8 マノスと幼女副司令

 マノス・ビスマートの認識では、超弩級戦艦エリュシオンは鈍足である。

 だが、これは正しい認識ではない。


 既知銀河文明において、この艦に比肩しうる巨大戦艦が存在しないため、比較のしようがないが、それでも船体の巨大さからすれば、恐ろしいほどに高速だ。


 事実、他国が保有している弩級戦艦に比べて、エリュシオンの最大船速は群を抜いて早い。


 ただ、彼女が比較対象にしているのが、速度に優れる小型駆逐艦であるのが悪い。



 現在の宇宙文明においては、艦船の質量が増大すれば、それだけ加速に必要なエネルギー消費量も増加する。

 エネルギー消費の観点から、大型の艦船になればなるほど、速度が低下してしまう。


 そのため小型船であるほど速度に優れ、逆に大型化していくしたがって、艦の速度が低下していくのは必然。


 巨大なエリュシオンが、小型の駆逐艦の速度に勝つことは、どうしてもできない。


 将来、何かしらの技術的なブレイクスルーが発生すればその限りではないが、現在の科学技術では、このような限界が存在する。




 と言うわけで、マノスの号令によって、海賊拠点目指して進路を取った超弩級戦艦エリュシオンであるが、到着予定は5日後となった。


 宇宙空間の移動において、5日と言う期間は短いが、人間が生活する時間としては、それなりに長い。


 その間、暇になる。



 艦隊司令官としての仕事?

 面倒な艦隊内の事務処理?



「優秀な副司令がいると、上司は大助かりだわ」


「わざわざ私の執務室に来られたと思えば、嫌味を言いに来ただけですか」


「ええ、そうよ」


 マノスは司令として必要になる雑務の全てを、有能な幼女副司令に丸投げした。


 丸投げした当人は、ニコニコ笑いながら、ソファーの上で足を組んでくつろいでいる。

 優雅に菓子の一つをつまみ上げ、形のいい口の中に放り込んで咀嚼する。


 それを香り高い紅茶で流し込み、呑気に「ほうっ」と息を吐く。

 優雅な有閑貴族を思わせる所作。


 どことなく憂を帯びた視線で、遠くを眺める様子は――まあ、彼女の場合は視線が鋭すぎて、憂いとは無縁――、獲物を狙い定める、肉食獣の剣呑さがあった。




 そんな上司の姿に、雑務を処理している幼女副司令が喜ぶはずがない。


「この尻軽女が!」


「お褒めに預かり光栄」


 わざとらしく背中を折って、お辞儀をして笑うマノス。



 ただの幼女にしか見えない副司令は、目の前にある仕事書類の山越しに、上司である司令官を睨みつけた。

 この幼女にしても、視線には殺意がこもっているとしか思えない鋭さだ。


 なお、仕事の山は、幼女副司令の目の前に表示されている。

 空中に投影された、数々のディスプレイに事務内容が記されている。

 この時代では、紙媒体での書類仕事はないが、代わりにデジタルデータとして、幼女副司令の目の前に、山と表示されている。


 艦内にあるAIの決裁を経てなお、彼女が直接判断しなければならない内容ばかりだ。




 ただ、ここでマノスは気が付いた。

 もしかして幼女副司令は、私が留守にしている間に、F-91と遊んだことに気づいたのではないかと。



「アーニャも私と遊んでほしいの?」


「仕事の山があるので、そんな暇はありません」


「それじゃあ、仕事の山を別の誰かに押し付けて、暇にしてあげましょうか?

 レインくんなんてちょうどよさそうね。そうすれば私と遊べるわよ」


 レインは12隻の駆逐艦部隊を率いる第7編隊長であるが、マノスにとっては雑用を押し付けるために存在している、ただの野郎だ。

 艦隊の最高司令が関わる事務仕事とはいえ、面倒な雑務でしかない。


 現在の彼の任務に、さらに面倒な事務仕事が大量追加されたところで、マノスにとっては痛くも痒くもない。

 彼が、司令官に対して罵詈雑言の悪罵を胸中で吐こうが、ストレスで胃に穴が開こうが、過労でぶっ倒れようが、痛くも痒くもない。


 少なくとも、マノスの認識では、そうなっている。



「事務仕事とはいえ、艦隊の機密情報も含まれています。保安上の問題から、一介の編隊長に任せるわけにはいきません」


「問題ないわよ。

 彼は、私の雑務を押し付けるために存在しているのだから」


 こいつには何を言ってもダメだ。

 幼女副司令は米神を抑えて、目の前のバカ女に頭を抱える。


「じゃあ、今日は昼間から私と遊びましょう」


 目を瞑って米神を抑えている間に、マノスが幼女副司令の前に来ていた。


 2人の間には、空中に投影されているディスプレイ情報の数々があるが、所詮実体のない光に過ぎない。

 マノスの伸ばした腕が、ディスプレイを突き抜けて、幼女副司令の体を後ろへ押し倒す。


 痩せている幼女副司令とは比べるべくもないが、マノスもほっそりとした体形をしていて、女性らしい腕をしている。


 だが、どこにそんな力があるのか、彼女は片腕だけで幼女副司令を床に押し倒し、その上に馬乗りになろうとした。



 目は完全に幼女副司令をロックしていて、漂う犯罪臭がとてつもない。


「……このバカ女が!たとえ暇でも、お前となんか遊んでられるか!」


 ついに幼女副司令がキレた。


 マノス以上に、細い体つきに、腕をしている。



「げふっ!」


 だが、押し倒しにかかっていた、マノスの体を蹴り上げてしまう。

 その拍子に、マノスが女性が出してはいけない声を上げてしまうが、そんなことは関係ない。


「仕事の邪魔だ、とっとと出ていけ!」


 怒り心頭の幼女副司令は、見た目の小ささには見合わない怪力を発揮して、副司令官用の執務室から、マノスのケツを蹴り上げて追い出した。



「あら、大胆なスキンシップ」


 ケツを蹴られたが、全然痛くないマノス。

 蹴られた事による悪感情は、全くゼロだ。


 むしろ、プラスか?



 ただ、幼女副司令は、今日は遊んでくれないようだ。


「アーニャは気分屋さんだから、また今度誘ってみましょう」


 なんら悪びれることもなく、マノスは呑気に鼻歌を歌いながら、幼女副司令の執務室を後にした。

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