名言は一箱のマッチに似ている。
重大に扱うのはばかばかしい、重大に扱わねば危険である。
名言はズルい。
まず紹介される際には「名言」という題目がつく。
そして、誰それ某という偉人が言ったとラベルが貼られる。
その後に、やっと言葉が続く。
こうまですれば、たいていの文は立派に思えるに違いない。
立派な額装のなかに収められたら〝レシート〟だろうと〝スープ缶の広告〟だろうと芸術になる世の中である。
名言は怪しい。
正反対の内容の言葉がどちらも名言として語られている。
〝努力は裏切るのか? それとも裏切らないのか?〟
そろそろ、はっきりしてほしい。
それでも私は名言に目がない。
いくつでも知りたい。
なんなら集めて食べたいくらいだ。
それは名言が滋味に溢れているから。
十万字の小説より十三文字の名言が心を動かすことがあるからだ。
世界や人間に対して、その人が思うこと。切り取られた断片や濃縮された観点が名言にはあるからだ。
レイチェル・カーソンと洪自誠が同じ内容の話をしていると知ったとき、胸が苦しくなった。
誰もが何かを思う。
そのなかの幾人かはそれを記す。
その幾つかは後代に残り名言となる。
名言は伝播し波及する。
だから一定の人はそれを集めたくなる。
本作も多くの名言が集められている。
どなた様も、ここから名言収集家となられると良い。
そうしたら良いのだ。