第29話 作業開始

 スライムの巣エリアにはけたたましい音が鳴り響いている。シャルの「収納」倉庫から取り出された小型発電機が稼働する音と、そこからコードで繋がっている特殊な掃除機の音だ。

 これは、地面や壁にデロリと張り付いたスライムのゼリーを吸い込むためのもの。乾湿両用で、水っぽいゼリーだろうが液体だろうが難なく吸い込める。全て吸引し終わったら、特殊なザルでこしてゼリーとそれ以外を分けるのだ。


 そもそも、初級ダンジョンのエリアに生息するスライムの数はごく僅かだ。割られてしまった赤い核は手で拾い上げて、粉々に砕かれてしまったものは掃除機で吸い込んでしまえば良い。

 集め終わったらまとめて魔法の大釜に放り込む。そうして排出された水晶玉を叩き割れば、スライムの復活が完了するという訳だ。


「なかなかの掃除機さばきだな。とても配属先が十四回も変わっているとは思えない」


 掃除機を操って取りこぼしなくスライムゼリーを吸引しているアズに、シャルが感心したように声を掛けた。「えっへへ~、それほどでも~!」と照れた様子の少年を見て妹のトリスが呆れ声を上げる。


「褒めているんじゃなくて、嫌味ですよ……気付いてくださいバカアズ」

「あ~、ウィッスッス~ご忠告どもッス、チビシアパイセン~」

「チビシアは辞めてください! ――もう、ロデュオゾロ先輩のせいですからね!?」


 ロロはトリスの嘆きなどどこ吹く風だ。電子タブレットのようなものを片手にエリア内を練り歩き、壁の状態を調べるのに夢中らしい。ちなみにタブレットの画面には、このエリアを三百六十度ぐるりと撮影した写真が映し出されている。

 写真を見比べながら歩けば、傷や汚れの有無も一目瞭然。このエリアは単なる岩壁だが、ダンジョンによっては壁や柱に精巧な装飾が施されている場合もある。それらが欠けていないか確かめて元通りに清掃、修復するのも仕事の内だ。


「無駄口叩いてないで壁と床の傷見ろ、チビシア」


 ロロの言い草に、トリスは「キーッ」と顔を顰めた。しかし文句を言いながらもしっかりと手足を動かせるのが彼女の良いところである。

 比較的簡単なスライムの回収と復活は新人のアズに一任して、壁や床の補修はロロとトリスに任せる。残るは、くたびれた薬草の植え直しだ。

 薬草ゾーンの傍にしゃがみ込んだダニエラは、褐色でツヤのある頬をぷくりと膨らませている。ガーデニング用の軍手に右手にはスコップ。足元には、ロロが「収納」の異空間で丹精込めて育てた薬草が鉢植えごと置かれている。


 シャルも彼女の横に片膝をつくと、地面の様子を調べた。


「かなり念入りに踏みつけられているな。恐らく、ナルギに「薬草を抜いたらとっとと家に帰れザーコ」とでも言われたんだろう」

「もぉ~、ナルちゃんのせいで仕事が増えるだけじゃなくて~、ロロちゃんが育てた薬草までダメになるのがヤなの~」


 ダニエラは地面にザクッと勢いよくスコップを突き刺すと、くたびれた薬草を根ごと掘りおこした。彼女はいつもおっとり伸び伸びしているが、大好きな草花を雑に取り扱われると不機嫌になってしまう。それは相手がヒト族だろうが魔族だろうが、エルフ族だろうと関係ない。


 エルフ族というのはその昔「森の民」「森の賢人」と呼ばれていたらしい。賑やかな場所よりも緑の深い長閑のどかな場所を好み、森の中で草花と共に生きたのだという。それが気付けばヒト族を一方的に搾取したり魔族と大陸の覇権を争ったりと、血の気の多い種族に変化したようだが――まあ、その辺りの話は良いだろう。


 とにかく、種に刻まれた根源的なものなのかなんなのか。エルフ族には草花好きが多い。ダークエルフであるダニエラも例に漏れず、だからこそこうして頬を膨らませているのだ。


「ひとまず原状回復が終わったら、僕が改めて冒険者と話してみる」

「……本当?」


 ダニエラと同様シャルも軍手を嵌めると、根にまとわりつく土ごと植木鉢の薬草を引き抜いた。まるで菖蒲しょうぶの葉茎のように剣の形をした薬草からは、鼻の通りがスーッとよくなる清涼感のある香りがする。


「どうせなら薬草をダメにするんじゃなくて、売るなり煎じるなりしてもらった方がこちらも報われるだろう。毎度くたびれた薬草を見せられるのもやるせない」

「でもナルちゃんが怒らせてるみたいだから~、きっと難癖つけられるよ~? 話なんてまともに聞いてくれないだろうしぃ、面倒くさいかも~……」

「この世に楽な仕事なんてないから問題ない」


 ダニエラは瞬く間に新しい薬草を植え直すと、地面をスコップでぺんぺんとならしながら「そっかぁ、そうよね~」と言って朗らかに笑った。

 薬草を植え直したら、あとは地面の色味を周りと合わせるために上から乾燥した土を被せるだけだ。

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