第7話 当たり前のルール

:-:-:-:-:-:-:-:



 狙い撃つ。


 音もなく、密やかに、速く、凶悪な一撃が放たれる。


 それは命を刈り取る一撃。


 認識が追いついていない。躱し切れない。防御が間に合っていない。


 確実に仕留めたはずだった。


「……く……ッ!?」


 身をよじりながら、自ら前方へ倒れ込むように跳ぶ。闇色のマナが形を成するよりも早く、死を纏う一撃が背後から迫っていた。


 肩が裂ける。側頭部に痛み。彼女が元エルフであったことを示す僅かな痕跡……その特徴的な長い耳が千切れて失せる。


 しかし、それだけ。頭部や肩を丸ごと消し飛ばされるよりはマシ。凌いだ。凌がれた。


 完全に認識の外から放たれた致死の一撃を、不完全とはいえ躱して見せたのは、人外たる化生、黒幕気取りのエルフもどきの意地だったか。


 次の一手に備え、クレアは倒れ込みながら片手だけを地につき、マナの収縮によって別の方向へと跳ぶ。即座に敵を捕捉する。捕捉しようとする。


「……あの間合いから放つ、気配を消した『狙撃弾』でも仕留めきれないとはね。感知や気配察知云々じゃなくて、瞬間的な未来視レベルの反射……ですか。近接を得手とする父上はともかく……やはり、クレア殿はホンモノの化け物ですね」


 そう評するのはアル。魔境の狂戦士にして、因果の鎖の片側を掴む者。


 彼は既にクレアが跳んだ場所付近に立っている。『狙撃弾』を撃った瞬間には、必殺の間合いに踏み込むべく動いていた。クレアを化け物と評してはいるが、その化け物の間隙を縫って動けるアルもまた、既に人外の領域にいる。


「……く……はは……滅する前に、まさか貴様と再び相見あいまみえるとはな……流石に想定しておらなんだわ……小僧……ッ!」


 神々を現世に召喚する魔法陣が設置された、神殿の最奥。術式を停止するために動いていたクレア。そんな彼女(とエラルド)を、アルは背後から撃った。結果として、その一撃だけでは仕留め切れなかったが……。


「弱った敵を叩くのは基本中の基本ですよ、クレア殿」


 虎の子の『狙撃弾』を凌がれても、アルに動揺はない。油断も隙もない。凪いだマナを纏い、その場に佇みながらも希薄な存在感。それは幽鬼の如く。自然体な臨戦態勢であり、余裕すらある。


 アルとクレアはお互いが必殺の間合いに踏み込んではいるが、ここまで肉薄する距離でのり取りは、狂戦士ファルコナー十八番おはこ


 狂戦士の余裕は、それ即ち、ここでクレアを仕留め切るという覚悟の表れ。そして、仕留め切れるほどに、彼我ひがの戦力差が縮まっていることも理解している。アルが急激に強くなったわけではない。クレアが大幅に弱体化しているだけ。かつてと比べれば、瀕死レベルと言えるほどに。


 思いもよらぬ再会に、不敵に嗤うクレアではあったが、その内心は驚愕と疑問符が暴れている。紛い物の余裕で精一杯であり、アルほどに自然体ではいられない。彼女もまた、自身の状態を正しく理解している。


『使徒アルバート……!? な、何故……こいつがここにいる……ッ!?』


 クレアもだが、エラルドからしても、それは当然の疑問。


 だが、アルがここにいるのは必然でしかない。


「クレア殿。ちょっと見ない間に、何やらした感じを漂わせていますけど……僕は忘れていませんよ?」

「ふ、ふふ……しつこい男は嫌われるぞ?」

「はは。ずいぶんと陳腐で俗っぽいことを言うようになりましたね。さて、一応聞きましょう。……レアーナはどこに?」


 やられたらやり返す。それだけのこと。


〝物語〟による懲罰や行動の制御などがあるにせよ、今のアルには関係がない。


 結果として、レアーナに浚われたヴェーラとジレドは無事だった。しかし、だから許すのか? レアーナの所業を? 命令を下していただろうクレアを? 否。それとこれとは別。


 アルのレアーナへの復讐はまだ終わっていない。その一環として、彼女のボスであるクレアの試みのことごとくを壊す。要は嫌がらせをしまくる。彼からすれば、それは当然のことに過ぎない。


 ザガーロに囮を壊され、災害セシリーが現れたあの後、意識を失ったダリルを抱えつつ、災害から逃れるようなルートで、大峡谷の砦を目指して魔族領を引き返していたアルたち一行。


 敵のボス……総帥ザガーロについては、もはや彼らの眼中にはなかった。今のセシリーが敵を仕留め損ねることはないという確信があったから。もっとも、そもそもの話として、どうしてセシリーが、敵組織に対して過激とも言える敵対行動に出たのか、アルたちにはまったく分かっていなかったが……。


 まぁとにかく、アル一行は魔族領を潜みながら進んでいたわけだ。幸いなことに、ザガーロ一派の残党たちも、それどころではないという騒ぎなのか、アルたちの姿を捕捉しても手を出してくることもなかった。


 一旦は祓われはしたが、いつまた瘴気が復活するかも分からないという、そんな魔族領を行く不安はあったが、アル一行の道中に大きな問題はなかった。


 しかし、彼は引き合ってしまう。引き当ててしまう。を。


 アルたちはクレアの動きを察知してしまった。ザガーロの本陣に引き寄せられるようなルートを辿っていた。


 イベントの導きもあり、ものはついでとばかりに、アルはクレアとの決着ケリをつけるために動いた。それ自体は行き当たりばったりだ。


「……くくく。私がレアーナを売るとでも? そもそも、貴様如きが私をどうにかできると思っているのか? ……少しばかり力をつけた程度で……舐めるなよ……小僧……ッ!」


 不敵に嗤う。片耳を失い、血に濡れたその顔は、なおも妖しく美しい……神が手ずからに作り上げた芸術品の如くだ。そんなクレアが、人外の魔道士として、闇色のマナのヴェールを纏う。


 ただ、そんな彼女をアルは平然と眺めるのみ。クレアが攻撃へと舵を切るのを見過ごしている。


「あぁ、ちなみにダリル殿とヴェーラも、貴女に挨拶がしたいらしいですよ?」

「……ッ!?」


 それは鎖。比喩ではなく、実在する現世の魔法……聖炎を纏った『視えざる鎖』であり、隠された一撃。白きマナin『縛鎖』だ。


 咄嗟にマナのヴェールを振るい、身を捩るが間に合わない。クレアに二度目の未来視はない。目の前のアルに気を取られ過ぎていた。内心の混乱を収めることができずに反応が遅れた。それが彼女の直接の敗因になるか。


「ぐ……がぁぁッッ!?」


 絡め捕る。反属性を纏う鎖が、エルフもどきの自由を奪う。その身を灼く。


 行き当たりばったりではあるが、こと戦闘に関してアルに抜かりはなかった。復讐を望んではいるが、少し前のように激情に駆られるほどではない。勝てる相手に勝てる手で挑むという、ファルコナーの基本を遵守した上でクレアに仕掛けた。仕掛けた時には終わっていたのだ。


 クレアからすれば、その因果の流れは遥かな過去に始まっていたものであり、今、目の前にあるのは〝結果〟に過ぎないとも言える。


「……アル様。私は別にクレア様に語ることはないのですが……」

「実のところ、俺もないな。クレア殿は……もう良いさ。今となっては、ただのというだけだ。どちらからかと言えば……クレア殿の中に潜む、女神の遣いエラルドの方が気に食わないな。俺は……」


 不意打ちの立役者たち。這う這うの体のダリルと、そんな彼を支えるようにしながら『縛鎖』を放ったヴェーラ。


 クレアもエラルドも気付かなかった。気配を消して潜む二人のことに(ついでにジレドも)。


「(……!? こ、こいつら……〝封じの間〟にいたのかッ!?)」


 クレアたちのアジト……隠れ家は、ザガーロの地下神殿を模していた。術式を流用するために同じ構造をしていた。


 つまり、長らくクレアに操られていたダリルは、その内部構造を知っている。……待ち伏せをするには格好のギミックも。それはヴェーラとジレドが囚われの身となっていた場所。部屋を封じてしまえば中からは出られない。外からの感知もすり抜ける。囚われた者自体には特に影響もないというなギミックではあるのだが、あくまで神々を召喚する術式の副次的な効果に過ぎず、虜囚を留め置くための部屋でもなかった。


 タネを明かせば、クレアが術式の停止のために奔走している間に、アルたちは先回りをして〝封じの間〟で待ち伏せていただけ。


 標的の前にアルが姿を見せ、ダリル&ヴェーラ本命は隠れたまま隙を窺う。罠としてはごくごく基本的なやり方。


「……ぐ……き、貴様ら……ッ!!」

『クレア! 何をやってるッ!! この程度の魔法なんか、さっさと引き離せよッ! し、白きマナは……ッ! ぼ、僕にも届くんだぞッ!?』


 白きマナで灼かれることなど……身を滅ぼす痛みなど、もはやクレアには些末なこと。〝後〟の計画のために、ザガーロの依り代を現世に遺すことこそが……今のクレアの本懐。エラルドが喚いていることなど気にもしない。


「……クレア殿には言いたいことが色々とあった気もしますが……二人に倣うわけじゃないけど、まぁ実のところ、今となってはどうでも良い気はしています。あくまで僕の標的はレアーナですしね」


 聖なる炎を纏う鎖に絡め捕られ、動きを封じられたクレアに対しても、アルは油断はしない。仕留めることも逃げることもできる間合いを保ったまま。その上で、戦いの終結を実感していた。


「……く……はは……ッ! ま、まさか……まさかッ! 最後の最期でこのような展開を迎えることになるとはな……ッ! ただ、残念だったな……小僧。レアーナは逃げ果せるぞ。狂ったファルコナーには近付くなと厳命しているからな……くはははッ!!」

「……」


 亡者の依り代として、妄執と狂気に囚われたクレアはもういない。今のクレアは自身の最期を悟っている。状況を適切に理解している。だが、その上で、ザガーロの依り代を遺す道をまだ諦めてはいない。それは狂気ではなく、理性と計算による足掻き。


「ぐ……ッ……こ、小僧……アルバート・ファルコナー。それに神子ダリルよ……レアーナに関して譲歩はできぬが、神々への意趣返しについてなら……譲ってやっても良いぞ? 神子殿が言うように、今の私の中には女神の遣いが巣食っている。神子殿ならこいつを引きずり出して、煮るなり焼くなりできるはずだ……神子の片割れであるセシリーはそれを成したようだからな。あと、ザカライアの顕現については、私なら術式を停止できるぞ?」

『ク、クレアァッ!? よ、余計なことをぉぉッ!!』


 女神の遣いという余計な邪魔者を始末し、術式を綺麗に停止する。ザカライアを顕現させない。それが今のクレアの最上。そこへ向けて誘導する。


「ほぅ。エラルドは〝引きずりだせる〟のか。その一点だけは魅力的だな。しかし……それにしてもセシリーは一体どうしたんだ……? 何をやっているんだか……」


 クレアの提案に対して、未だに本調子とはほど遠い、死人のような顔色のダリルが僅かに反応する。しかし、一方でアルの心は小動こゆるぎもしない。


「はは。クレア殿、無駄ですよ。僕としては別に貴女に対しての恨み辛みは……はありません。でも、もう遅いんですよ。遅かったというべきかな?」

「……なんだと?」


 もう遅い。


 欺瞞の臭いなり、〝予感〟なり、異能者ヨエルのテレパシーなどでもない。


 だ。ただの〝ルール〟として、アルは知っているだけ。知らされただけ。


「今さらどんな取引を持ちかけても、クレア殿の望みは叶いません。あと、女神たちの願いもね。仮にここを切り抜けられても……やっぱり難しいでしょうね。僕がそう決めたからじゃない。それは……〝物語〟のルール。要は違反者はまとめて罰せられるってことです。。はは。自体は大袈裟でもなんでもない、ごく当たり前のことでしたよ。普通にヒト族社会においても駄目なことだし、罰があるのも当然でしょう。ま、僕としては別に後悔はしていないし、間違っていたとも思いませんけどね。同じ状況が繰り返されるのなら、多少考えはするでしょうが、僕は同じような選択を選び取るでしょう。単に〝物語〟が見逃してくれなかったってだけのこと……」

「ア、アル様?」

「……アル殿……? 一体、何の話だ……?」


 虚ろな瞳に凪いだマナ。幽鬼のような存在感の無さに一切の隙がない立ち姿。魔境の狂戦士が、淡々と独白のように溢す。


 それは〝物語〟のルール。


 代行者である彼が……アルだけが知らされた、この世界を縛るルールの中でも、優先度の高い一つを。


「〝物語〟の……ルールだと? 小僧……き、貴様は……神々をも縛るこの世界のことわりを……し、真理を……知り得たのか……?」


 クレアの紅い紅い瞳に驚愕が浮かぶ。彼女はアルの言わんとすることが、真理の一つに至るモノだと瞬時に理解した。


「理とか真理とか、そんな大仰なことではありませんよ。しかも、得たというよりは、押し付けられたというか……少し前に直接的ながあったんですよ。どうやら僕は、〝代行者〟という……後始末的な役割があるようです。いつの間にか負わされていた……という感じかな? ま、それ自体は面倒くさいですけど、別に細かい指示があるわけでもないですし、だからどうした? ……という程度のことなんですけどね」


 代行者たるアルは知った。自らの役割を。


「……や、やはり……この世界は、し、縛られておるのか……? 神々をも縛るルールとは……? そ、それはどのようなモノだったのだ?」

『クレア! 何をやっている! 早く抜け出すんだッ!! こいつらを始末して、術式を止めるんだよッ!!』


 ダリルの聖炎とヴェーラの『縛鎖』の合わせ技によって、雁字搦めとなって動けない。


 生と光の属性に灼かれている。


 なまじ頑丈であるが故に、耐え難き苦痛を味わう羽目にもなっている。


 ザカライアの召喚魔法陣を停止できない。


 ザガーロの依り代を利用するという計画も流れることになる。


 まだ女神自身ならいざ知らず、その小間使い程度の者にいいように利用されている。


 もはや逆転の目はない。


 クレアは状況も状態もボロボロだ。


 しかし、ここに来て、彼女の中にある研究者としての欲求が、強き衝動が、それら諸々をすべて些末事へと変えてしまう。


「……小僧。いや……異界からの来訪者にして、女神の使徒たるアルバートよ。お、教えておくれ……この世界の神をも縛るルールとは? 私は……一体どのような罪を犯したのだ……?」


 彼女の瞳に宿るのは、罰への恐怖や畏れではない。自らが滅することすら、もうどうでも良い。残っているのは、純然たる好奇心、探求心。


「……クレア殿。残念ながら、冥途の土産……貴女の旅立ちの慰みとなるようなモノではありませんよ?」

『クレアッ!! 何を呑気に語り合っているんだッ!?』


 煩い羽虫が喚いているだけ。誰も相手にはしない。そもそも、羽虫の声自体が、今はクレアとダリルにしか届いていない。


 クレアも、ヴェーラも、ダリルも(ついでにジレドも)、誰もがアルの言葉を待っている。


 上位存在から啓示。まさしくそれは〝託宣〟だ。




「……僕が伝えられたのは、まったく以て当たり前……むしろニンゲン臭いと言えるルールでしたよ。


〝勝手に配役キャストを殺すな〟


 ……というだけです。要するに、僕も貴女も……〝関係者〟を殺し過ぎたってことでしょう」




 ヒトを殺してはいけません。


 それは何故? 


 ヒトを殺すことを善しとすれば、自分が殺されても文句が言えないから?

 普遍的な正義とやらがあるから?

 倫理観によって?

 罰則があるから?

 社会を維持するため?


 分からない。少なくとも、アルの前世においては、全会一致で皆が納得する答えはなかった。もちろん、多数を納得させるための法制度ルールはあったが、どのようなルールであっても反対派はいる。賛成派にしても、積極的に賛成する者もいれば、仕方なく従っているような消極的な賛成者だっていた。それこそが、良くも悪くも多様性というやつだ。


 ただ、神が実在し、更にその〝上位存在〟の介入さえある世界においては、もう少しばかり分かりやすい。


〝こっちが段取りした登場人物を勝手に殺すな〟


 鶴の一声。


 それだけ。


 この世界を縛る〝物語〟のルールは、思いの外にシンプルだった。



:-:-:-:-:-:-:-:





※次回の更新は金曜日頃です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る