第10話 調色

 調色ちょうしょくとは、絵を描く時や壁の塗装をする時などに、複数の絵の具を調合して望みの色味を創り出す事を指す。

 今回の岩肌で言えば、まず白色と青に近い紺色を混ぜた灰色をベースに選ぶ。これに黒色を加えれば青灰っぽい岩の色に近付くのだ。更に少量ずつ黄色を混ぜると、ぼんやりと濁った緑色に変化していく。


 それらを、エアブラシという道具――コンプレッサーで圧縮した空気で塗料を吹き付けるスプレーのようなものだ――を使い、繰り返し色を重ねて塗装していく。

 アタッチメントによって噴霧される粒子を細かく調節できるため、筆やローラーでは出せない精度のぼかしやグラデーションを作る事が可能だ。


 ちなみに、配線用差込接続器コンセントがないダンジョン内でエアブラシを使うためには移動電源モバイルバッテリーが必須。

 バッテリーは、エルフ族がそれぞれもつ「収納」の異空間倉庫内に常時保管されている。使用しない間は、異空間倉庫の中にある発電機で充電しておくのが基本だ。


 どんなにかさばる荷物も、魔法の異空間に入れれば自由自在に持ち運べる。ただし異空間の中は時間が進むため、生鮮品は腐敗するし氷だって溶けるが――道具の充電はできるし、薬草の生育も可能なのだ。

 これだけでも十分便利な力ではあるものの、多くの魔法を失ってしまったエルフ族は科学に頼らねば電力を発生させる事もできない。そもそも、複数の魔法が使えて当たり前だった時代を知る者も少なくなったが――全くもって世知辛い世の中である。


 シャルは問題の十センチ四方周辺に、極めて粘着力が低い幅広の養生ようじょうテープを張り付けた。周囲の苔にまでスプレーが拭き付けられてしまったら、それらを修復するのに二度手間、三度手間だからだ。

 次に目口鼻を覆う防毒マスクを装着したのち、薄い手袋から分厚いものに付け替える。それからエアブラシでベース色、その上に複数の色を塗り重ねていく。


 エリア内の換気をするため、事前にダンジョンの外と繋いでおいた次元の裂け目へ送風機を向ける事も忘れない。いくら頑丈なエルフでも、閉鎖空間で塗装していれば体調を損なってしまうからだ。


 こうして色を塗った岩の上には、科学繊維で作られた苔のイミテーション、苔パウダーを載せる。更に苔に絡ませるように、ウェアウルフの毛を練り込むつもりだ。そのため、例え急ぎ足で調色したとしても多少の色彩違いは誤魔化せるだろう。


 シャルは、エリアの扉の近くで祈るように両手を組んで待機するミザリーに声を掛けた。


「本来なら、適宜てきぎ乾かしながら色調を確認するんだが……あまり時間をかけるとミザリーのタイムカードがまずい事になる。完成度は三十パーセント止まりだと思って欲しい」


 どうせなら、作業するついでに「時間停止」の維持まで代わってやれれば良かった。しかし、シャルはあくまでもピンチヒッターだ。管轄外のダンジョンではむやみに「時間停止」を使ってはいけない規約がある。軽い棲み分けのようなものだ。


「うんうん! それで良い――っていうか、! 本職に頼むと調色するだけで時間かかるじゃん? しかも一色ずつ完璧に乾かして、色味を確かめて……実際に塗り始めるまでクッソ長いし、塗り始めてからも調整で長いし! ホント凝り性の完璧主義だよね、汚し屋ってさ」

「とは言え、僕が汚し屋と同水準に仕上げようと思ったら優に二、三倍の時間がかかる。彼らは間違いなくプロフェッショナルだ」


 ミザリーは「そうだけどぉ」と膨れっつらになった。

 専門の汚し屋に依頼すれば本物の汚れ、苔と見分けがつかないほどリアルに仕上がる。しかし完成度の高さに比例して、作業時間も膨大になってしまう。

 実際に仕事をしている汚し屋はともかくとして、その他のエルフについては手持無沙汰になり次第タイムカード上休憩扱いになってしまう。

 中抜けで席を外せばタイムカードの減算はまぬかれるが、その間『実働』を稼ぐ方法はないし、ただ拘束時間が長くなるばかりだ。


 ――となれば、あまり積極的には呼びたくないというのがエルフ族の本音である。ひとまず冒険者が違和感を覚えない最低限の状態へ修復しておいて、後日汚し屋が本領を発揮しても問題ない時間帯に仕事を頼むしかない。


 ダンジョン時間ではなく世界時間でいう深夜帯ならば、ダンジョンの利用者も大幅に減るのだ。そこを狙えば、汚し屋のみで結成された少数精鋭のチームでも十分に原状回復できる。エイジングが本職とは言っても、エルフ族である以上通常の清掃を一切しない訳にはいかないのだから。


 シャルは拭き付け作業を終えると、使った道具を「収納」する。そして入れ替わりに光ドライヤーという、五十度ほどの熱を発する光源付きのドライヤーを取り出した。ペンキを塗布した部分に光を当てながら微風をかけて乾燥させるのだ。


「シャルルエドゥ先輩、強風でササッと乾かさないんですか? ミザリーさんのタイムカードぐんぐん減算されますよ」


 シャルと同様防毒マスクをつけて興味深そうに見学していた少年エルフが、不思議そうに問いかけた。


「どの口で言――いや、良い、答えるな」

「はい!」

「強い風を当てると塗装の表面に風紋ふうもんができるだろう。どうせ上から苔を貼り付けるとは言え、下地が波打つだけで接着力に不安が生じるからな」


 あまり強力な風を塗装面に当てると塗料がヨレて乾いてしまう。そうなると表面がボコボコになったり、波打ったり――乾かし過ぎると割れて剥がれる事もある。

 材質にもよるが、多少時間がかかったとしても光の熱で乾かしてしまった方が均一に仕上がるのだ。本来これだけ滑らかな岩に塗装するなら、時間経過で自然乾燥させるのが一番良い。しかし、今回ばかりは時間がないので仕方なかった。

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