第50話 副業

 トリスはアズの言葉を受けて僅かに唇を尖らせた。すぐさま「私は、本当にアザレオルルよりも前から――」と言いかけたが、しかし彼から何事か耳打ちされると、一瞬苦み走った顔をしたのちに「ふん!」と顔を背けて黙り込んだ。もしかすると、双子の兄に何かしら弱みを握られているのかも知れない。


 妹が黙り込んだのを見て満足げな表情を浮かべたアズは、気を取り直した様子で解説を続けた。


「チビシアパイセンの仰る通り、ポイントショップには多種多様なアイテムオブジェクトが揃っています。自分の名前と同じですね、アルファベットのAからZまでありとあらゆるものを売る唯一無二のショップなんですから」

「どこぞの大企業のロゴが意味する理念を堂々とパクるんじゃない」

「だから、それらを活用すれば隠しエリアも難なく用意できると思うんですよね」

「全く聞いていないな――まあ良い。アズのやりたいことと考えは大体理解した。上手く行けば、このクレアシオンをヒト族にとって革新的なダンジョンに改造したという『徳』が積める可能性もある」


 シャルの言葉に、アズは笑顔で「そうでしょう?」と頷いた。

 ダンジョンの改造など、エルフ族の歴史上前例のない暴挙とも言える。神の意志に逆らう者はエルフ族だろうが魔族だろうが等しく罰せられてきたが――果たして改造はどうなのか。


 結果として新米冒険者のレベルを底上げできるという、少なくともヒト族の繁栄に繋がる良い方向へ転がるのだから、許されるどころか善行ならぬ『徳』として扱われそうな気もする。ただ気になるのは、今後は新米の死傷率だけでなく上級冒険者の死傷率にも目を配らなければまずいという点か。


「でも、アイテムがあったところで『隠しエリア』の新規増設なんて……そんな工事、現実的に考えてできる訳ないじゃないですか。クレアシオンで働く先輩方に働きながら片手間で工事できるほどお暇な方はいらっしゃいませんよ。まあ、アザレオルル一人が休日出勤してダンジョンの壁を掘るつもりなら、お話は別ですけど~?」


 すっかり不貞腐れてしまったらしいトリスが、アズを一瞥することもなく告げた。

 恐らく、彼女の中にそういう懸念けねんがあったからこそ『隠しエリア』という構想を練っていても口には出さなかったのだ。「やりたい」と思ってはいても、現実問題そんな工事を簡単にできるはずがない。


 なぜなら、お掃除エルフは忙しい。忙しすぎるのだ。タイムカードが減算されるため本業の原状回復をサボる訳にはいかないし、クレアシオンはただでさえ他のダンジョンと比べて働き手が少ない。

 実働たった八時間を得るためだけに、外の世界では二十四時間から七十二時間経過する。清掃に時間をとられた場合には百五十時間以上かかる。ただしそれは、でいう翌日――次の出勤日を迎えるまで、それ以上に長い時間がかかるということでもある。


 しかし、正直それくらい休まねばやっていられない。

 途中で仮眠を挟みながらとはいえ、例えばぶっ続けで七十二時間働いたら同じだけ休みたいに決まっている。仮に一般的な企業に当てはめてみれば、五日間の実働四十時間で済むところを当然のように残業三十時間が乗っかっているようなものだ。均等割りすれば毎日六時間残業していることになる。それを乗り越えてようやく、三日だか四日だかの連休を迎えられるという訳だ。

 果たして週休何日なのだろうか、これは――一週間は七日しかないのに、最早訳が分からないことになっている。


 そんな状態で休日出勤する気力などない。毎月の固定残業時間が百二十時間なんて、常軌を逸しているではないか。労基法違反にも程がある。

 シャルはほんの少し前までやたらと休日出勤を強いられていたが、決して喜び勇んで応援要請を受けていた訳ではない。今思えば、どこのダンジョンの管理者もわざわざ「シャルルエドゥを呼べ」と言うのは、これまたシャル中毒を拗らせているせいだろう。


 ――とにかく、いくらエルフ族の身体能力がとんでもなく優れていてもキツイものはキツイ。「次元移動」の魔法でゴッソリとダンジョンの壁を掘削できたとしてもキツイ。「収納」でありとあらゆるものを運搬できたとしてもキツイ。「時間停止」の魔法を活用すれば新規エリアの工事中にヒト族が迷い込んでくるリスクもないとはいえ、キツイ。


 本業の原状回復で、壁面床面工事から汚し作業、植物の生育まで得意とは言ったって。それに、神のポイントショップを使えばどんなものでも揃えられると言ったって――。


「……待て、本当にか? 意外と現実的な構想のような気がするのは僕だけか」


 シャルが首を傾げるのと同時に、ダニエラとロロが深く頷いた。難癖をつけたトリスまでもが、ぐぐぐと悔しげに顔を歪めながら「いや、それは、できないこともないかも、知れなくもないかも、知れなくなくはないですけれど……」と、肯定なのか否定なのか分かりづらい声を漏らした。

 一人勝ち誇った表情のアズだけが胸を張っている。


「恐らく休日出勤どころか、待機時間を活用すれば秘密裏に工事を進められる。頻繁に作業を中断することになるから進みは遅いだろうが……全エリアのエルフを総動員すれば、できなくもないな。一エリアにつき一人冒険者の監視役を残していれば、本業にも差し支えないだろう」

「つまりぃ、クレアシオンのエルフ皆で副業を始めましょうってこと~?」

「副業……そうだな。僕はじぃじの教えに反しないことならば、基本的に何をやっても構わないと思っているし」

「うわあ、シャルルエドゥ先輩が理解のあるジジコンで良かったです! 管理者の同意を取り付けたらもうこっちのモンですよ! 自分、早速明日から――」


 喜色満面のアズが言い切る前に、シャルが「ただし」と遮った。


「前例にないことをやるのだから、それなりに慎重になってもわらなければ困る。まず新規エリアの設計図と企画書を提出しろ、それを全時間帯の責任者三名で協議してからの話だ」

「えぇ~!? さっさとやっちゃいましょうよ、一日でも早い方が後々楽できるじゃないですか!?」

「そういう訳にはいかない。僕は単なる管理者であって、このダンジョンは所有物でもなんでもない――ああ、そうだ。次期管理者候補として、ロロも会議に同席すると良い」

「……それ、またナルギさんに難癖つけられるんスけど、俺」

「気にしなくて良い、任命権は僕にあるのだから」


 ロロは肩を竦めて「いや、そういう問題じゃねえんだって」と漏らしたが、しかしその表情は照れくさそうだった。アズは「自分、反省文だけでも十五枚ぐらい書かなきゃいけないのに……その上、設計図と企画書とか――」と頭を抱えている。


 結局この日アズの提案は保留となり、責任者たちで協議してから工事を始めることになった。

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