第8話 シャルルエドゥ

 つまりシャルの振替休日を捻出するためには、どこかの誰かにクレアシオンのダンジョンを任せる必要がある。エルフが絶対に働きたくないダンジョン一位の管理を。

 そもそもなぜシャルがそんなしょっぱい職場を受け持っているかと言えば、彼が他の者より優秀だったせいだ。ひと口にダンジョンの管理と言ってもその業務内容は枚挙にいとまがない。


 幸か不幸か、シャルは周りのエルフよりも手先が器用で、体力があって視野が広くて、魔力の扱いに長けていた。他にも理由はあるものの、周りのエルフが彼を責任者として推挙する根拠はそんなところだろう。


「――ああ、もう良い。分かった。今日は僕が応援に行ってやる」


 シャルが深いため息を吐き出しながら言えば、少年エルフはあざとくもこてんと小首を傾げた。


「えっ、本当に良いんですか? 応援しに来たって振替休日なしですよ?」

「どの口で言っているんだ、貴様」

「えへ、この口ですぅ!」


 少年エルフは破顔すると、両手の人差し指で頬を押さえた。余程そのポーズが我慢ならなかったのか、シャルが平手で少年の後頭部を叩けばパン! とやけに軽い音がした。

 しかし、頭の軽い少年はデレッと相好そうごうを崩して「さ、触られちゃった……」と喜ぶばかりだ。


 シャルはひくりと口の端を引きつらせて――まるで汚物にでもれてしまったかのように――自身のローブの裾で手の平をゴシゴシとぬぐった。


「構わない。その代わり金輪際こんりんざい僕を呼びつけるんじゃない。要請に応じるのは今日が最後だ、分かったか」

「はぁい、分かりましたぁ! ……でもまあ、サインを貰いに来るのはセーフですよね?」

「今後はサインも受け付けない。貴様の挨拶もな!」

「……か、ら、の~!?」

「捻じ切ってやろうか、貴様? 全く、こんな新人を野放しの責任者リーダーもどうかしている――さっさと次元を開け。行き先はテルセイロだったな」


 シャルが片手を翳すと、何もない空間に金色の裂け目が走った。「次元移動」の魔法だ。裂け目は瞬く間に広がって、長身のシャルでも難なく通り抜けられるほどの大きさになる。やがて次元の裂け目は、移動先であるテルセイロのダンジョン入口を映し出した。


 テルセイロのダンジョンは、石造りの平たい神殿のような佇まいをしている。荒廃した石の柱が立ち並び、巨大な観音開きの扉が入口だ。その先は地下へと続いている。

 見た目は神殿でも中身は洞窟型なのだ。壁は剥き出しの岩肌で、日が差し込まぬせいで湿度が高くカビくさく、苔だらけ。


 テルセイロを棲み処にするザコモンスターは三種類だ。まずは狼男のウェアウルフ。そして下半身が蜘蛛足、上半身がヒトの女性を模したアラクネ。最後に、毒性が強く普通のスライムとは一線を画している赤錆あかさび色をしたアシッドスライム。


 全てのモンスターが壁に体を擦り付けてマーキングする習性をもつ。そのせいで岩壁は毛玉や蜘蛛の巣、謎のシミなどで汚れて複雑な色彩になってしまう。

 だからこそ少年エルフは、岩壁を美しく磨いた事で責任者から「雑な仕事」と叱責されたのだ。


「どうした? 早くしないか」


 シャルは、魔法が使えぬ訳でもないのになかなか動こうとしない少年エルフを催促した。すると少年は敬礼と共に短く元気の良い返事をして、「次元移動」の魔法を発動する。

 己に負けず劣らずあっという間に開かれた次元の裂け目に、シャルは一瞬もの言いたげな顔をした。しかしすぐさま首を横に振ると、「行くぞ」とだけ告げて次元の裂け目に足を踏み入れたのであった。



 ◆



「あっ! シャル、本当に来てくれたんだ!? 助かる~! 今日の利用者クソハズレなんだよ! クソオブクソ!」

「口が悪すぎる」

「……クソの中のクソ? それとも、ウン――」

「言い方を変えてもダメだ」


 シャルは、はしゃぐ少年エルフと共にウェアウルフの巣エリアまでやって来た。彼らを出迎えたのは、やたらと口の悪い女エルフ一人だけだった。

 彼女の名前はミザリー。3,785歳で、4,011歳のシャルとはに当たる。

 エルフ族にとって、たかが二百二十六年なんてものは差の内に入らないのだ。ヒト族に例えれば同じ年の一月生まれと十二月――いや、五月生まれぐらいの近しい感覚である。


「先に言っておくが僕は壁を直しに来ただけだからな。直し終わったら即退勤する、悪く思わないでくれ」


 シャルは言いながら自身のローブを探ると、手の平サイズの光る石板を提示した。それには『休日出勤』という表記がされていて、拘束時間ゼロ直行直帰可能の注意書きまである。魔法のアイテム、タイムカードだ。


「良いよ良いよ、もちろん分かってる! ウチのリーダー、壁を直し終わらない限り「時間停止」は解除できないって言うからさあ……ボーッとしてたら休憩になっちゃうし、全員中抜けするハメになったんだ」

「……まさか、ミザリーだけ残って「時間停止」を維持しているのか?」

「そう! ジャンケンに負けてシャルが来るまで留守番しろって……お陰で私だけ休憩扱いだよ!? も~、どんどん減算されてる、早くなんとかして~!」


 エーンと白々しい泣き真似をするミザリーに、シャルは途端に困り顔になって「それは災難だったな」と彼女の頭を撫でた。


「――それで、問題の壁は?」

「アッ、シャルルエドゥ先輩、こちらです! の勉強させてもらいます! ウッス!」

「よし。貴様はまずミザリーに死ぬほど謝れ」


 シャルはおもむろに足元の小石を拾い上げると、少年に投げつけた。

 それが二の腕に直撃した少年は「きゃいん!」とまるで蹴られた犬のような悲鳴を上げたが――相変わらずデレデレしており、全くこたえた様子はなかった。

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