殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました2
八島えく
民の呪い
ネイビー・ピーコック博士は、数日前に、荒れた街に足を踏み入れた。
世にも恐ろしいと枕詞のつく怪物を、バーミリオンという呪いによって従えた傭兵でもって屠ったのが昨日。
この街に、もう用はなくなった。
「ご苦労だったよ、バーミリオン。きみのおかげで、予定より一日早く終わった。報酬は弾むよ」
「ああ、そうか」
どこかふわふわした声で浮かれたような表情を浮かべるネイビーに対し、声をかけられたバーミリオンは無表情に少し不機嫌を垂らした顔になっていた。
舌打ち一つ吐き捨てた彼の口周りには、べっとりと鮮血が塗られている。
「ご機嫌ななめだね。一晩泊まる部屋は取ったから、そこでその血を洗えるぞ」
「この左手の忌まわしい”青い血”も洗い流せたら、何も言うことはないのだがな」
言うと、バーミリオンがこれ見よがしに左手首をネイビーへ見せつける。
鮮やかな空色の、おかしな紋様が描かれている。
それは入れ墨や返り血などではなく、ネイビーによって刻まれた呪いだ。
ネイビーが目的を果たすまで、ネイビーを守らなければならないという呪いだ。
その呪いに抗えばバーミリオンは死ぬ。
ネイビーががバーミリオン以外の手によって死んでも、バーミリオンは死ぬ。
不本意な呪いを刻まれ、自分の生死さえも赤の他人に握られているのだ。
傭兵という、自由な生き方をしているバーミリオンにとっては、さぞや不愉快だろうな、と。
呪いをかけた張本人は理解していた。
「悪いが、呪いは風呂に入ったくらいじゃ消えない。接着剤やインクだったら落ちたかも知らんがね」
「腕を切り落としても?」
「無理だね。その場合はつながった体のどこかに、また呪いが表れるよ。推奨しない」
「誰が腕を切り落とすものか。おまえの首をはねるまでは」
人通りの非常に少ない道中、ネイビーは苦笑した。
ここまで殺意があるなら、自分の目的を果たしたその時も、きっと安心だろう。
本来、バーミリオンはネイビーを殺すために、ネイビーのもとへ来たのだから。
「あんな怪物を殺して回るのか」
「そうだよ。その数、確認できている中では十。もしかしたら二十も百もいるかもしれない。生息地や習性もそれぞれ違うから、殺りがいあるだろ」
「おまえを殺す練習にはよさそうだな」
「きみは私を何だと思ってるんだ。あそこまで私は強くないよ」
「どうだか」
二人は宿を目指し、歩いていく。
*
「……ん」
ネイビーはふいに、歩を止めた。
目の前に、うずくまって肩を震わせている人物がいる。
陽の落ちる前とはいえ、もう暗くなる時間だ。
一人では危ない。
「おい」
バーミリオンの短い制止の声も聞かず、ネイビーは歩み寄った。
背中まで伸びた髪と、貧相な男物の服を着ている。
ぶかぶかな服を着ていたせいで判別しにくいが、わずかにのぞける体格と嗚咽の声からして女だろう。
「もし。一人でここにいるのは危ないですよ。よろしければ家までお送りしますが」
ネイビーが努めて優しく声をかけても、女は泣き声を漏らし続けるだけだ。
あれやこれやと会話を促そうとしても、女に言葉を返す気配はない。
「……あなたは、ネイビー・ピーコック博士ですか?」
女が、やっと返してくれた。
「……。いいえ、人違いでは」
「そう……」
ネイビーは、くるりとゆっくり振り向く女の目を、一瞬見た。
見慣れた眼差しを持っている、自分にとって危険な目だ。
直後、ネイビーは強い力で後ろに引かれる感覚に襲われた。
「!」
「死ね!!」
女の怒号と共に、自分は後ろへ引きずり倒される。
ネイビーの前に躍り出たバーミリオンが犯人だと、すぐに気づいた。
女の手には、肘から手までの長さほどある短剣が握られていた。
あの場にいたら、刃に貫かれていた。
背中を強く打ちつけたネイビーは、痛みにもんどりうちながら、状況を整理する。
バーミリオンが女の手首を強く握りしめ、女は驚愕の表情でバーミリオンを見上げている。
あの女がうずくまっていたのは、泣いたふりをして待ち伏せていたのだろう。
ネイビーを自らの手で絶つために。
バーミリオンがネイビーの方に目を向けていた。
女がじたばたと暴れているのも意に介していない。
彼女の抵抗など、バーミリオンにとっては脅威でもないのだ。
「離してやれ」
「いいのか」
「良いよ。彼女から武器は取っただろ。おそらくもう私を傷つけることはできない」
そう答えると、バーミリオンは不機嫌そうに、ぱっと女を離した。
女は手首をさすりながら、殺意に満ちた目をネイビーに向ける。
「申し訳ないが、あなたの手にかかっては差し上げられない身でね。そのうちどこかで死ぬから、それまでお待ちいただければ」
「ふ……ふん。何を悠長な。おまえのせいで私の家族は……」
「食い扶持を失い、一家離散した、と。あなたのようなご家庭事情は、この一年で百件くらい聞いた」
「だから何だというの! 私たちの家族はあなたにとっては百一のうちの一つだろうけど、私にとってはたった一つの家族なのに!」
「それも聞いた」
「お前なんか! 苦しんで死ね……! 私たち家族の受けた仕打ちをそのまま受けて死ね……!
怪物に食われてむごたらしく死ね!! おまえたち一緒に惨めに死ね!!
誰にも愛されず、誰にも悲しまれず、世界中のすべての者から祝われて死ね!!」
突如、バーミリオンの目の色が、炎のように燃え上がった。
離していた手を再び掴みなおし、ぐっと力を込めた。
ごきり、と骨の砕けた音だ。
ネイビーはその音にも覚えがある。
「っああぁああ!!」
「やはりその手は切り落とすべきだったか」
バーミリオンは片手で器用に、剣を抜いた。
その切っ先は、恐怖に染まった女の前腕に添えられている。
「……何も知らない貴様に、なにがわかる」
静かで、低くて、腹の底に響く、強い声だった。
女の言葉の、何が引き金になったか、ネイビーにはわからない。
だが、わからなくても、やらなければならないことがあることくらいは、わかった。
「もうやめておけ」
ネイビーはバーミリオンの左手首に触れた。
左手首の青い呪いが、わずかに光る。
「ぃ……っ」
「彼女は私の狙う標的ではない。抑えろ、バーミリオン」
バーミリオンの手が、女から離れた。
ネイビーは懐から小さな封筒を取り出し、女の前に放り捨てた。
「私の”武器”が失礼を。その中にお詫びが入っている。その金で骨を治すと良い」
「……なに、同情でもしてるわけ」
「いや全然。自分の身内の過ちに責任くらい負うさ。それでは」
おいで、とネイビーはバーミリオンを手招きする。
バーミリオンはしばらく女をにらみ、舌打ちを吐いて後についていった。
*
「さっきの」
「ん?」
宿の部屋に到着し、バーミリオンはベッドの上でばふんばふんとはねているネイビーに訊ねた。
「良かったのか。生かしておいて」
「良いんだよ。腕が折れたから、しばらくは私を殺すこともできないだろう。それに、私への怨嗟を抱くことが生きる糧になる」
「ほの暗い糧だな」
「きみも人のことは言えないぞ」
「……それ以上は言うな」
バーミリオンは、入浴で濡れた髪のひと房をつまむ。
「一つ聞かせろ。おまえは、どうして」
バーミリオンの言葉が、一瞬詰まった。
ネイビーは首をかしげながら、彼の言葉の続きを待つ。
「どうして……この国からも恨まれるんだ」
「簡単な話だ。私が怪物という兵器を作ったからというだけのことだよ」
数年前、ネイビーは”怪物”を作った。
これは現存する兵器や兵士を上回るほどの力を持ち、怪物を一つ持つだけで国の兵力を格段に上げた。
ネイビーは淹れたてのコーヒーに口をつけた。
「この国に飼われた怪物は、兵役中の兵士たちに暇を出させた。首となった兵士たちの家族は路頭に迷う。今までの生活が営めなくなる。私が怪物を作らなければ、そんな理不尽は受けずに済んだから……恨むのさ」
「敵国でもないのに?」
「恨みに敵も味方もないよ、バーミリオン」
そういって、ネイビーはまたコーヒーをすすった。
「私からも一つ聞きたい」
「断る」
「きみはさっき、あの女のどの言葉に逆鱗を撫でられた?」
バーミリオンが、憎悪の眼差しをネイビーに向けた。
彼の目が、火の粉を散らす炎のようにきらめいている。
ぐっと握りしめた拳が、戦慄いている。
ネイビーはぼんやりした目で、彼から視線を外さない。
敵意殺意を向けられているというのに、ネイビーは恐怖を感じなかった。
ふう、とバーミリオンは深く息を吐く。
「別に。何も知らないくせに煩かったから、つい力がこもっただけだ」
「知らない、とは? きみも私のことは何も知らない……だろう」
「俺の回答はこれがすべてだ。これ以上聞いてきたら……死なない程度に殺す」
「呪いのルールの裏をかいてくるか。賢い良い子じゃないか。黙っててやるよ」
あはっ、とネイビーは笑う。
気づけば、バーミリオンはすでにベッドの中にもぐりこんでいた。
静かな寝息が聞こえる。
寝つきは良いらしい。
ネイビーはバーミリオンの額に触れ、「おやすみ」といった。
自分のベッドに横になり、眠気に身を任せた。
*
バーミリオンの目が、まだ開いていたことに、ネイビーは気づいていなかった。
が、それが今後の長い旅に影響することはないだろう。
バーミリオンは、今度こそ眠りについた。
了
殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました2 八島えく @eclair_8shima
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