第9話 少年の謎

 少年エルフに対する興味を早々に失ったシャルは、問題の岩壁の前に立った。道中少年から聞かされた通り、苔ひとつ残さず磨かれた岩はツルリと艶めいている。これでは、周りの岩から浮く浮かないどころの話ではない、本当に同じ材質なのかと疑いたくなる美しさだ。

 一体どんな掃除の仕方をすればここまで美しくなってしまうのか――磨かれた範囲が精々十センチ四方であった事が不幸中の幸いである。

 シャルは薄い手袋を嵌めた指先で岩肌をなぞった。


「おい、研磨剤でも使ったのか?」

「スクレーパーでこそぎ落としました!」


 少年エルフが満面の笑みを浮かべて手に持っているのは、スクレーパーと呼ばれる工具だ。へら状の刃に柄をつけたもので、冒険者が地面に吐き捨てたガムを削ぎ落とすのに重宝する。


「……壁にガムが?」

「いや、自分この小汚い苔の野郎がどうしても許せませんでした!」

「こいつはとんでもない言い分だな、もう喋らなくていい」

「はい!」


 シャルは「収納」魔法による異空間から数種類のペンキを取り出しつつ、思案に耽った。これは明らかにスクレーパーの仕業だけではない。ただ苔をこそぎ落としだけでこんなにも表面がなめらかになるはずがないからだ。

 恐らく苔を落とした後にサンドペーパーか何か使って、岩肌に付着する汚れごと念入りに研磨したのだろう。表層をめくるように削られた結果、奥の汚れていない層が顔を出したのだ。


「僕の質問にだけ、簡潔に答えてくれ。何分でこの状態に仕上げた?」

「大急ぎでやりましたから、十分かかっていないと思います!」

「こんな悪魔の所業を、たった十分で……まあ、そうだな。手早い犯行でなければ、もっと早い段階で周りが止めただろう」

「自分、ちょっと潔癖入ってるんで!」

「そうだとすれば、少なくともテルセイロのダンジョンは貴様に向いていない」

「はい!」


 どこまでも良い返事をする新人に、シャルは頭を抱えたくなった。この少年はコレだ。やはりわざとミスしているとしか思えない。そうでなければこんな無茶をやらかさないだろう。

 そもそもこの少年エルフ、ダンジョン時間ならぬダンジョン暦表カレンダーでいう会計年度の始まり――つまり四月の一日付けで現場へ配属されてからというもの、たった半年間で二桁を超える回数の配置転換を食らっている。


 理由は言わずもがな、ミスが多すぎるからだ。いや、正直ミスするだけならば全く問題ない。新人の内はミスしてなんぼである。彼の問題は全く悪びれていないところ。そして、態度を改めるつもりがひとつもないところだ。

 恐らくあと数週間もしない内に、ここテルセイロのダンジョンからも追い出されるだろう。果たして彼の保有するポイントが現在どうなっているのか知りたいような、一生知りたくないような――。


 シャルは意識を切り替えるように頭を振ると、異空間から取り出したばかりのペンキを平らな器に出した。まずはこの、磨かれた岩肌を汚さねば始まらない。


 エルフ族の原状回復は、ただ綺麗に掃除するだけではないのだ。例えばエリア内の古めかしい岩の柱が冒険者に破壊された時も、元通りに修復しなければならない。

 しかし、ひび割れをモルタルでパテ埋めしたとしても折れた柱ごと新しいものに交換したとしても、現存する他の柱とは色味も風化具合も変わってしまう。


 だからと言って、「色味を合わせるために全部新しい柱に交換しよう!」なんて考えは無謀だ。時間とポイントがかかり過ぎるし、ダンジョンの雰囲気だってぶち壊す。隣のエリアからおかわりしに戻って来た冒険者は、確実に「柱、こんなに綺麗だったっけ……!?」と違和感を覚えるだろう。


 そこで活躍するのが、エルフの『汚し屋』と呼ばれる専門職だ。新品を周りの色合いと合わせて汚す。わざと劣化したように見せかける。これらの技法をエイジング、またはエイジング塗装と呼ぶ。

 これは余談だが、合成樹脂製の模型やフィギュアにも同様のテクニックが使われる事がある。樹脂の軽すぎる質感、玩具っぽさを払拭するためにあえてつや消しの塗料を塗るのだ。

 玩具の剣に刃文はもんを描きくわえるとか、古めかしく見せるために錆を模して着色するとか――例を挙げればキリがない。


 ただ「汚す」と言っても、決して簡単な事ではないのだ。特に原状回復の分野では、周囲の色、汚れ、風化具合、全て合わせなければならない。

 汚し屋にとって必要不可欠となる素養が、『調色ちょうしょく』――色を創る才能である。

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