Gioco-26:惨憺では(あるいは、行き難し/生きまた難しも/ヴィヴェレクィ)

 視界のあちこちが、ざざっとノイズが入ったかのように引き攣れる。見下ろす自分のぽこと出たお腹周りもところどころ掠れて見える。耳にはひっきりなしに金属同士を擦り合わせたような不快な音が鼓膜を挟んでハウリングするかのように内外から聴こえている。腕・脚にも鉛の棒を差し込んだような鈍い重さを内側から感じている。この小太りの、三次元の身体が限界だ。このまま能力を使い続けていくと、どうなってしまうのだろう……二次元と三次元の隙間に入り込んで、何か得体の知れないモノに成り果ててしまうのではないかとか、そんな荒唐無稽がすんなり溶かし呑み込めてしまうほどには、大脳もだいぶ熱で暴走してきている。落ち着くんだ。


「……ッ」


 いつの間にか、僕の右手方向だけじゃなく、相対している玉座にへばりついたグラサンの背後の石壁も、左も後方も。きちり組み上げられていた石たちがひとつずつにバラけるように、いや、それよりも微小な「単位」へと分解していってしまうように、ぐるりを取り巻いていた見慣れた質感の灰色は、今やすっかり消滅していたわけで。


 その後ろ側から現れたのは、光をうっすらと反射させる灰色と蛍光緑を捏ね合わせたようなのっぺりとした「無」だ。見ようとすると焦点をズラされてうまく網膜上に像を結ばない。見上げる高さに確かにあったドーム状の天井もいつの間にか消失していて、同じく何も無い空間が大袈裟に言うと宇宙みたいに広がっていた。かろうじてこの大空間に浮遊するように存在しているのは、僕が立っている石床。二十五メートル四方くらいだろうか。広いと言えば広いけど、一歩踏み外すとアウトであろうはずなわけで、そう考えるととても不安定な足場としか思えない。


 面した、何段か上がったところに設えられた「玉座」では、デジヲがぐでりと身体を投げ出した姿勢のまま、相変わらず端末を眺め何やらやっている。目の前で仲間をやられても動じてはいない。少なくとも動じている気配は見せようとはしてこないようだ。その背後の、結構至近には「灰緑」の謎空間が迫っているっていうのに。いまこの瞬間、僕が突き飛ばす系の能力を発現すれば、あっさりその深淵へと押し出せたりしてしまえないかな……


「……」


 短絡。思考が楽になろうと最短距離を無駄なく貫こうとしている。確かにそれが正解じゃあ無いとは言い切れないけど、待つんだ。思考、思考。残った一発分の「デバッグ」で確実に決めないとだから。デジヲ……その初手は待った方がいい、はず。


<……だいブ、お疲れのようデ。しかし分からなイよねェ……それだけの『能力』を持っていれバ、以ってすれバ、この世界のハンブンと言わずほぼほぼが手中に収められルんじゃあとか思わないデも無いけれどネぇ……>


 ここに来て、ほぼ初めて僕の方に意識が向いた。相変わらず、そのミラーグラサンのうねる面が向いているのは、左手に掲げられた端末の方だったけれど。


 僕の方はと言えば、無言で、ずりずりとままならない身体を叱咤しつつ、そちらに向けて体勢を調整していっている。同時に、「いま次元」の視界を保ったまま、うっすら被らせるように「一次元上」の視点を、展開していく。相手は手練れだ。どの「方向」から何が飛んでくるかは分かったもんじゃあないから。


 それに「世界のハンブン」?


 そんな世迷言に乗るわけないだろ……っ。僕が欲しいのは、欲するのは。「世界」で一緒に生きていく、生きていける、生きていってくれる……人たち、なんだから。今の僕の頭に去来するのは、かつて自分が生きてきた「前の世界」のことじゃなく、「今の世界」のことだった。過ごした時間は関係ないとか綺麗事かと思ってたけど、それは紛れも無く綺麗に僕の心に去来する事であって。朦朧とする意識の中でも、それだけはど真ん中に灯していた。と、


 明らかに、空気が変わった。


「……ッ!!」


 と同時に降り注いでくるのは……何だ? 光る……電球? 無数の。何で。緩慢な動きは手足の末端のみならず、体幹までみっしりと及んでいる。全然避けられる間合いでも数でも無く、阿保のように見上げたその顔面にまでも、それら白色電球? その内部のフィラメントに無駄に焦点を合わせられながら、あえなく喰らってしまうのだけれど。途端に全身に走る、うぅん、これぞ正にの電気ショックと納得せしめられるほどの衝撃。あがぁああぁぁぁああ……


 引き攣った全身は一瞬、軽やかな舞いを舞うように左爪先一点でくるり優雅にターンを決めてしまうけれど、それを一拍、無駄に待ってくれたかのように次瞬、撃ち込まれてくるのは。


「!!」


 これまた分かりやすいシルエット。深緑色、手のひらサイズのでこぼこボディに把手、が空中でいくつも連鎖的に外れ飛んでいく。そうだねこれは手榴弾。反射的に軋む両腕を何とか顔の辺りまで持ち上げるけれど。その前に炸裂した臙脂色の光が確かに閉じたはずの目を差す。まるで両脇を後方へと引っ張られるように、下手なワイヤーアクションさながらの不自然な挙動で吹っ飛ばされていってしまうけど、後ろはヤバいって!!


「た、『度徳量力はチルド』ぉ……ッ!!」


 声帯までも疲れ果てて伸び切っているような感覚、を何とかごまかしごまかし「言葉」を唱える。これもカガラ氏の得意技だったよね……雲泥のびろびろした「氷の紐状の何か」を右手の人差し指と中指の間から発現させて長椅子のひとつの背に絡みつかせ、自分の身体にかかるGを何とか相殺させていく。ギリギリ、のところで差し引きゼロとなってくれた。お尻から落ちた身体はもう痛みすら漫然としていて。代わりにつむじから首筋を通って腰骨の辺りまで。ビリビリと痺れるほどの悪寒を感じたので思わず振り返ってみたら、僕のそう高くは無い鼻の頭を、ほんの少し皮一枚だけ、あの例の「灰緑の闇」が掠めた。


 あ、あかぁんほんとにギリギリだったよ粉みじんまで待ったなしェ……


 正にの土俵際。俵に足が掛かったというか、俵の上に爪先立っているようだよ。本人の見た目やる気とは裏腹に、大層な畳みかけ連続攻撃じゃあないか……ッ!!


 だいぶ、彼我距離は離れてしまった。けど、放たれてくるプレッシャーは却って強く感じられる。けど「能力」。能力勝負を選択してくれているのか? それともそれで充分と見越しているのか? デバッグは使わずに、単純な「押し合い」で済ませようとしている?


 そこに活路は無いか?


 ラストデバッグ。それをぶちかますのは?


 ……攻撃だけじゃあないはずだ。


「……」


 次の瞬間、僕は右手を軽く後ろに回して「灰緑」の表面を撫でるように触れている。途端に感じる自分の内部に広がっていくような、「冷たい奥行」。それは現時点での認識が為されている脳の部位とは別のところで感じているような、そんな奇妙な感覚。自分自身に吸い込まれるというか、自分自身の内部に入っていってしまうというか。


 自分を構成している、自分が認識している「世界の次元」が、がこんと音を立てて「ひとつふたつ下」に行ってしまうような、そんな感覚。うんうん、だいぶ意味不明。だいぶ僕の意識も灼き切れてきたようだけれど、あと少し、ほんの少しだけ、正気を保っていてくれれば。


「……」


 瞬間、僕は最後のデバッグを撃ち放っている。他ならぬ僕に向けて。僕を剥がし、「灰緑空間」を「ひとつの点」と認識してしまって、その内部を、表層を、無時間にて駆け抜ける。


 瞬間、よりも速く。僕は大仰な玉座のすぐ後ろまで移動していて。


 その隙間からチラ見えた、だるそげにくたり倒された意外と細い首筋に、


<!!>


 背後から、しなだれかかるようにしてホールドをカマしていたわけであって。直で。直で来るとは思わなかったんじゃあないの? 強張った身体の感触をいま、地肌で感じているよ……そして身体の奥底で燻っているのは、デバッグの余韻。これを最後利用して、君ごと「剥」がして、虚空へ。


 それから先はどうなるかは分からない。けど。


 還ってくる、という強い意志があれば、戻って来られるような、そんな気もしていた。まったく根拠は無いのだけれど。


 もしくは僕らはやっぱり還るべき存在なのかもね……混沌から来た者同士、さ。


 デジヲを後ろから抱えたまま、僕の身体はゆらり後方へと、引っ張られるように。


 灰緑の闇に。共に呑み込まれて。


<……うぅン、安直。残念展開五十点ってとこカなァ……>


 ……いかなかったわけで。


 眩い光。またもや蛍光緑の。宙に浮くデジヲの背中からは、緑色に明滅する、何枚もの羽、翼。まるで天使のような、あの、わさわさの。


<興ざめだヨ、トォーベくん。ありがちならありがちデ、一本貫かなくちゃァ、貫けなイ、ってネ>


 緑の光は、デジヲの全身を包んでいくけれど。そしていったん収縮しての、ああこれは。


<……であれバ分かりやすく、してあげるヨ。それがちょいとした山場を作ってくれタ、キミへの最後の餞サ>


 巨大化。見上げる高さに成長したデジヲの姿は、神々しいまである、荘厳な光に覆われていたのだけれど。

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