第51話 夜勤のナルギ

「時間停止」の効果を受けるダンジョンから離れれば、外の世界は昼間だった。どうも、今回は実働八時間を得るために二日半かかったらしい。

 部下と別れたシャルは一時帰宅して休憩したのち、再びクレアシオンのダンジョンを訪れた。まだ次の出勤時間まで丸一日以上あるが、今のうちに夜勤のナルギと話をつけておこうと考えたのだ。


 それぞれの時間帯の責任者を呼び出して会談するということは、それすなわち時間外労働である。ただでさえ時間外労働が基本のエルフに、更なる残業を強いる残虐な行為に他ならない。しかもダンジョンの原状回復と全く関係ない職務内容のため、タイムカードは加算も減算もされない。地獄のサービス残業である。

 とはいえ、アズの提案はクレアシオンで働くエルフ族の労働環境を改善するための大きな一歩になるはずだ。今回ばかりは大目に見てもらいたいところである。


 まあ、正直『やれやれ系ハーレム主人公』の特性をもつシャルが声を上げれば、誰も彼も二つ返事どころか一つ返事で集まることは分かりきっているのだが――事前の声掛けは最低限の礼儀である。

 シャルだって、別に好きで男女混合ハーレムを作り上げている訳ではないのだ。便利すぎる特性の上に胡坐をかいて傍若無人に振舞っていて、いずれ自分が『普通のエルフ』になった時人間関係に少しの禍根かこんも残したくないというだけだ。


 シャルがダンジョンの入口へ辿り着いた時、辺りはすっかり暗くなっていた。ぽっかりと開いた洞窟の入口には、ヒト族に対する声掛けを行うために待機中のエルフが二人居る。ただ、よりによって同じように肩口で揃えられたストレートヘアーの男が並んでいるため、シャルは足を止めて困り顔になった。


「――シャルルエドゥ?」


 掛けられた声を聴いて相手を確実に判断できたのか、シャルは安堵するように「ああ、ナルギ」と目元を緩めた。ナルギは僅かに目尻を赤く染めると、咳払いしたのち隣の部下に向かって「俺はシャルルエドゥと話があるから、先にエリアへ戻っていろ」と命じている。

 部下の男はシャルに向かってはにかむような笑みを見せると、やや名残惜しそうにしながら洞窟の中へ入って行った。


「それで、なんの用だ? まだお前の出勤時間じゃないだろう、時差ボケでもしたのか――いや、そ、それとも、こう……俺に何か、個人的な用が? ふん、こちらは勤務中だというのに、全く……男同士なんだぞ、分かっているのか?」


 ナルギは、まるで己の体を守るようにして両腕をきつく組んだ。頬は薄っすらと桃色に染まり、潤んだ碧眼は恥じらうように伏せられている。しかしシャルはいつものことと気にしていない様子で首を傾げた。


「ナルギが何を言わんとしているのかよく分からないんだが、とりあえず今は多様性の時代だぞ。前から何度も言っているだろう、性がどうとか種族がどうとかいう差別発言にはよく注意すべきだ。お前だって『クソザコエルフ』なんて呼ばれたら傷つくだろう」

「………………つまり、目的で合っているということか!? っく、この、き、気持ちの悪いヤツめ……! 一体俺をどうするつもりだ!? お前は上司なんだぞ、部下の俺が命令に逆らえるはずないだろう! 体は開けても心まで開けるとは思わないことだな、このキモ童貞エルフ!」

「ナルギは一週間会わないだけですぐに属性が渋滞するから、本当に認知しづらい……」


 シャルが頭痛を堪えるような表情で「あと、体を開く気も開かせる気もない」と呟けば、ナルギは途端にスンと冷静さを取り戻した。ようやく話ができる状態になったと判断したのか、シャルは今までの会話などなかったかのように続ける。


「職場見学をした時にナルギとも顔を合わせているかも知れないが……ウチに新人が異動してきたことは把握しているな?」

「ああ、あの混ざり――いや、ハーフエルフのガキか。いくらたっといエルフ族の血が入っていようとも、結局は劣等種の血が混ざっているのが残念だ」


 ナルギはそこで一旦言葉を切ると、ふむと逡巡してから口を開いた。


「まあ、お前の班の……ルルトリシアだったか? あれは、それなりに使いものになるハーフと認めてやっても良いが……しかし新人は素行不良で転属を繰り返していたドクズという話じゃないか。ロデュオゾロと変わらんクソザコだな――そう考えると、ハーフと同等のクソザコロデュオゾロはエルフ界でも最底辺な気がしてきた」

「アズはトリスの双子の兄だから、たぶん恐らく、きっとなんとなく、性根は似ているんじゃないか」

「……あれらが双子なのも驚きだが、お前のその自信のなさすぎるフォローにも驚きだ」

「あと今のロロは良いヤツなのだから、いい加減認めてやってくれ」


 シャルの言葉に、ナルギはこれでもかと顔を顰める。ふんと鼻を鳴らしてから不貞腐れたように黙り込む彼を見て、シャルは小さく息を吐き出した。本当にロロとソリが合わないというか、なんというか――ただ誤解のないように言えば、彼はロロ個人でなく不良全般が嫌いなだけだ。

 しかも一度その者に対する評価を下げたら最後、二度とくつがえらない。第一印象が最悪だったら、その後どれだけまともな面を見せられても死ぬまで『最悪』のまま。彼の中には減点方式しか存在しない。

 その点、トリスは最初から殊勝で真面目な態度で付き合っているため、大嫌いなヒトと混ざったハーフだろうがナルギから一目置かれているのだろう。


「とにかく、アズが面白い企画を挙げたから――近いうちにサービス残業を頼むことになると思う。悪いが、その時は応じてくれ」

「さ、サビ残だと!? ……っく、職権乱用で時間外に会いたがるなんて、一体俺に何を求めているんだか――」

「アティとロロも呼ぶし、企画提案者のアズも来るからちゃんと仲良くするんだぞ」


 ナルギは突然スンと表情をなくすと、死んだ魚の目をして「ですよね……」といきなり敬語になった。シャルは全く意に介した様子がなく、「じゃあ、僕は帰って寝る。おやすみナルギ」とだけ告げて立ち去った。

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