第2話 ケモミミ幼女、コン様見参!(2)

 それは唐突にやってきた。枕元に置いて寝ているスマホがいつもの目覚ましとは違う音色を鳴らし、眠気眼を擦りつつ何事かと確認すると、ディスプレイには”母”の文字が。


 一度咳払いをし、喉の調子を整えスマホを耳に当てがい、がさがさの声で電話に出る。


「あい、もしもs…」


 電話に出るや否や、電話口からは雷光の如き反応で母からの爆音攻撃が炸裂した。


「ば、ばあちゃんが…バイクが撥ねられて、入院して吹っ飛んだって…どうしよう、もうとにかくすぐ来て!!」


 何言ってんだ?至極当然ながら意味不明なことを言っている母親からの電話でたたき起こされた。うるせえ…。


「え…?なんt…」


「だから、ばあちゃんが、バイクが撥ねられて吹っ飛んで入院したんだって!」


 いや、意味は分かるが日本語が変だ。


「全く状況がわからんのだが…?」


 まあ、要約すると


「と、とにかく病院にきて!!」


 とのことらしい。


 七月半ばのクソ真夏、真っ只中の早朝。


 エアコンはタイマー設定のおかげで明け方には消えるようにしてあるが、朝方になるにつれて夏が本気を出し始める。


 蒸し暑さのせいで、電話で目が覚める前から意識は半覚醒状態ではあったが、目覚まし時計よりも先に電話が鳴ったので、それで完全に目が覚めてしまった。


 時刻は七時。


 とりあえず温めのシャワーを浴びて、身だしなみを整えてから車でばあちゃんのいる夜桜市内の病院へ向かった。


 夜桜市は中心部が商業や住宅地として成り立っており、郊外へ行くにつれて山岳地帯や農地になってくる面積四十平方キロメートル程の都市だ。


 夜桜市は大きく分けて三つのエリアがあり、一つ目は中央の商業地区。


 そこでは高層ビルが立ち並ぶオフィス街や、そこから少し歩いた所には商店街があり、いまだに賑わっている。


 そして中央区を取り囲む様に住宅街や、田畑が見えてくる。


 こちらは中央区とは違いベッドタウンの様な感じで朝起きて出勤に中央へみたいな感じだ。


 そして郊外のエリアには大型のショッピングモールや家具屋や山岳地帯が広がっている。


 病院があるのもこのエリアなのだけど、他に住んでる人といえば、物好きな金持ちくらいである。


 夜は市内の夜景が見渡せる絶景ポイントだったりするのだけど、利便性を考えると市街地に住む方が遥かに便利である。


 現在俺は中央区の方に居を構え、そこを職場兼住居として生活している。


 中央区にしては家賃が安いのは助かっているが、経年劣化による雨漏りや隙間風なんかが最近ひどいのがネックだ。


 まあ、そこは応急処置で何とか対処している。


 仕事柄どうしてもここに事務所を置く必要があるのと、ここ以上に家賃が安い所と言えば一桁値段が上がってしまうので、今の懐事情的にもここが最適なのだ。


 高速に乗り、しばらく走る。


 中央区を抜け、住宅街を抜け、郊外へ差し掛かると田畑には青々とした稲が背を伸ばし始めているのが見える。


 力強く大地に根を張り、懸命に育っている。


 秋になると一面黄金色へと様変わりするのだけど、今の緑一面の絨毯も趣があった。


 力強いといえば、うちのばあちゃんは御年七十九歳の大先輩であるが、去年はフルマラソン完走やら遠泳やら、若いころにはママチャリで日本横断しただとか、トライアスロンを制覇しただとか、消滅してた祭りを復活させただとか、大小合わせると数えきれない程の伝説を残してなお今、伝説を更新中の化け物ばあちゃんである。


 そのばあちゃんが轢かれたとあっては、いくら健康体であろうと心配はしてしまう。


 その時の母の慌てようと言ったら、やかんでお湯が沸いてるのに、電話が鳴っていて、赤ちゃんがその音で泣き出したかと思えば、冷蔵庫が開けっ放しになっていて、来客がインターホンを鳴らしてる時くらいの慌てぶりだった。


 うん、とにかく混乱している様子だった。


 電話では慌てすぎて何がどうなっているのか全く分からなかったので、気持ちの整理と状況説明もしっかりとして欲しかったので文章にしてくれ!と頼み込むと、文章は電話口で言ってたモノと殆ど変わっていなかったが、少しだけ補足説明がついていた。


 ”ばあちゃんが撥ねられてしまったけど、ばあちゃんの足に原付バイクが引っかかって吹っ飛んでった。相手の方は無事だけどばあちゃんは骨が折れたみたい!私もまだ詳しくは聞いてないからとにかく病院で説明してもらうから、あんたも見舞いにきなさい”


 とのことだった。電話口だとなんのこっちゃだけど、こうして文章にしてもらうと母もしっかりと状況説明ができるようになっていた。


「ったく、何が足の調子が悪いだ…原付に跳ねられたと聞いて驚いたが、まさか吹っ飛んだのは相手の方だったとか…意味が分からん」


 母からの電話は流石に肝が冷えた。車で少し急ぎ目で向かったものの、パーキングエリアで休憩を挟み、お土産を買っていたり、鮭おにぎりと唐揚げのセットで軽めの朝食を摂りつつ向かうと、なんだかんだで時刻は十二時を回っていた。


 病院に着いて、受付で祖母の病室を訪ねると親切な看護師さんが教えてくれた。

 病院特有の消毒液のような臭いが鼻をつく。


 エレベーターで病室の階まで行き、廊下を歩くとしばらく同じような部屋が並んでいるが、すぐに目的の部屋に気付いた。


 ばあちゃんの病室の前に着くと、すぐに聞きなれた声が耳に飛び込んできた。


「あっはっはっ…救急車が来てね、あたしと彼を見比べて言うんだよ。重傷者は彼ですか?だって。そりゃあたしゃ言ってやったさ、あたしだよ!…ってな!」


 しわがれているが豪快で、アカペラ歌手かよ!と思う様なデカい声。病院でんなデカい声だすなよな…とか思うのだが、これはまちがいなくばあちゃんの声だ。


 それと何人かの笑い声。


 ばあちゃんの周りで雑談している様子だ。


 あの人はすぐに人と仲良くなるからな。


 同室の人ももしかしたら混ざってるんだろうか?


 声の主を探し部屋の中をざっと見渡していると、もう一人の聞きなれた声が聞こえてきた。


「もう、母さんったら…私、本当にびっくりしたんだからね?まさかあの母さんが入院って聞いたから、大事故で大怪我で…最悪死んじゃったかもしれないって、本気で思ったんだから…」


「あっはっは、悪い悪い。あたしゃもう全然平気なんだけどね?一応検査やらリハビリやらなにやら面倒だから今日にでも退院したいんだけど、先生がどーしても入院してくれって言うからさあ…」


 そりゃ、バイクに轢かれてピンピンしてるだけじゃそうはならんわな。


 年齢の割に体が異様に健康だとかで、検査されたんだろうな…。


 俺から見ても思うもの…あんた、本当に歳幾つだよってな…。


 などと至極当然のことを思っていると、こちらに気付いた祖母が大声で俺を呼んだ。


「おおお!おっとり刀のお通りじゃないかい!よく来たね、ずいぶんと久々じゃないか。元気だったかい四季?」


 そう言うとばあちゃんの周りに居た人たちが一斉に捌けて、口々に「また明日」とか「今度一緒に走りましょうね!」だとか「今度の祭りは楽しみじゃ」と色々と言ってていたけど、身内が来たことで気を使ってくれたのだろう。


 入ると向かって左奥の方がばーちゃんのベッドだった。


 俺はそこへ向かって歩いき声をかける。


「ははは、いきなり呼び出されてびっくりしたけどピンピンしてんじゃんばーちゃん、元気そうで良かったよ。土産は持ってこれなかったけどね」


 ばーちゃんはそういう俺の手に持ってる袋を気にした素振りは見せずに目を細めてくしゃっと笑うと手招きしてベッドの脇へと俺を誘う。


「なーに言ってんだい、見てみなよこの足」


 そう言って指さした先には包帯に巻かれた足が吊り下げられていた。


「まあ、あたしも歳だねえ…なんて言いたくはないけど、実際はやっぱ衰えてんだよねえ…ま、まだまだ若いモンに負ける気はないがね!あっはっはっは!」


 どうやら全然元気らしい。


 久々に会ったかと思えば全然変わってなくて、俺は心の中でどこかほっとしたような気分だった。


 そうこうしていると、母さんが駆け寄ってきて労いの言葉をかけてくれた。


「突然呼び出してごめんね、四季。でもあの時は流石にびっくりしちゃって…」


「仕方ないよ、いくらうちのばーちゃんが化け物じみた人だとしてもそれはそれだからね。流石に俺も肝が冷えたよ。なんだかんだ言っていい歳だからね。見た感じは元気そうだけど、やっぱ心配だよ」


「そうよねえ…母さん来年は太平洋横断してやるーとか言ってたけど、流石に全力でそれは止めたばかりだったの。あ、そうそう…忘れてた。母さんの容態なんだけどね?」


 おいおい、一番大事な所を忘れないでくれよ…つか、太平洋横断とかマジでやりかねんからそれは止めて正解だわな…と、思いつつも母さんはばあちゃんの容態を説明してくれた。


「骨にちょっとひびが入ってるけど、むしろバイクに轢かれてこれくらいってのが奇跡みたいなもんだってお医者さんは言ってたの。全くうちのばあちゃん頑丈すぎてほんと、びっくりしちゃった…」


 と、いいつつも母は安堵した表情を浮かべており、電話してきた時の慌てっぷりはもう感じ取れなかった。心底安心したのだろう。


「まあ、あの様子じゃあ退院もすぐだね…入院なんてしたことなかっただろうし、まあでも本人がこの様子じゃ後遺症とかもあんまりなさそうだね。不幸中の幸いというか…悪運が強いというか、流石ばあちゃんだね」


 ばあちゃんを横目に母と話していると、湿っぽい空気になってしまった。それを察してか、ばあちゃんなりの気遣いだろう。とぼけた口調で場を和ませてくれた。


「なにさ、人を怪物かスーパーマンみたいに言わないでおくれよ!これでもか弱い乙女なんだからね!」


 と、言ってるけど実際は本気半分、冗談半分といったところだろう。


 ばあちゃんのこういう所に助けられて、人が集まる理由があるんだろうなーと、改めて実感した。


 そんなことを面と向かって言うと恥ずかしすぎるので、敢えて俺もそこに乗っかっておく。


「なーにがか弱い乙女だ!か弱い乙女が太平洋横断なんてするかよ、ったく、乙女じゃなくてゴリラだよ、ゴリラ。心配して損したよ」


 あえて冗談っぽく大げさに身振り手振りを加えておちょくるように言う。


 するとばあちゃんの拳が容赦なく飛んでくる。


 ガツン!と衝撃が脳天を突き抜けるが、もちろんばあちゃんは手加減してくれている。


 あくまで”フリ”である。


 多少の痛みはあるが、それでもばあちゃんの優しさが伝わってきた。


「こん…の大馬鹿モノ!だれがゴリラだよ!全く、こんな可憐な乙女に向かってゴリラなんて…こんな風に育てた覚えはないよ!こんなんじゃ、ひ孫の顔も見れないねえ…乙女心が分からないようじゃ一生童貞だよ!童貞!チェリーボーイ。おーけー?ほーけい?」


 軽口とともに他人が見たら本気で口喧嘩をしているように見えるけど、俺とばあちゃんはいつもこんな感じだった。祖母と孫というより、先輩と後輩…いや、師匠と弟子とかそんな感じ。モロに下ネタを混ぜてくる辺り、本当に大丈夫そうだと安心させてくれた。


「な、べべべ、別に、どどど、童貞ちゃうし!」


 分かりやすいくらい動揺してしまった。ばあちゃんのカウンターパンチというか、普通に他の人も居る部屋でそういう事を言われてしまうと、恥ずかしくて狼狽えてしまう。こういう所は母さんに似てしまったのかもしれないなあ。


「あっはっは、まああんたの顔も見れたし、偶にはケガでもしてみるもんさね。元気そうで良かった良かった!あっはっは!」


「あんた、それ俺のセリフじゃ…」


 半ば呆れつつも祖母の容態が悪くないのを確認した俺はベッドサイドにある椅子に腰かけると、母と祖母で久々に他愛のない話をした。


 仕事のこと、生活のこと、都会の食べ物や、流行り、テレビの芸人に会っとか、ここ数年里帰りも出来てなかったから積もり積もった話を、見舞いに貰ったであろう高級そうなお菓子と、途中で買ったお土産を食べながら話したのだった。


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