第11話 修復完了

 岩肌の塗装面を乾かし終わったら、いよいよ苔パウダーの貼り付けだ。

 今回シャルがやるのは、あくまでもヒト族の目を誤魔化すためだけの――最低限の原状回復である。後ほど本職の汚し屋が作業する際には、苔も雑な塗装も全て剥がされてしまうだろう。

 いくら上から苔で隠そうとも、少年エルフの手によって滑らかに磨き上げられた岩肌は本職からすれば許されざるものだ。違和感でしかない。


 恐らく彼らの修復作業は、石膏せっこうでリアルな質感の岩肌のイミテーションをつくるところから始まるのではないか。だからこそシャルは、後々剥がしやすいように油性の塗装下地シーラーさえ使わなかった。


 苔を付けるための接着剤については、片栗粉を水で練って火にかけた澱粉糊でんぷんのりを使う。これは決して粘着力が強い訳ではないし、防腐剤も混ぜていないので時間経過で劣化しやすい。これだけ湿度が高いエリアではカビも生え放題だ。


 しかし、ここは嗅覚の鋭いウェアウルフの巣だ。あまり匂いのきつい化学接着剤を使うと、冒険者よりも先にまず彼らが違和感を覚えて集まるだろう。

 そうして壁に集まるモンスターを見て、他でもない冒険者が「なんかモンスターの動きがいつもと違うぞ!?」と疑問を抱いてしまっては本末転倒なのだ。


 ちなみに、先ほど岩肌に塗布したペンキもミルクガゼインという乳たんぱく質由来のものを使用してある。溶剤系のツンとした匂い――ペンキ特有のシンナー臭さがほとんどないのだ。

 ただし、塗布する材質によっては極端に剥がれやすい、乾燥する際に生っぽい独特な匂いを発生するなどの弱点をもつ。

 しかしそれも乾いてしまえば薄まるし、上から澱粉糊、苔パウダー、そしてウェアウルフの毛を練り込めばいくらか誤魔化せるだろう。


 それでも匂いが不安なら、仕上げにマーキングスプレーを吹きかけてしまえば万事解決だ。

 名前の通り、ウェアウルフがマーキングの際に分泌する体液を採取したものである。シャルは複数のモンスターのスプレーを所持しているためマーキングもお手の物だ。

 決して特殊性癖ではない。業務上どうしても必要だからだ。


 何はともあれ、「汚し屋」が修復してくれるまでの間冒険者が異変に気付かなければ勝ちである。


 ヘラで糊を塗り込み、苔パウダーはピンセットで摘まんで緑と黄緑、濃い緑の三色を植え付けていく。

 パウダーと言っても粉状のものだけではなく、細かくちぎった海綿スポンジのようになっているものもある。今回使うのは海綿状の苔だ。


 均一な色や高さに植えてしまえばかえって不自然になる。自然な凹みや膨らみ、立体感と周りの苔との調和を意識する。

 そうして苔を植え終えたら、ウェアウルフの毛をより合わせるようにして絡める。あとはこれを乾燥させてから、仕上げのスプレーを吹きかければ完成だ。


 シャルは小さく息を吐くと、扉付近でソワソワしているミザリーに声を掛けた。


「仕上げの乾燥とスプレーは任せても良いか? 僕の技量でできるのはここまでだ」

「本当にありがとう、助かったよ! 遠目から見たら違和感ゼロ!」

「近くで見たら酷いものだけどな――タイムカードの減算カウントはどうなってる?」


 使った道具を「収納」で片付けながら問えば、ミザリーは手元を見ながら「シャルが働き始めてから三十分ぐらいかなあ。早い、早い! 一、二時間は覚悟してたから!」と笑う。


 確かに、汚し屋の丁寧で完璧な作業時間と比べれば早いだろう。時間の早さに比例してクオリティまで低くなるのは、そもそもが本職ではない以上仕方がない。


 ――それにしたって、今回の彼女は運がなかったとしか言いようがない。いまいち意図の分からない新人のミスから始まり、ジャンケンに負けて一人で「時間停止」を維持するハメになって。

 この待機時間はタイムカード上休憩扱いにされ、「実働時間」は今も減算されている。


「今度もし休日が被れば食事でも奢ろうか」

「ええ? シャルの~? ……まあ、そうだね。期待は一切しないでおくけどいつでも連絡して? 向こう三十年は予定が入ってないから」

「それは奇遇だな、僕も休日にこれと言った予定はない――ないはずなんだけど、最近どうもおかしいんだよな」


 顎に手を当てて考え耽るシャルの横で、少年エルフが「自分もシャルルエドゥ先輩にサインを貰いに行く以外の用事はありませんからね! いつでも連絡してくださいね!」と破顔した。


 シャルは目を眇めて少年を見やったが、しかし何か言葉を掛ける前にエリア内の空間に金色の裂け目が複数走った。恐らく「中抜け」していたテルセイロの清掃チームが戻って来たのだろう。


 じわりじわりと裂け目を広げる「次元移動」の魔法は、十以上発動しているようだ。大きさも幅もまちまち、広がり方にも個性がある。中には、まるでテレビの砂嵐映像のように次元が不安定に揺れて途切れているものもある。

 ひと口に魔法と言っても、誰が発動しても全く同じ事象が起こる訳ではないのだ。魔力の保有量、制御力、発動する者の精神力によっても効果が変わる。


 やがて誰よりも早く「次元移動」してきたのは、このダンジョンの管理を任されている責任者リーダーのエルフだった。

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