第9話 クレア
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「……き、きゃすと……を……殺すな……?」
時と場面は戻って、聖炎の鎖に自由を奪われ、風前の灯となったクレアの御前。
「ええ。〝物語〟が用意した者たちのことです。ただ殺すだけなら、現地の法で処理されるだけなので、官憲を欺いて逃げることもできるみたいですが……物語の筋書きを利用して、恣意的にキャストを殺すのが駄目らしいです。僕は別にそんな意図はなかったんですけど……駄目だったみたいですね。そして、本来はキャストでありながら、クレア殿はそんな〝物語〟のルールに抵触したとのことです」
アルは内心で嘆息しながらクレアに言って聞かせる。これも〝
ちなみに、アルはまだ自身の処遇に納得していないが……彼の場合はクレアたちと違い、物語の筋書きどころか、世界の
彼が無自覚だったのは……自身に〝観測者〟側のルールが適用されていたことか。
そして、〝観測者〟は普通に現地の違法行為には厳しく、キャスト殺しは以ての外だっただけ。
〝
そんな納得のいかないアルを無視して、当の〝
「……物語の筋書きを用いて……きゃすとを殺すのが……ルールに抵触……? そして、私もそのきゃすと……だと……?」
「ええ。ただ、やはり〝託宣〟という形で〝物語の筋書き〟をばら撒き、筋書きを植え付けた異界の者や死者をこの世界へ喚び寄せた……女神たちこそが混乱の大元だと判断されたようですけどね。クレア殿には情状酌量の余地があるらしいです」
既に妖艶なる人外の身は崩れつつある。反属性により、中からも外からも灼かれ……滅びに蝕まれている。
「じ、情状酌量……だと……?」
「この話がそうですよ。貴女には〝物語〟のルールを知る権利が与えられた。そして、この物語では、女神たちが赦されることはない……という情報を知ることこそが……クレア殿への情けだそうです」
本意ではない。しかも、この役割は放棄しても特にペナルティもない。だが、アルは〝代行者〟としてクレアに告げる。お前はこの情報を抱いて滅びるのだと。
「……くく……ははは……! ま、ままならぬものよ。この私が……! 亡者たちの依り代、女神たちの操り人形ときて……最期は上位存在にお情けを掛けられるとは……な……ッ!!」
聖炎を纏う鎖が、一段と強く食い込む。『縛鎖』の圧が増したわけではなく、ただただクレアの肉体が崩れるに任せてのこと。
不死の象徴たるその紅き紅き瞳が、徐々に色を失っていく。
「……ま、神々や上位存在たちが実在する世界ですからね。如何に現世の超越者であろうと、そうそう思い通りにはいかないということでしょう。……さて、僕の〝代行者〟としての
「……言付け……?」
終わる。その存在が。黒幕気取りの人外たるエルフもどきが、最期を迎えるその前に、アルは戦士としての約束を果たす。
「『私は満足だったと。あと、申し訳ないと伝えて欲しい』……ビクター殿の今際の言葉です。クレア殿にと言付かりました」
死に逝く戦士の遺した言葉。
クレアは眷属との繋がりを持っている。当然に、
「……く、くは。……申し訳ない……か……今にして思えば……私の方こそ……だな……ずいぶんと……長い間……滑稽に踊り……続けてしまった……もの……だ……」
因果の鎖が決定的にクレアを貫いた。
その身が、『縛鎖』に締め付けられるままに静かに千切れた。崩れる。
繋がりを失った半身が、まさに崩れ落ちた。
ただ、流石の人外か。微かな意識がまだ保たれている。
「……どうです? クレア殿は誰かに言い遺すことなどはありますか?」
「く、くく……遺す言葉など……ない……ッ! 私は……決して……満足などしていない……が……〝
クレアの最期。
崩れ、千切れても、その妖しき美しさを保ったままに、彼女はマナの循環へと還る。還って逝く。
ただのエルフの頃からの
クレアの長きに渡る旅路の終わり。その場に遺されるのは、灼え尽きた灰のみ。
「……(葬送の礼節は守るさ。だが、それでも僕はレアーナを殺す。悪いね、クレア殿)」
アルは決して口には出さない。それは戦士の礼儀礼節。死した戦士の眠りを妨げるような真似はしない。少なくとも、葬送の場では、死者やその身内への敵意は内に収める。
ただ、彼は知らない。知らされていない。
〝観測者〟からクレアに与えられた本当の情状酌量とは、新たな物語の種を見逃すこと。
今後、〝観測者〟たちはレアーナとクレアの写し身たる人形には関与しない。それは〝代行者〟への因果の積み上げ……ペナルティも兼ねている。
アルの復讐の手が、残されたレアーナたちに届くかどうかは、当事者同士の裁量と力量、時々の運不運に任された。
因果の流れをどちらがより強く引き付けるのかは……神のみぞ知る……改め、もはや神ですら知り得ない。ある意味では神の如き〝観測者〟は、あっさりとサイコロを振ったのだ。後は知らんとばかりに。
「……クレア様…………これで終わり……ですか」
そんな裏の事情などとは無関係な、狂戦士の従者がぽつりと溢す。
静かに滅した、かつての上役であるクレアに対して、ヴェーラは特別に強い思い入れはない。ただ、クレアの裁量によって今の立場があることを考えると、若干の寂しさや苦みのようなものが胸の内に漂う。
「……ダリル殿。変則的な形ではありましたが、これでクレア様に一矢報いましたか?」
「……まぁ、色々と思うところはあるが、クレア殿が共犯者であり、神々に踊らされた道化仲間だったことに変わりはない。一矢報いたというより、今はただ安らかに眠って欲しいという祈りしかない……」
それは戦士の礼節以上にダリルの率直な想い。クレアには散々に利用され、自由意志すら奪われはしたが……逆を言えば、ダリルの方こそクレアを利用していたとも言える。お互いに承知の上で利用し合っていた。
クレアは確かに超越者であり、亡者の依り代という得体の知れない存在ではあったが、自身が望む未来へと必死に手を伸ばしていた。もがいていた。自らの手を汚し、足を使っていたのだ。
その姿は、遠い場所で盤上遊戯に興じるかのような神々とは違う……と、ダリルはそのように見ていた。彼女が滅した今でもそれは変わらない。
「……まぁなんだ。クレア殿のことはともかくとして……アル殿。〝代行者〟とは何だ? 突然に変な話をするから驚いたぞ。一体いつの間に、何を知ったんだ?」
クレアのことを深く考えだすと湿っぽくなってしまう。そんな空気を自らかき混ぜるように、敢えて軽妙に訊ねるダリル。ヴェーラはそんなダリルの微妙な機微を感じていたが、アルはどこ吹く風。
「いやぁ……禁則事項とやらで縛られてましてね。あまり詳しく説明できないんですよ。ま、別に洗脳して意思を捻じ曲げるとかではないらしいですけど……本当のところは僕もよく分かってません」
終わった場に響く声たち。結局のところ、アル自身も〝物語〟や〝観測者〟、〝代行者〟についてはよく分かっていない。そもそも、ジレドからの話が真実であるかなど、彼には確認のしようもない。自身を誘導するため、虚実入り混じった情報である可能性すらあると認識している。
アルのそんな認識は当たらずとも遠からず。事実、クレアの情状酌量について、〝
そして、ジレドはアルへの情状酌量についても殊更に開示していない。
〝代行者〟として拾い上げることで、諸々のルールをすり抜け、ペナルティを先送りにできるように……という温情。
条件が揃っているからといって、女神たちの被害者たるアルに〝観測者〟のルールを適用し、問答無用で処分……というのは、流石に憚られたということ。
ジレドたちはルールに縛られた存在ではあるが、決してルールが全てとも考えてはいない。
「まぁ、〝代行者〟について話せるところはおいおい話をするとして……ダリル殿、意識を集中して下さい。密かに逃げようとしている女神の遣いを、白いマナで捕らえてもらえますか?」
「ん? あ、ああッ! そうだ! エラルドッ! …………そこかッ!」
クレアという棲み処を失い、密かに離脱しようとしてた羽虫の気配をアルは〝観測〟している。そして、神子であるダリルも、意識を向ければその存在を認識できた。当然に羽虫を捕らえるべく動く。
先ほどの『縛鎖』との合わせ技ほどに指向性はないが、白き焔が紐状となり、何もない空間に差し向けられる。
『ぐぎゃぁぁッッ!? あ、熱いィィッッ!?』
この場においては、ダリルとアルにしか……いや、逆か。ヴェーラだけが聞くことができない、
「……ふん。無様だなエラルド。クレア殿は最期まで理性を保っていたぞ?」
白き焔に絡め捕られたエラルド。虹色のマナの集合体が実体化した、意思そのものというべき存在。
ダリルの聖炎に捕えられたことで、アルには薄っすらとその姿を確認することができた。それはラマルダと同じく、現世での乗り物として利用した、双子の片割れである少年の姿。もっとも、本物のエラルドは王都にて健在ではあるが。
「……あぁ。エラルドの名だけじゃなく、姿もそのままだったのか。別物と分かっていても、良い気分はしないな」
「? アル様。僅かに気配がしますが……私には視えません。ダリル殿が捕らえたのは、あの時の存在ですか?」
「うん。あの時の女神の遣いだよ。エラルドの瞳に宿っていたヤツ。悪趣味なことにエラルドの姿そのままだ。ダリル殿に捕えられて絶叫しているよ。……ラマルダと名乗ったもう一体も含めて、いけ好かない印象だったから……その見た目以外は、ざまぁみろとしか思わないけどね」
淡々と語るアル。女神の遣いであっても、幼い双子の運命を捻じ曲げたことについて、彼は許せない。許してはいない。可能性の塊である子は宝。それはファルコナーの、辺境貴族の流儀だ。もし確実に殺せる手段が当時にあったのなら、アルは躊躇なく手を出していた。
そしてもう一人。エラルドの苦悶の絶叫に微塵も心が動かないのは神子ダリル。
彼からすれば、クレアやザガーロなどよりも、女神たちにこそ怒りを覚えている。何が〝託宣の神子〟だと。彼とセシリーにとっては、〝託宣〟が全ての始まりだったのだから。
『ぐぎぎぎィィッ! ダ、ダリルッ!! 離せよッ! この炎を止めろッ!! 女神様の御神罰が下るぞォォォッッ!?』
「……往生際が悪いな。今さら女神の罰なんぞが交渉の材料になるわけないだろ?」
『アがァァッ! ダ、ダリルぅぅぅッ!!』
実体のない意思。エラルドにとって〝痛み〟という感覚自体が馴染みのないもの。初めてのものだ。
その壊れた
なにはともあれ、ダリルの得手とする属性は〝火〟。
エラルドは、初体験で全身を灼かれるという責苦を受ける羽目になる。まぁこれも女神たちの行動の結果の一つか。
「アル殿。俺はこのままエラルドを灼き尽くす。……異存はないな?」
「ええ。ちなみに、女神の遣いを始末するというのも、僕が押し付けられた〝おつかい〟の一つでしたよ。個人的にもそいつらは気に入らないし……ダリル殿の気の済むようにして下さい」
「……そうか。なら遠慮なくだ」
『待てよォォッッ!! な、何故僕がこんな目に遭わないいけないんだよォォッッ!? 僕はエリノーラ様の御使いなんだぞッ!?』
神々の側にいるからこその今なのだが、エラルドがそれに気付くことはない。所詮は使い走りであり、エラルド自身に、女神たちの行動の意図を深く考察し、その結果を見通すという〝機能〟はなかった。ただ言われたことをやるだけの羽虫。
「じゃあな。エラルド。お前には世話になった面もあるが……まぁクソッタレな女神どもの手先だ。悪いが差し引いても余りある」
『ダ、ダァァリィィルァァアアアアッッ……!! ……ッ!! ……ッ……!』
ダリルのセリフと共に、より一層勢いを増した聖なる白き焔。断末魔の絶叫と、じゅっという羽虫が燃え尽きる音が重なる。
女神の使い走り。言うならば、女神たちへのペナルティのついでに退場を余儀なくされた、ただの駒。巻き添えやとばっちりと言っても過言ではない。
女神の威を借る羽虫が調子に乗って駆除される。
それは
……
…………
〝代行者〟として、アルは与えられた役割を果たした。
彼の感覚からすれば、初めてのおつかいのようなもの。たとえ、かなり前から密かに〝代行者〟として、因果の束を押し付けられていたとしてもだ。
そして、因果の鎖に捕えられ、滅ぶべくして滅びたクレア。人外のエルフもどき。
本来は〝
いや、それを知り得る存在は……新たな物語の種は、〝観測者〟たちの情状酌量の結果として現世に遺された。見逃された。
知らぬ内にやらかしてしまった、魔境の狂戦士たる、とある主人公。紛れもなく彼個人が引き寄せた因果の鎖は、しゃらしゃらと音を立てて彼の身に絡みついている。
ただ、その一方で、アルバート・ファルコナーはある意味では〝解放〟された。
女神の託宣を巡る諸々の因果から。彼が胸の内に抱いていた〝
〝代行者〟であることを知らされたことで、彼の中での〝
ここから先は〝
それは新たな物語だと、彼は吹っ切る。
ただ、まだアルは知らない。
巡る巡る因果の流れの後始末。
まだ終わっていないのだ。
同じく秘密裏に〝代行者〟として役割を与えられた者たち。
その者たちの決着を見届けるまでは終わらない。
因果の鎖は既にお前を捕えている。
:-:-:-:-:-:-:-:
※更新はしばらく先になります。すみません。
※2023年2月28日「狂戦士なモブ、無自覚に本編を破壊する」第二巻が発売となります。よろしくお願いいたします。
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