対抗心
「い……今からすぐにコースですか!? 何のレクチャーも無く!?」
絶句する新入生一同を代表して……と言う訳でも無いのだろうが、目の前に立つ本田千晶へとそう質問を返したのは速水紅音であった。
「ええ、そうよ。これはこのクラブのそうね……慣例行事みたいなものだから」
ともすれば詰め寄り詰問している様な新入部員に対して、当の千晶はそれをサラリと受け流してそう答えた。
そして紅音にしても、このクラブの恒例だと言い切られてしまえばそれ以上反論する事も出来ない。
「うわっ! やったね、紅音ちゃんっ! すぐに高等部のコースを走れるなんてっ!」
不安げな表情を浮かべる一同の中、ただ一人千迅だけが喜びの声を上げた。
「ちょっと、千迅。分かってるの? 初めて乗るマシンに初めて走るコースなんて、危ないってものじゃなのよ?」
そんな燥ぐ千迅に、紅音は呆れた様な声で窘めた。
中等部でどれ程バイクに乗り込んでいるとは言え、高等部で乗る事となるマシン「NFR250Ⅱ」は大きさ、排気量、その加速力旋回力等など。どれをとっても全くの別物と言って良い違いがある。
―――NFR250Ⅱ
排気量250CCクラスのレーシングマシン。排気量は更に上の500CCに劣るが、そもそもがレースへ投入する為に一から開発・設計されたバイクであり、そのポテンシャルは非常に高く、無論「NFR50Ⅱ」を遥かに凌駕したマシンだ。
6速トランスミッションより引き出されるパワーは実に115PSを絞り出す正しくモンスターマシンと言っても過言ではない。
最高速度は240Km/hに達し、純粋なレーシングマシンの名に恥じぬ性能を示している。
勿論、何の訓練も受けていない一般人が簡単に乗りこなせるマシンではなく、それはある程度のライディング経験を持つライダーであっても同様だった。
本当ならば新入部員は、まずはそのバイクに振り回されないだけの筋力トレーニング、そして長時間捻じ伏せる事の出来る体力トレーニング、シミュレーターによる室内トレーニングや座学など、実際にマシンへと乗り込んでコースを走るのは何か月も先の話なのが通例だ。
市販されているバイクではなくレーシングマシンならば尚の事、安全面を考えるだけでも慎重を期される。
そして何よりも。
今千迅達新入部員たちがコースに出た所で、「バイクを走らせる」事など出来やしない。せいぜいが「バイクを前へと進める」程度が関の山なのだ。
「でもでも、中等部の時だって初めてバイクに乗ったのは秋ごろだったよ―――? それがすぐに乗れるなんて、ちょっと嬉しくない!?」
紅音の指摘も、興奮気味の千迅には余り効力を成さなかったのであった。
それよりも何よりも、彼女の言葉で緊張気味であった他の新人たちも、どこか余分な力が抜けた様で。
「……そうね」
「考えてみれば……」
と言った、比較的前向きな意見も口にされだしたのだ。
「……もう。この天然前向き娘……」
そう零して呆れながらも、紅音も千迅の言葉に概ね賛成となっていた。
これから半年近くの間、目の前でただ先輩たちのライディングを見せられるだけだと考えれば、例え1度でも乗せてもらえるというのは彼女にとっても嬉しい事だったのだ。
「にしし」
呆れた風な言葉を投げ掛けられた千迅だが、当の本人は自身の言葉がどんな効果をもたらしたのか分かっていない様であった。
「あら、良い感じで力が抜けたみたいね。それじゃあ早速着替えて貰うんだけど、その前に伴走する選手を紹介するわね。……
雰囲気の良くなった千迅達の前に改めて進み出た千晶が、一同を前にそう説明し一人の少女の名を呼んだ。
そしてその場に集う上級生の中……最後列より、眼鏡をかけた少女が歩み出て千晶の隣に並んだのだった。
「紹介するわね。彼女は2年の
サラリととんでもない人物の紹介をする千晶に、千迅達は本日何度目かの絶句を余儀なくされた。
「ちょ……ちょっと―――、千晶さん―――……。余り過剰な説明はしないで下さい―――」
そんな千晶の言葉に、当の帆乃夏は本気で照れているのか薄っすらとソバカスの残る頬を赤らめて反論した。
眼鏡のせいか大きく見えるブラウンの瞳。軽くウェーブした緑掛かった髪。
そしてその若干間延びした喋り口は、とても新人賞を取ったライダーには見えなかった。
バイクレースには、少なからず「闘争心」が必要となる。
そしてそんな気概を持つ者ならば、どこか挑戦的な……好戦的な部分を持っていて然りである。
しかしそんな雰囲気を帆乃夏は持ち合わせていない……少なくとも千迅や紅音にはそう感じられ、そのギャップにもう一度驚かされたのだった。
「本格的な練習であなた達がバイクに跨ぐのはもう少し先になるでしょうけど、まずは『NFR250Ⅱ』がどんなマシンで、コースがどれ程タフなのかを知ってもらう意味があるの。そうする事でシミュレーターでの練習も違ったものになると思うから。この娘を先行させるから、あなた達は無理せず自分のペースで付いて行けば良いですからね」
千晶から今回の趣旨を説明されて、千迅達は納得と言った表情を浮かべていた。
この時千迅は新しいマシン、しかもこれまでに乗って来たNFR50Ⅱよりも遥かに高性能な
「……あの。もし新条先輩のペースが遅すぎる様でしたら……抜いても良いのですか?」
それは、ただ単に追走する事だけでは終わらないという意思表示。そして、どうにも挑発的な言葉であった。
「……そうね。あなた達にはとりあえず15周走ってもらおうと思うんだけど、5周ごとにペースアップする様にしましょう。あなた達が帆乃夏に仕掛けて良いのはラスト5周とします。それまでは、どれ程ペースが緩やかでも後ろに付く事……それで良いかしら?」
そんなある意味失礼と取られ兼ねない紅音の発言であったが、それで上級生たちが顔を曇らせると言う事は無かった。
それどころかその視線は、どこか微笑ましそうに紅音の方を見ていたのだった。
紅音たちの知らぬ事ではあるが、毎年この様に元気な少女と言うのは1人や2人はいるものである。
そしてそれに対する案も、既に考えられていたのだった。
「よ―――し。紅音ちゃん、頑張ろうね!」
そう言った裏事情を知らない千迅の言葉とそれに頷く紅音の姿は、上級生たちにはどこか微笑ましいシーンなのかも知れない。
「それじゃあ、あなた達のレーシングスーツは更衣室に用意してあるから、早速着替えて準備をして」
そんなやり取りも千晶の締める言葉で打ち切られ、千迅達は隣にある更衣室へと向かったのだった。
「あの……先輩。このスーツなんですが……」
頬を赤らめて更衣室から出てきた千迅達の中から、紅音がおずおずと進み出てそう切り出した。
その姿はモジモジとしていて、どうにも座りが悪い印象がある。
「あら、似合うわね。皆も、サイズが合わないってっ事は無いと思うけれど……どうかしら?」
にこやかに千迅達を迎えた千晶には、彼女達が妙に恥ずかしがっている様子など気にも止めていない風であった。
「いえ、サイズは問題ないんですが……。以前に使っていたスーツだとダメなんでしょうか? このスーツは……ちょっと……」
そう言いながら紅音は、どこか恥ずかしそうに胸と股を腕で隠す仕草を取る。
彼女が……いや、彼女たちがその様な艶姿を見せるのも仕方の無い事で、今着ているスーツは中等部で使っていた物よりも更に身体へとフィットしており、体のラインをくっきりと浮かび上がらせるものであった。
「ああ、それね。今年から採用が決定した最新のライダースーツよ。恐らく、他の学校でも正式採用されると思うわ。ちょっと恥ずかしいかも知れないけれどすぐに慣れるし、そのスーツで直線距離なら100mで0.2秒短縮できる優れ物よ」
「0.2秒!?」
「0.2秒ですか!?」
それまでお互いに照れ合っていた千迅達であったが、千晶の説明を受けて驚きを露わにして動きを止めてしまった。
確かにここまでクッキリと体の凹凸がハッキリと出てしまうスーツに抵抗があるのだが、タイムの大幅短縮が期待出来るとなれば話も変わると言うものだ。
この辺りは、若くとも彼女達も歴としたレーサーだという事だろう。
「で……でも、下着まで取る必要があったんですか?」
それでもさらに質問を続ける紅音の言い分ももっともで、今の彼女達はレーサースーツの下には何も着けていない。
いや、一応要所には下着の様なものを付けているが、それでも布の部分が極端に少なく何も着けていないのと変わりない程だったのだ。
「そのスーツだと下着のラインがハッキリと浮かんじゃうけど、それでも良いなら着けても良いわよ?」
だがそれも、あっさりと千晶に返されて紅音は何も言えなくなったのだった。
元々ライダースーツは身体に密着しているものだ。
2000年代初頭ならばスーツの素材は合成皮革が多く身体に密着して体のラインが浮き彫りとなっても、それ程恥ずかしさを感じはしなかった。
それが技術革新とその後の日進月歩によって、その素材はどんどんと薄く柔らかな物となっていったのだ。
そして最近では、普段着で使用される布地素材と大差のない質感を実現していたのだが……。
今千迅たちが着るスーツは、それさえも比較にならないほど薄くなっていたのだった。
その技術力は大したものだが、そこにはどうにも様々な思惑が張り巡らされていると思わざるを得ない。
もっともそうは言った処で、企業とて慈善事業で運営されている訳では無く、多少こういった見た目の派手さが加味されたとしても仕方の無い事であった。
何よりも、今までよりもタイム的に向上が期待出来る高性能さならば、彼女達もそれを着るのに否やなど無い。
「じゃあ、早速行きましょうか」
未だに着心地に違和感を抱いていた千迅達であったが、千晶の号令でそんな和らいだ雰囲気も緊張感の孕んだものへと変質する。
そして千迅達は、千晶を先頭として高等部の所有するサーキットへ向けて部室を後にしたのだった。
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