第28話 お掃除マニュアル

 シャルはエクレアを食べ終わると、外袋のゴミを「収納」の異空間へ放り投げた。そうして自身のタイムカードに手の平を翳したのち、おもむろにアズに目を向ける。

 タイムカードが稼働し始めたので、ここから先はまごうことなき業務である。サボっていると「休憩」として減算されていくため注意が必要だ。


「アズ、原状回復の手順は分かるな?」

「もちろんです! これでも次席卒業ですよ!」

「今までその真価をひとつも発揮できていなかったようだから、念のため確認したいんだ」


 原状回復の手順は、こうだ。

 散らばったモンスターの死骸を集めて復活させるための大釜に放り込む。床に広がる血液はモップで吸ってそれらも一緒に入れる。

 床や壁、柱や天井などに飛び散った体液、汚れを拭きとる。この時、決して綺麗にし過ぎてはいけない。周囲と比べて色ムラができるような掃除の仕方は、雑な仕事と揶揄されるからだ。


 他にも破壊されたオブジェクト、壁や床などを修復する。箱や床に転がる石などのオブジェクトは「収納」の異空間から用意して、エリアの傷や欠けた部分はパテ埋めだ。

 罠に関しては特殊な魔法アイテムを通じて神に頼み、ポイントと交換するのだが――初級ダンジョンのスライムの巣にそんな大層なものは存在しない。


 あとはダメになった薬草の植え直しと、掘り返されて色が変わった土の調整だ。乾いた表面の土と掘り返された水分を含む土とでは色から匂い、重さまで全く違う。


 手順をひとしきり説明したアズは、得意げに胸を反らしながら続けた。


「そうしてエリアの原状回復が終わったら、復活したスライムを配置して完了です!」

「モンスターを配置する際の注意事項は?」

「利用する冒険者の力量を見極めて数を調整すること。配置を急ぎ過ぎると「時間停止」を解除する前にモンスターが動き出してしまうので、タイミングに留意することです」


 冒険者が同じエリアを繰り返し行き来していても、あえてモンスターの配置数を変えることがある。

 さっきはスライム二匹だったけど今回は三匹だぞ! とか、一匹やたらでかくて強そうなのを混ぜたぞ! とか、状況によって色々だ。とにかく同じ種類のスライムであれば、数も強さもどうだって良い。


 一人ソロで探索する冒険者ならモンスターは少なめ、パーティなら多め。冒険者にそれなりの技量があると分かれば、良い刺激になるだろうとレベルの高いモンスターを配置することもある。


 もしも冒険者が負傷したのを見たら、無事ダンジョンから脱出できるように全エリアでレベルの低いモンスターを増やす。これは、帰り道になるエリアを受け持つチームにも「あいつケガしたから危険だぞ」と周知する事で可能だ。


 ちなみに、大釜で復活させられたモンスターは直径二十センチほどの水晶玉になって排出される。よく見ると、中にはミニチュアサイズのモンスターが閉じ込められているのが分かる。

 それを地面や壁に叩きつけて割れば、水晶は消え失せて中からモンスターが飛び出てくるという謎の仕様だ。


 神に精神を破壊されてモンスターに成り下がった魔族は魔法を一切使えない。だからこそ「時間停止」の影響を受ける。

 ただ、いくら「時間停止」を発動していてもエルフ族が直接または間接的に触れたモノの時間は動き出してしまう。一旦水晶に姿を変えるのは、復活したモンスターによる事故を防ぐための措置なのだろう。


 この大釜をつくってエルフ族に下賜かししたのは神なので、構造がどうとか仕組みがどうとかいうことは分からない。知りすぎたエルフは深淵に飲み込まれるなんて怪談話もあるくらいだ。世の中には知らない方が良いこともある。


「……素晴らしい。それだけまともな知識があってマイナス五百万ポイントとは恐れ入るな」

「恐縮です!」

「別に褒めていない」


 シャルの「マイナス五百万ポイント」という指摘に、周囲の者がギョッと目を丸めた。トリスまであんぐりと口を開いている辺り、どうもこの双子は私生活であまり接点がないようだ。


 それはまあ、驚くだろう。現場に配属されてたった半年の新人が、既に神から五百万もしている状態なのだから。

 ポイントがマイナスになったからと言って、すぐさま不都合が起きる訳ではない。ただ仮にマイナスのまま死んでしまうと、残された血族が問答無用で借金を背負うことになる。


 その地獄の相続は完済されるまで際限なく続き、子々孫々に脈々と受け継がれてしまう。また、エルフ族には一応四万歳という定年が存在するのだが――借金がある者は死の間際まで労役を強いられる。

 エルフの寿命は四万から五万と幅があるため、下手をすれば周りの同族よりも丸一万年長く働くハメになるのだ。


 定年までは馬車馬のように働く毎日で、青春など皆無だ。しかし労役から解放されたエルフ族はそれなりに自由な生活を謳歌できる。それが一切なくなるのだから、やはりポイントは稼げるだけ稼いでいた方が良い。借金なんてもってのほかだ。


 十億ポイント貯めた者は定年関係なく、すぐさま労役から解放されると言われている。しかし、高齢なシャルのじぃじをもってしても「そんなヤツ見たことない」と言うのだから、ハードルはかなり高いのだろう。


「も……もし今アザレオルルに何かあったら、私がマイナス五百万ポイントを食らうということですか……?」


 真っ青な顔をしたトリスを見て、アズは「何を分かり切ったことを」と言わんばかりの顔で頷いた。


「――本っ当に信じられないんですけど! このバカ兄!! 一体何をしたらそんなことに!? さっさと完済してくださいよ!」

「ウィーッス、パイセン! 自分頑張るっス! ウス!」


 どこまでも雑な返しをするアズ。スライムの巣には、トリスの「サイテー!」という悲鳴が木霊こだました。

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