第9話 クレア

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「……き、きゃすと……を……殺すな……?」


 時と場面は戻って、聖炎の鎖に自由を奪われ、風前の灯となったクレアの御前。


「ええ。〝物語〟が用意した者たちのことです。ただ殺すだけなら、現地の法で処理されるだけなので、官憲を欺いて逃げることもできるみたいですが……のが駄目らしいです。僕は別にそんな意図はなかったんですけど……駄目だったみたいですね。そして、本来はキャストでありながら、クレア殿はそんな〝物語〟のルールに抵触したとのことです」


 アルは内心で嘆息しながらクレアに言って聞かせる。これも〝観測者ジレド〟からのの一つだ。


 ちなみに、アルはまだ自身の処遇に納得していないが……彼の場合はクレアたちと違い、物語の筋書きどころか、世界の仕組みルールを知る側……〝観測者〟もどきとして扱われていたのだ。


 彼が無自覚だったのは……自身に〝観測者〟側のルールが適用されていたことか。


 そして、〝観測者〟は普通に現地の違法行為には厳しく、キャスト殺しは以ての外だっただけ。


物語ゲームストーリー〟の知識を用いて〝本編〟に関わらなければ……王都ではおとなしくしていれば……というのは今さらに過ぎる話。


 そんな納得のいかないアルを無視して、当の〝観測者ジレド〟は、ダリルとヴェーラの背後で応援の舞を必死に踊っていたりする。どこぞの奥方様は、相変わらずイラっとしてるとかいないとか。……普段は本当にただのオークでしかない。


「……物語の筋書きを用いて……きゃすとを殺すのが……ルールに抵触……? そして、私もそのきゃすと……だと……?」

「ええ。ただ、やはり〝託宣〟という形で〝物語の筋書き〟をばら撒き、筋書きを植え付けた異界の者や死者をこの世界へ喚び寄せた……女神たちこそが混乱の大元だと判断されたようですけどね。クレア殿には情状酌量の余地があるらしいです」


 既に妖艶なる人外の身は崩れつつある。反属性により、中からも外からも灼かれ……滅びに蝕まれている。


「じ、情状酌量……だと……?」

「この話がそうですよ。貴女には〝物語〟のルールを知る権利が与えられた。そして、……という情報を知ることこそが……クレア殿への情けだそうです」


 本意ではない。しかも、この役割は放棄しても特にペナルティもない。だが、アルは〝代行者〟としてクレアに告げる。お前はこの情報を抱いて滅びるのだと。


「……くく……ははは……! ま、ままならぬものよ。この私が……! 亡者たちの依り代、女神たちの操り人形ときて……最期は上位存在にお情けを掛けられるとは……な……ッ!!」


 聖炎を纏う鎖が、一段と強く食い込む。『縛鎖』の圧が増したわけではなく、ただただクレアの肉体が崩れるに任せてのこと。


 不死の象徴たるその紅き紅き瞳が、徐々に色を失っていく。


「……ま、神々や上位存在が実在する世界ですからね。如何に現世の超越者であろうと、そうそう思い通りにはいかないということでしょう。……さて、僕の〝代行者〟としての仕事おつかいは一先ずこれで終わりらしいです。後はただのアルバートとして、クレア殿への言付けをお伝えしますよ」

「……言付け……?」


 終わる。その存在が。黒幕気取りの人外たるエルフもどきが、最期を迎えるその前に、アルは戦士としての約束を果たす。


「『私は満足だったと。あと、申し訳ないと伝えて欲しい』……ビクター殿の今際の言葉です。クレア殿にと言付かりました」


 死に逝く戦士の遺した言葉。


 クレアは眷属との繋がりを持っている。当然に、眷属ビクターが逝った状況も知っていた。知っていたのだが……。


「……く、くは。……申し訳ない……か……今にして思えば……私の方こそ……だな……ずいぶんと……長い間……滑稽に踊り……続けてしまった……もの……だ……」


 因果の鎖が決定的にクレアを貫いた。


 その身が、『縛鎖』に締め付けられるままに静かに千切れた。崩れる。


 繋がりを失った半身が、まさに崩れ落ちた。


 ただ、流石の人外か。微かな意識がまだ保たれている。


「……どうです? クレア殿は誰かに言い遺すことなどはありますか?」

「く、くく……遺す言葉など……ない……ッ! 私は……決して……満足などしていない……が……〝滅び敗北〟を……受け……入れるだけの……矜……持は……ある……ッ……!」


 クレアの最期。


 崩れ、千切れても、その妖しき美しさを保ったままに、彼女はマナの循環へと還る。還って逝く。


 ただのエルフの頃からのことわりを求める探究の道。そして、死と闇の眷属となり、亡者の依り代としての神々への復讐の道。


 クレアの長きに渡る旅路の終わり。その場に遺されるのは、灼え尽きた灰のみ。


「……(葬送の礼節は守るさ。だが、それでも僕はレアーナを殺す。悪いね、クレア殿)」


 アルは決して口には出さない。それは戦士の礼儀礼節。死した戦士の眠りを妨げるような真似はしない。少なくとも、葬送の場では、死者やその身内への敵意は内に収める。


 ただ、彼は知らない。知らされていない。


〝観測者〟からクレアに与えられた本当の情状酌量とは、新たな物語の種を見逃すこと。


 今後、〝観測者〟たちはレアーナとクレアの写し身たる人形には関与しない。それは〝代行者〟への因果の積み上げ……ペナルティも兼ねている。


 アルの復讐の手が、残されたレアーナに届くかどうかは、当事者同士の裁量と力量、時々の運不運に任された。


 因果の流れをどちらがより強く引き付けるのかは……神のみぞ知る……改め、もはや神ですら知り得ない。ある意味では神の如き〝観測者〟は、あっさりとサイコロを振ったのだ。後は知らんとばかりに。


「……クレア様…………これで終わり……ですか」


 そんな裏の事情などとは無関係な、狂戦士の従者がぽつりと溢す。


 静かに滅した、かつての上役であるクレアに対して、ヴェーラは特別に強い思い入れはない。ただ、クレアの裁量によって今の立場があることを考えると、若干の寂しさや苦みのようなものが胸の内に漂う。


「……ダリル殿。変則的な形ではありましたが、これでクレア様に一矢報いましたか?」

「……まぁ、色々と思うところはあるが、クレア殿が共犯者であり、神々に踊らされた道化仲間だったことに変わりはない。一矢報いたというより、今はただ安らかに眠って欲しいという祈りしかない……」


 それは戦士の礼節以上にダリルの率直な想い。クレアには散々に利用され、自由意志すら奪われはしたが……逆を言えば、ダリルの方こそクレアを利用していたとも言える。お互いに承知の上で利用し合っていた。


 クレアは確かに超越者であり、亡者の依り代という得体の知れない存在ではあったが、自身が望む未来へと必死に手を伸ばしていた。もがいていた。自らの手を汚し、足を使っていたのだ。


 その姿は、遠い場所で盤上遊戯に興じるかのような神々とは違う……と、ダリルはそのように見ていた。彼女が滅した今でもそれは変わらない。


「……まぁなんだ。クレア殿のことはともかくとして……アル殿。〝代行者〟とは何だ? 突然に変な話をするから驚いたぞ。一体いつの間に、何を知ったんだ?」


 クレアのことを深く考えだすと湿っぽくなってしまう。そんな空気を自らかき混ぜるように、敢えて軽妙に訊ねるダリル。ヴェーラはそんなダリルの微妙な機微を感じていたが、アルはどこ吹く風。


「いやぁ……禁則事項とやらで縛られてましてね。あまり詳しく説明できないんですよ。ま、別に洗脳して意思を捻じ曲げるとかではないらしいですけど……本当のところは僕もよく分かってません」


 終わった場に響く声たち。結局のところ、アル自身も〝物語〟や〝観測者〟、〝代行者〟についてはよく分かっていない。そもそも、ジレドからの話が真実であるかなど、彼には確認のしようもない。自身を誘導するため、虚実入り混じった情報である可能性すらあると認識している。


 アルのそんな認識は当たらずとも遠からず。事実、クレアの情状酌量について、〝観測者ジレド〟は全てを開示していないのだから。


 そして、ジレドはアルへの情状酌量についても殊更に開示していない。


〝代行者〟として拾い上げることで、諸々のルールをすり抜け、ペナルティを先送りにできるように……という温情。


 条件が揃っているからといって、女神たちの被害者たるアルに〝観測者〟のルールを適用し、問答無用で処分……というのは、流石に憚られたということ。


 ジレドたちはルールに縛られた存在ではあるが、決してルールが全てとも考えてはいない。


「まぁ、〝代行者〟について話せるところはおいおい話をするとして……ダリル殿、意識を集中して下さい。密かに逃げようとしている女神の遣いを、白いマナで捕らえてもらえますか?」

「ん? あ、ああッ! そうだ! エラルドッ! …………そこかッ!」


 クレアという棲み処を失い、密かに離脱しようとしてた羽虫の気配をアルは〝観測〟している。そして、神子であるダリルも、意識を向ければその存在を認識できた。当然に羽虫を捕らえるべく動く。


 先ほどの『縛鎖』との合わせ技ほどに指向性はないが、白き焔が紐状となり、何もない空間に差し向けられる。


『ぐぎゃぁぁッッ!? あ、熱いィィッッ!?』


 この場においては、ダリルとアルにしか……いや、逆か。ヴェーラだけが聞くことができない、女神の遣いエラルドの絶叫が響く。もっとも、ジレドは素知らぬ顔のまま、応援の舞を続けている。


「……ふん。無様だなエラルド。クレア殿は最期まで理性を保っていたぞ?」


 白き焔に絡め捕られたエラルド。虹色のマナの集合体が実体化した、意思そのものというべき存在。


 ダリルの聖炎に捕えられたことで、アルには薄っすらとその姿を確認することができた。それはラマルダと同じく、現世での乗り物として利用した、双子の片割れである少年の姿。もっとも、本物のエラルドは王都にて健在ではあるが。


「……あぁ。エラルドの名だけじゃなく、姿もそのままだったのか。別物と分かっていても、良い気分はしないな」

「? アル様。僅かに気配がしますが……私には視えません。ダリル殿が捕らえたのは、の存在ですか?」

「うん。あの時の女神の遣いだよ。エラルドの瞳に宿っていたヤツ。悪趣味なことにエラルドの姿そのままだ。ダリル殿に捕えられて絶叫しているよ。……ラマルダと名乗ったもう一体も含めて、いけ好かない印象だったから……その見た目以外は、ざまぁみろとしか思わないけどね」


 淡々と語るアル。女神の遣いであっても、幼い双子の運命を捻じ曲げたことについて、彼は許せない。許してはいない。可能性の塊である子は宝。それはファルコナーの、辺境貴族の流儀だ。もし確実に殺せる手段が当時にあったのなら、アルは躊躇なく手を出していた。


 そしてもう一人。エラルドの苦悶の絶叫に微塵も心が動かないのは神子ダリル。


 彼からすれば、クレアやザガーロなどよりも、女神たちにこそ怒りを覚えている。何が〝託宣の神子〟だと。彼とセシリーにとっては、〝託宣〟が全ての始まりだったのだから。


『ぐぎぎぎィィッ! ダ、ダリルッ!! 離せよッ! この炎を止めろッ!! 女神様の御神罰が下るぞォォォッッ!?』

「……往生際が悪いな。今さら女神の罰なんぞが交渉の材料になるわけないだろ?」

『アがァァッ! ダ、ダリルぅぅぅッ!!』


 実体のない意思。エラルドにとって〝痛み〟という感覚自体が馴染みのないもの。初めてのものだ。


 その壊れた狂戦士ポンコツっぷりはともかく、セシリーは〝風〟の属性魔法を好むため、片割れであったラマルダの苦しみはそこまで引き延ばされることはなかった。それでも、周囲の大気ごと圧縮されて消滅という無惨な最期だったが……。


 なにはともあれ、ダリルの得手とする属性は〝火〟。


 エラルドは、初体験で全身を灼かれるという責苦を受ける羽目になる。まぁこれも女神たちの行動の結果の一つか。


「アル殿。俺はこのままエラルドを灼き尽くす。……異存はないな?」

「ええ。ちなみに、女神の遣いを始末するというのも、僕が押し付けられた〝おつかい〟の一つでしたよ。個人的にもそいつらは気に入らないし……ダリル殿の気の済むようにして下さい」

「……そうか。なら遠慮なくだ」

『待てよォォッッ!! な、何故僕がこんな目に遭わないいけないんだよォォッッ!? 僕はエリノーラ様の御使いなんだぞッ!?』


 神々の側にいるからこその今なのだが、エラルドがそれに気付くことはない。所詮は使い走りであり、エラルド自身に、女神たちの行動の意図を深く考察し、その結果を見通すという〝機能〟はなかった。ただ言われたことをやるだけの羽虫。


「じゃあな。エラルド。お前には世話になった面もあるが……まぁクソッタレな女神どもの手先だ。悪いが差し引いても余りある」

『ダ、ダァァリィィルァァアアアアッッ……!! ……ッ!! ……ッ……!』


 ダリルのセリフと共に、より一層勢いを増した聖なる白き焔。断末魔の絶叫と、じゅっという羽虫が燃え尽きる音が重なる。


 女神の使い走り。言うならば、女神たちへのペナルティのついでに退場を余儀なくされた、ただの駒。巻き添えやとばっちりと言っても過言ではない。


 女神の威を借る羽虫が調子に乗って駆除される。


 それはエラルド当事者からすれば筆舌に尽く難い悲劇だが……やはり俯瞰すれば喜劇でしかない。



 ……

 …………



〝代行者〟として、アルは与えられた役割を果たした。


 彼の感覚からすれば、初めてのおつかいのようなもの。たとえ、かなり前から密かに〝代行者〟として、因果の束を押し付けられていたとしてもだ。


 そして、因果の鎖に捕えられ、滅ぶべくして滅びたクレア。人外のエルフもどき。


 本来は〝配役された者キャスト〟でありながら、女神や冥府の王の暴挙の影響を色濃く受けてしまった者。ただの被害者だったのか、それとも、むしろ彼女は自ら望んで〝物語〟の流れに逆らっていたのか……今ではもう誰にも分からない。


 いや、を知り得る存在は……新たな物語の種は、〝観測者〟たちの情状酌量の結果として現世に遺された。見逃された。


 知らぬ内にやらかしてしまった、魔境の狂戦士たる、とある主人公。紛れもなく彼個人が引き寄せた因果の鎖は、しゃらしゃらと音を立てて彼の身に絡みついている。


 ただ、その一方で、アルバート・ファルコナーはある意味では〝解放〟された。


 女神の託宣を巡る諸々の因果から。彼が胸の内に抱いていた〝物語ゲームストーリー〟から。


〝代行者〟であることを知らされたことで、彼の中での〝物語ゲームストーリー〟は真の意味で終わった。


 ここから先は〝物語ゲームストーリー〟に非ず。


 それは新たな物語だと、彼は吹っ切る。


 ただ、まだアルは知らない。


 巡る巡る因果の流れの後始末。


 まだ終わっていないのだ。


 同じく秘密裏に〝代行者〟として役割を与えられた者たち。


 その者たちの決着を見届けるまでは終わらない。


 因果の鎖は既にお前を捕えている。



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※更新はしばらく先になります。すみません。


※2023年2月28日「狂戦士なモブ、無自覚に本編を破壊する」第二巻が発売となります。よろしくお願いいたします。

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