第5話 オルコットの鬼と羽虫

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 駆ける。駆ける。


 足を止めずに駆けている。


 それは存在を懸けた追い駆けっこ。逃走劇と追走劇。


 追われる側は、追い付かれれば死……を通り越して消滅。存在ごと滅されることが必至というルール。もちろん強要だ。


 お互いに反属性同士であり、本来であれば、こうも一方的な展開になることはなかっただろう。


「そ、総帥! 気をしっかりと持って下さい! 今、肉体の楔が外れると術式に飲まれてしまいます!」

「……も、もはや……ザ、ザカライア顕現の術式に飲まれるのは、し、承知の上だ……わ、私は贄として役割を果たす」

「いけません! 今の状態では、顕現したザカライアにただ飲まれるだけです! 抗えません!! そもそもの手順とは違うではないですかッ!!」


 追われる側には余裕がなさ過ぎた。消耗し過ぎていた。


 ヴェーラ発案の囮に気付いた際の、ザガーロの怒りは如何ほどだったか。追い詰められていたとはいえ、あのような初歩的な囮にまんまと釣られ、無為に消耗してしまったのだ。誰を責めることもできない、正真正銘の落ち度だ。


 その怒りの大半は自らの間抜けさに向くが、八つ当たりのように、過剰な力で囮を壊してしまうのも……まぁ分からなくはない。


 だが、ザガーロの選ぶ手はことごとくが悪手。


 今回の一手で、彼らは呼び寄せてしまった。


 神子の片割れオルコットの鬼


 囮を壊した後、ザガーロたちは計画の要である術式の安定のため、陣へと戻ろうとしたのだが……不意に始まる決死の追い駆けっこ。


 皮肉なことに、それはザガーロやクレアが目論んだ流れと同じ。託宣の……〝物語〟の流れだ。


 敵のボス魔王と相対する神子勇者一行。


 女神の神子の本命であるセシリーが、冥府の王の神子ザガーロと戦うというのは、本来の〝物語ゲームストーリー〟の展開。


 戦闘の内容に係わらず、セシリー主人公が強制イベント的にピンチに陥り……そこへ別行動をしていたもう一人のダリル主人公が駆け付ける。


 そうして、二人の主人公が共に手を取り合ってザガーロ魔王を倒し、不完全ながら現世に顕現した不浄なる王ラスボスとの連戦へ続く……というのが正規ストーリーのラストバトルの流れ。


 ザガーロとクレアは、お互いが自身の思惑通りに状況を誘導するため、緩やかに対立していたが、このラストの展開自体はお互いが望んでいたこと。


物語託宣〟の最後の流れを利用して、自身の望む状況へと神々の盤上を引っ繰り返す……というのが、ザガーロとクレアの共通する狙いだった。


 思ってもみなかった。前提条件が覆されている。


 女神の神子に追い掛け回され、普通に滅される可能性が一番に高いなど……ザガーロたちの思惑にはなかった。当然、〝物語〟にもこんな一方的な展開はない。


 壊れされていた、〝本編〟は。とっくに。


「……く……ッ! め、女神の神子め! あ、あれほどにマナを放出し続ければ、神子自身とて長くは持たないはずなのに! なのに何故……ッ!?」


 幹部たちが、鬼気迫る勢いで接近する白きマナに気付き、ザガーロを抱えて一目散に逃げの一手を打ったのは間違いではなかった。間違いではなかったが……正解でもない。


 決定的に遅かった。


 直近で思い返せば、アルが勇者ダリルに感銘を受けた時点か。そして、直接的には、アルたちの狙撃を受けた時点でザガーロ一味は詰んでいた。


 もう少し遡れば……レアーナが、ヴェーラとジレドにちょっかいを出した時点で……アルが本気でクレア一派との対立を決意した時に、既にこの流れは確定していたのかも知れない。


 更に突き詰めて遡っていくと、女神の遣いがアルに女神の力を授けたのも間違いだったのだろう。いや、そもそもの話、女神がアルをこの世界に……ファルコナーという魔境に喚び寄せたのが発端か。彼が〝物語〟に関与した時点で……〝主人公〟と接触した時点で……などなど。


 それぞれが、その時々で、より良い一手を選んだ結果ではあるのだろうが、所詮は誰も彼もが道化に過ぎない。神々も、神々の遣いも、神へ反抗する操り人形とて、それは同じだった。


 狂騒曲。各々が自由な形式で旋律を奏でていただけのこと。


 人生とは、クローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇……とはよく言ったもの。


 今のザガーロ一味からすれば、一連の積み重ねは、まさしくとんだであり、彼らからすれば悲劇に違いない。


 ただ、最後の駄目押しは囮の破壊であり、それはザガーロ自身の手によるもの。囮に釣られているのが、自分たちだけだと思わなかった。気付けなかった。


 そんな事情を加味した上で、一連の状況を俯瞰ふかんして見れば……どうしようもなく喜劇だ。


「そ、総帥ッ! こうなれば迎え撃ちます!! お逃げ下さいッ!!」 


 残念ながら、もう遅い。


 追いつかれたちゃったね。





 ほら、彼女がオルコットの鬼だよ。





:-:-:-:-:-:-:-:



 ある程度は祓われたとはいえ、未だに魔族領には黒きマナが……瘴気が満ちている場所も多い。


 そこへ、白い点が現れる。荒ぶり猛る、白き風が吹きすさぶ。


 余波を受けただけで、力の弱い死と闇の眷属は滅する勢い。遠巻きに見やるしかできない。止められない。


「くはは! これは傑作だ! ザガーロめ、どうにも厄介な状況に陥っているようだな!」

『……笑いごとではないね。神子同士が潰し合うのは結構だけど、ザガーロはその存在が術式に紐付けられている。術式を停止するまでは、奴にはどのような形であれ健在でいて貰わなくちゃならない。……ザカライア様をお喚びする不敬は許されない』


 高みの見物とばかりに、悠長にもしていられない事情。もっとも、それは神々の身勝手。不遜にして傲慢。


「くくく……神々の事情など私の知ったことではない。貴様らが嫌がるのであれば、むしろ私としては重畳ちょうじょうなのだがな。……まぁ良い。計画が頓挫した今、ザガーロの馬鹿には……神々の眷属ではなく、せめてヒトとして黄泉路を逝かせてやろう。愚かな道化として滅するのは、今回は私が一手に引き受けてやるさ。どの道、神々への挑戦は続くのだからな」


 憑き物が落ちた。削がれた。今のクレアには、亡者たちに引きずられるような狂気や妄執はない。残るのは研究者としての理性や同類への憐み……と、神々への並々ならぬ隔意。彼女は神々の邪魔をする。自身が滅した後であっても、それは続く。託した。


『ふん。減らず口を。の挑戦の道はどこにも通じない袋小路だ。わざわざ小細工を弄して、神の干渉を受けない人形を残したところで……なにができるというんだい? 神々の干渉を拒絶するということは、その寵愛をも拒絶するということだよ? 君は自分の力だけでここまで辿り着いたとでも?』

「くはは! 小僧と神子に一杯食わされる程度の者に威張られてもなぁ?」

『……黙れよ、矮小なる者。お前は言われた通り、ザガーロの術式を止めるんだ。行けよ……ッ!』


 知識としてはともかく、女神の遣いエラルドは実態としては知らない。現世の者の諦めの悪さや執念を。そして、そんな連中とのやり取りにも慣れていない。あっさりと感情を揺さぶられる。


 クレアの台詞は、分かりやすい特大ブーメンな自虐だったのだが、そのような戯れをエラルドは理解しない。指摘する余裕もない。


「まったく……やはり羽虫か……言葉遊びもできぬとはな。この程度でムキになりおってからに……」


 妖しくも厭らしい笑みがクレアに戻ってくる。しかし、今や彼女は女神の遣いの操り人形。これまでのような比喩や象徴としての意味ではなく、直接的な意味でだ。


 今の彼女はエラルドの命令に逆らえない。内心は別として、その肉体はザガーロの術式を止めるために動く。


『術式を止めろ。壊すんだ』

「く、くく……せっかちだな。少し戯れただけだろうに。……言われずともやるさ。術式の停止はな……」


 クレアは滅する。神々に取り込まれる形で。それは眷属の定めであり、神の御下へと招かれるのは、本来であれば魂の救済とも言えるだろう。しかし、神への反抗を望む者たちからすれば、この上なく屈辱的な仕様。


 ただし、クレアなどはそれらを覚悟の上で選択した。受肉した精霊などと呼ばれるエルフ族の禁忌を踏み越え、死と闇の眷属へと至ったのだ。


 一方、〝物語〟に大役のあるザガーロは違う。違った。選択の余地はなく、ただ〝そうであるから〟という、彼個人にとっては理由なき理由によりヒト族を外れた。


 クレアがそれを憐れに思ったのは確か。


 当人が望まないことを承知の上で、彼女は、ザガーロを眷属から解放することを……冥府の王顕現の術式からの解放を……自らの現世での最期と定めた。


 もっとも、それは女神の遣いに操られ、どうせやらされるなら……という、クレアの負け惜しみのような意地でもある。


『行くんだ。女神の神子セシリー冥府の王の神子ザガーロを滅する前に』


 果たして、ヘロヘロのザガーロ一味が、怒気を纏った神子セシリーをどれだけ凌げるか?


 女神の遣いと、黒幕を気取っていた死と闇の眷属たちは、それぞれが本懐を遂げることができるのか?


 結末はいかに。



:-:-:-:-:-:-:-:



『と、止まりなさい!! ザガーロを滅してはなりませんッ!!』

「(煩い。黙れ)」


 いつからか、彼女の中で自己主張を強めてきた、女神の遣いのヒステリックな静止の呼びかけ。今のセシリーには雑音でしかない。聞く価値もない。どうでもいい。


『待ちなさい!! 待てと言っているでしょッ!? 神子ダリルは死んではいない! 壊されたアレは、マナを乗せた囮だから!!』

「(耳障り)」


 実際にはその声を聞く者は彼女以外にいない上、それが耳に届いているかは不明だが、セシリーにそう感じるだけ。


 今の彼女の歩みを止める阻む者はいない。現れた瞬間に斃れる。滅する。白きマナの暴威の前に、近付くことすらできない。


『あ、あなたのマナが枯渇すれば、残してきた者たちが瘴気の中に取り残されるのですよ!! せ、せめて力を抑制しないさいッ!!』

「(知るか)」 


 エイダ、ヨエル、クスティ。裏勇者一行は置いてけぼり。


 ダリル(囮)が死ぬ(壊される)瞬間をセシリーは感知した。彼女だけがそれを明確に知った。知ってしまったというべきか。


 キレた。


 周りの者が反応するよりも先に、セシリー自身も記憶が飛ぶほどの衝動……気付いた時には、白く猛る風を纏い駆けていた。真っ直ぐにダリル(囮)を殺した(壊した)気配を目掛けて。


 ただ、セシリーには、それでもどこか冷静さを残している部分もあったのだろう。


 残されるエイダたちのために、瘴気祓いとして構築した術式は維持したまま。かなりの遠距離となっても繋がりを残したままだ。


 その冷静さを感知に回しておけば……というのは野暮な話か。


 とにかく、女神の遣いラマルダの指摘は的外れに過ぎる。もっとも、的外れだろうが正鵠を射ていようが、ラマルダからすればどちらでも良いとも言える。セシリーが止まってくれさえすれば。


の前にザガーロを滅すると、冥府のザカライア様が不完全な形で顕現してしまいます! この世界は傷を負うのですよッ!?』

「……」


 止まらない。


『術式を停止した後は好きにしなさい!! でも、今は待つのよッ!! 一度止まりなさいッ!!』

「……」


 止まるはずもない。


『エリノーラ様の御意思に逆らうのですかッ!? あなたはエリノーラ様の加護を……恩寵を宿す神子なのよッ!? エリノーラ様の遣いである私の言葉を聞き入れなさいッ!!』


 不意にセシリーの足が止まる。


『……ッ!? よ、良かった! 私の話を聞く気になったのですね!?』

「……」


 違う。ラマルダのぬか喜び。


 彼女の足が止まったのは……追いついたから。ザガーロ一味に。


 ただし、未だにザガーロ本命は逃走中。そんなボスを逃がすため、外法の求道者集団の幹部連中が、セシリーの迎撃なり足止めのために立ち塞がる。少し距離を置いて配置についている。死を賭した臨戦態勢。


 そこには、今のセシリーが足を止める程度には脅威度がある。少なくとも、どこぞの羽虫のヒステリーよりは、この決死隊の方が神子の注意を引いた模様。


 一瞬遅れて、ヒステリックな羽虫もそんな状況に気付く。


『なッ!? も、もうこんな至近にッ!? エ、エラルドはまだ術式を停止できないのッ!?』

「……そろそろ煩いよ、


 女神の遣いは……エラルドもラマルダも、ヒトの機微を知らない。知識として知っているだけで、共感することはない。そもそもが現世の者をごく自然に見下している。存在の位階が違うため、それは当然と言えば当然のこと。それ自体は不自然でもない。


 ヒトが昆虫の生態を知っていても、昆虫目線での思考や社交を知ることがないのと同じで、女神の遣いがヒト同士のやり取りや心の動きを知らないのも無理はない。


 だからこそ、ラマルダはセシリーの神経を逆撫でする意味を理解していない。できなかった。


 ラマルダが自分で語っていたように、セシリーは女神の加護を持つ……恩寵を身に宿した神子だ。


 反属性であるクレアと違い、セシリーは女神の遣いに


 いけ好かない奴に対してヒトはどうするか?

 愛しき想い人を喪った際に、横からごちゃごちゃと喚かれたら?

 手を出しても、お咎めは特にない……その上で十分に手が届く場合は?


 既にセシリーの暴力へのハードルはかなり下がっている。その過程と結果については、ラマルダも彼女の中で散々に見てきたはず。


『ぁがッ!?!?』

「……」


 自身の身の内に潜む女神の遣いラマルダを、セシリーはその白きマナで。そのまま、無理矢理に引っ剥がす。外へ。


『な、なにをををぉぉごゴッッッ!?』

「……」


 不様な悲鳴を上げながら、神子の身の内から引きずり出されたのは半透明な少女。それは虹色のマナの集合体であり、その姿は、かつて自身が乗り捨てたヒト族の少女の写し身。アルが見れば、趣味が悪いと吐き捨てることだろう。


 ラマルダは、女神の遣いである自身に、まさか危害が加えられるなどとは思ってもみなかった。神子が女神の遣いに逆らうなど、想定してなかった。まさにヒトを知らなさ過ぎだ。


『な!? う、動け……な……い……ッ!?』


 主たる女神の力……白きマナでがっちりと〝存在〟を掴まれた以上、ラマルダは身動きなどできようもない。


「……オマエ、臭いんだよ。ダリルは生きている? 術式を止めるまで待て? 力を抑制しろ?」

『あ……あぁ……』


 自身の存在が千切れそうになって、ラマルダもようやく気付いた。セシリーの敵意に。その怒りが自らに向けられていることに。


「欺瞞の臭いを撒き散らす奴に、何を言われても……知るか……ッ!」

『ま、ま、待ちなさい! 待って頂戴!! ほ、本当にダリルは無事なのよッ!! あの壊された気配は囮だと言ってるでしょッ!? わ、わ、私は女神の遣いなのよ!? エ、エリノーラ様の御力で存在を傷付けられたら、も、元には戻らないのよッッ!?』

「あ、そう。それは良いことを聞いた」


 白きマナが徐々に閉じていく。ラマルダを中心として圧縮されていく。つまり、セシリーは羽虫を握り潰しにかかった。躊躇もない。


『ァがッ!? が……! ま、待って……お、おッ……ねが……いッ! こ、こんなの……!! あ、有り得な……い!! ……ぐ……ぎ……ぎゃ……ぁぶブッ……!』

「……」


 実際には無音ではあったが、セシリーはの断末魔と、ぐちゃりと潰れる音を……無感動に聞いた。確かに聞いた。


 こうして、オルコットの鬼の逆鱗に触れた女神の遣いラマルダは、あっさりと無に還る。彼女の存在が一体どうなったのは分からない。ただ、少なくとも、セシリーに雑音を撒き散らすことはない。それだけは確か。


 もう少し冷静に、そして穏やかに、ヒトの機微に寄り添いながら、真摯にダリルの生存を訴えていたら……また別の可能性もあったかも知れない。


 だが、そういう諸々を含めて、ラマルダ視点では間違いなく悲劇となるこの一連の出来事も、俯瞰して見れば……ただの喜劇。



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