好きだからな」

「それも初耳」

「いちいち言ったりしないからな」


 教えてくれていない情報とかもたくさんありそうだ。

 考えるだけで複雑な気分になりそうだったからやめておいた。

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