第4話 後始末の始まり

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 マクブライン王国の東方辺境地である大峡谷。そこを更に越えた先にある魔族領。


 便宜上魔族領と呼ばれているが、魔族が実効支配している地域はごく一部の領域であり、それ以外は未踏の領域だと伝えられている。


 王国中央に位置する王都の民衆などからすれば、そこは想像もできない僻地に違いない。


 更にこの度の争乱では瘴気が満ちる地となり、生者にとっては真の意味で魔境と化してしまった魔族領。


 だが、大峡谷を根城とするルーサム家私兵団の中でも、深部域で活動する一部の者たちにとっては、本来の魔族領は少し遠出をする程度の身近な場所でしかなかったのだ。


 むしろ、大峡谷を抜けた先は比較的開けた場所も多く、魔物の数と質も大峡谷の深部域ほどでもない。もちろん、未熟な者や一般人が立ち入れる場所でないことに変わりはないが、一部の強兵たちからすれば、状況によっては魔族領に出た方が移動がしやすかったとも云われている。


 何が言いたいのかといえば……ルーサム家私兵団の強兵たちからすれば、魔族領はということ。物理的な距離、移動の容易さ、慣れ親しんだ場所という心理的な面でもだ。


 当然に熟練の兵たちからしても詳細が不明な未踏の地も多いため、魔族領では無理はできない。ただ、目指す場所がはっきりとしている状況であれば、そこへ到達する既存の最短ルートを征く程度のことはお手の物。


 現状の問題は生者を蝕む瘴気。


 だが、その瘴気を無効化、浄化する存在がいたらどうだろうか。


 当たり前にルーサム家の者が魔族領を案内するだろう。


 目指す場所を知った。瘴気をどうにかできる手段がある。道案内もいる。その上で、色々な意味でに満ちている暴力装置がいる。


 ここに条件は揃った。揃ってしまったと言うべきかも知れない。


「主たるセシリー。これは……?」

「あぁ。瘴気の中を突っ切っていくことになるからな。これまでのように、都度都度でマナを放出し続けるのは消耗が激しくて得策じゃないだろう? だから、私たちの周りの風に白きマナを乗せて、幕を張るように循環させているんだ」


 そう語る神子セシリーを中心に、白きマナがチラつく大気の膜がドーム状に形成されている。


 色々と脳筋チックになってしまってはいるが、元々の彼女は魔道士としては技巧派。もう一度言う、本当は技巧派なんだ……そういう設定はちゃんとあったんだ……。


「セシリー殿、見る限りかなり広範囲に渡って瘴気を遮る仕様のようですが……消耗は抑えられているのですか?」

「大丈夫。あくまで術式としてはそんなに複雑じゃないから、ほとんど意識せずとも維持できる。マナの消費も気にするほどでもない。一応、私が意識を手放してもしばらくは術式が滞留するように保険はかけているよ。まぁ気休めだけど……」


 そこには真っ当な魔道士がいた。こいつは誰だ? 脳筋暴力装置セシリーだ。


「……主たるセシリーは魔道士だったんだな」

「ん? 今さら何を言っているんだ?」

「いや、何となくな……(ちゃんと普通の魔法も忘れてなかったんだな。てっきりイロイロと退化したものかと……)」

「(ああ! エイダ殿の心の声が聞こえてくる!)」


 本人はそんなに複雑じゃないと言っているが、エイダからすればその術式は精微。真似をしようとすればできるが、片手間で起動できるような代物ではないのは確か。


 ちなみに、ここでもヨエルの異能は発動していた模様。


「これで瘴気の中を行けそうだな。もし敵と遭遇した際には、他の者で対処し、セシリー殿はあくまでも瘴気祓いの魔法の維持に務めるということで良いか?」

「ええ。私もクスティ殿の意見に賛成です。セシリー殿の力量は十二分に理解していますが、瘴気の中での活動となれば、セシリー殿が行動不能になれば何もできなくなりますから……」

「そうだな。私は自重するよ」

「(はは。傑作だな。主たるセシリーは〝自重〟という言葉を知っていたのか)」

「(……聞こえない。私には何も聞こえていない……)」


 それぞれの思惑はともかくとして、裏勇者神子セシリー一行が魔族領を征く。


 目指す。それは小さな灯りではあるが、瘴気の中で燦然と輝く白き一点。


 セシリーは想い人のマナを感知している。




 もっとも、普通に騙されて釣られているのだが……まだ彼女は知らない。




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 一方の勇者神子ダリル一行。


 思いの外に囮が効いたようで、あっさりと戦線を離脱。囮の方はある程度の距離を保ち、ザガーロと対峙する状態で切り離した。バレるのはもう時間の問題だが、既にアルたちは安全圏……いや、必殺の間合いに踏み込みつつある。ザガーロを精密に狙撃できるポイントを探している。ダリルが復調した暁には、今度こそ一撃で仕留める心積もり。


「いやぁ。まさかここまで上手くことが運ぶとは……やってみるもんだね」 

「はい。考え得る最上に近い成果かと……」


 狂戦士の主従が声を潜めて語り合う。


 今は小休止。ダリルのマナを籠めつつ、気配を消した『視えざる鎖』を変則的に周囲に展開している。一種のカモフラージュネットだ。瘴気を祓いながら、遠方からの感知をある程度は掻い潜ることができる。もちろん油断はできないが、簡易的な安全地帯の出来上がりだ。


「アルの旦那に奥方様ヨ。ダリル殿がまた意識を失っちまったゾ。かなり辛そうダ。……あの白いマナは大丈夫なのカ?」

「……まだしらばらくは持つと思います。ですが、そう長くはありません。いずれダリル殿にマナを充填してもらわなければ……」


 確かに戦線からの離脱については最上に近い成果はあったが、代償も大きかった。最終兵器……マスターピースたる神子ダリルが使い物にならなくなったのだから。


「直後は気を張っていたんだろうけど……やはりかなりの無茶だったんだろうね。あの瘴気の津波を凌ぎ切るってのはさ。まさか、あそこまで広範囲に被害を及ぼす天災のような魔法を個人で使用するなんてね。敵ながら流石に恐れ入ったよ。まさに神子だ。あれはもう神々の代理戦争の領域だし、か弱きヒト族がどうこうできるスケールじゃないよ」


 改めてアルは思う。洒落にならないと。代償があるとはいえ、個人の使用する魔法が天変地異規模なのだ。まさにフィクションゲームの最終決戦の様相。


「……アル様、今の間に瘴気の影響がない場所を目指しますか?」

「いや、今のダリル殿を動かすと、更に復調までに時間がかかる。まずはギリギリまでここで粘って、どうしようもなくなれば……ダリル殿には悪いけど無理矢理起こして白きマナを補充してもらう。どうせもうすぐあの囮にも気付かれるだろうし、今は迂闊に動き回らない方が良い。敵さんもかなりボロボロみたいだけど……ダリル殿を欠いた僕らを葬る程度は造作もないだろうしね」


 アルたちも動きを封じられた。瘴気に囲まれた地で、神子ダリルが動けなくなった以上はどうしようもない。


 囮に釣られ、未だに臨戦態勢を取ったままの敵を嘲笑うことはできるが、一転して、敵の注意がこちらに向けば成す術もない。バレれば終わり。


「ブヒィ……こりゃどうしようもねぇナ。アルの旦那、一応、今際の言葉を遺しておくカ? ま、その時は全滅デ、伝える者もいないだろうかラ意味はねぇだろうガ……」

「ん? 今際の言葉? 死に逝く戦士が遺す……的なやつ?」

「まぁそんな感じダ。俺がいた氏族でハ、別に戦士だけってわけでもなク、今際の言葉を遺す風習があってナ」


 戦士として向いていないかも知れないが、ジレドも辺境のオーク氏族。その死生観はまさに辺境の者。いつ死んでも仕方がないという……良くも悪くもな諦念を持つ。諸行無常だ。


「うーん。今はいいかな? 僕が最期の言葉を遺したいと思うのは……ヴェーラくらいだしね。ま、生きてる内に直接伝えるさ」

「ア、アル様……ッ!?」

「ブヒヒィッ! そりゃお熱いこっテ!」


 ちなみに、ファルコナー領の他の戦士たちはともかくとして、ファルコナー家においては、死して互いに遺す言葉無し。伝えたければ生きている内に……というのが家訓のようになっていたりする。もちろん、死に逝く戦士には敬意を払い、遺す言葉を引き受けはするが、自分たちは遺さない。それがファルコナー一族の最期の矜持。


 それはアルにも徹底されているし、そもそも死ぬつもりはない。ただ、もし遺せるならヴェーラに……という心の変化。それはニンゲンたるアルの姿。


「ア、ア、アル様……ち、ちなみに、ど、どのようなお言葉を……?」

「い、いやぁ……改めてそう聞かれると流石に照れるし……」

「ブヒブヒ! なんなラ俺は席を外そうカ!」


 ノリノリのジレドに満更でもないヴェーラとアル。


 それは一時の気晴らしのようなやり取りだったのだが……意識を失っているはずのダリルが、若干イラっとしたとかしないとか。


 ただ、そうしてアルたちがキャッキャウフフしている間にも状況は動く。


 かなりの時間を稼ぎ、ザガーロ一味を場に釘付けにした上、その黒きマナを無駄に消耗させた功労者が……逝く。


 囮として残していた、白きマナを乗せたヴェーラの『縛鎖』がとうとう壊された。


 破綻した〝物語〟の仕上げの時。



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「……そろそろ、状況が決定的に動くか?」


 大岩の上に腰掛け、ぽつりと呟くのはエルフもどき。人外の化生。


 妖しくも怪しいその美しさは健在ではあるが、かつての彼女が身に纏っていた、底知れないナニかはごっそりと削ぎ落されている。存在が萎れてしまった。


 不浄の象徴たる紅き瞳に宿る、狂気を伴う爛々としたギラつきも今や風前の灯。むしろ瞳の奥に残るのは理性の光か。


「……はい。ザガーロはようやく囮に気付きました。そして、神子セシリーも付近まで迫っています。……囮が壊されたことで、神子セシリーはダリルが殺られたと誤認しており、怒り狂っているようですね。見張りに付けた者たちが、その怒りの余波で滅されました。……そこから先の動きは追えませんでしたが、あの様子では、半日もしない内にザガーロに接触することでしょう」


 人外の化生に付き従うのは、同じくエルフもどきのレアーナ。

 クレアとレアーナ。この世界の外の理を求めたという、エルフの研究者姉妹の成れの果て。神々の操り人形の中でも代表作だった者たち。


「……ふぅ……では、ワタシは……は行くよ。レアーナ……我が愛しき妹よ。後は頼んだ。お前はこの世界の行く末を見届けておくれ。クソッタレな女神どもが選定した〝古き者〟たちだけには任せておけんからな。託宣の先が……どのように流れていくのかを、お前が……が見届けるのだ」


 気怠げにクレアは自身の体を起こす。立ち上がる。死と闇の眷属たる化生ではあるが、今の彼女には滅びが刻まれている。明々白々な死相を纏う。


「……クレア様。これで本当によろしいのですか? 貴女は神殺しを望んだのでは?」


 レアーナの面持ちは沈痛。ヒト族が悠久の時と呼んで差支えのない時を共に歩んで来た。その姉と決定的な別れが迫っている。


「くは……もう良いのだ。私の中の亡者たちは灼かれてしまった。連中の依り代だったこの身も、もう長くは持たない。せめて最期は……あのザガーロ馬鹿の花道を作ってやる……ザガーロは嫌がるだろうがな。精々神々の望むように踊ってやるさ。……それで良いんだろ? 女神の遣いよ……」


 神々への反抗は今も望むところだが、残念ながらもう逆らえない。亡者どもの依り代を外れたかと思えば、クレアは最後の最期で、女神の遣いの依り代として利用されるという屈辱を味わう羽目になった。


『そうだ。もう〝物語〟は壊れた。エリノーラ様やザカライア様がまったく望んでいない形となり、もはや取り返しも収拾もつかない。エリノーラ様たちは〝次〟の機会をお待ちになる。もう今回は機会は要らない。破棄だ。後は現世に影響を及ぼす神々の加護……神子の力を回収するだけ』


 女神の遣いメッセンジャーが直接的に現世に介入してきた。力を喪いつつあったクレアの中に巣食う。ダリルの時とは違い、制約を課して行動を制する。女神の遣いの本領。それはまるで呪いや寄生生物の如く。その在り様は、とても生命と光を象徴するという、女神エリノーラの眷属だとは思えない。


「く……ッ! 悍ましい化け物めッ!! 何が女神の遣いだッ!! よくもクレア様を……姉さまをッ!!」

「……良いのだレアーナ。これも私の油断と傲慢が招いたこと。女神たちが〝次〟の機会を待つというのであれば、はその〝次〟の機会とやらを潰す……そうだろ?」

「ね、姉さま……! で、でも! そこにはいないじゃないですかッ!!」


 レアーナの慟哭。確かに〝次〟に備えて、神々の干渉の一切を断ち切る小細工を弄した。保険をかけた。準備はした。だが、目の前にいる姉であるクレアは死ぬ。滅する。どうしようもなくそれは確定してしまっている。クレア自身は後の世にが残れば良しとしているが、残される側のレアーナが納得するかは別問題だ。


『女神様への反抗なんてくだらないね。せっかく、神の愛し子として寵愛を受けたんだから、素直にそれを享受すれば良かったものを……現世の者はよく分からないね』

「き、貴様ァァッッ!!」

『ははは。怒ったの? どうする? このクレアの体ごと僕を滅する? 現世の魔道士如きにそれができるかな? 今のクレアの体を壊すくらいはできるかもね。ま、クレアが壊れたら、僕は次の依り代を探すだけのことさ』

「……止めろ。落ち着くのだレアーナ。この寄生虫に何を言っても無駄だ。どうせ女神の小間使いしかできぬ羽虫に過ぎん。相手にする労力が惜しい……」


 クレアに巣食う女神の遣い。エラルド。の者は女神から授かった真の御役目を果たすべく動いた。破綻した〝物語〟の後始末。神の恩寵の回収。


 そう。ここに至って神々は気付いた。〝物語〟の破綻に。だが、神々が止まることはない。止まれない。その目的……〝上位存在〟からの解放を果たすまで、繰り返す。何度でも。次の機会を待つ。即ち、それは〝次〟に続くということ。


「……レアーナ。手筈通りにせよ。……あと、あの小僧の前からは消えろ。あやつはお前をしつこく狙うだろうからな。間違っても返り討ちにしようなどと思うな。ファルコナーの連中は戦いにおいては常軌を逸している。直接的な武力以外でもだ。どのような手を使ってくるか見当もつかないからな。どうしようもない場合は……業腹だがダーグを頼れ。良いな?」

「ね、姉さま……わ、分かりました」

「いい子だ。のことを頼んだぞ。確か……異界の言葉にあったな……私のにならぬようにしてくれ……」


 人外の化生の死出の旅路。勤勉なるクレアが施せるこの世界への仕込みは終わった。種は蒔いた。新たな芽吹きを見るよりも先に萎れた花は落ち、ただ散り逝くのみ。


「……さぁ。女神の羽虫よ。私の方はもう思い残すことはない。行くぞ」

『ははは。その羽虫に逆らうこともできない矮小なる者のくせにね。まぁいいさ。仕上げだよ』


 女神の神子のダリルとセシリー。

 冥府の王の神子ザガーロ。

 神々の愛し子という名の哀れな道化人形たるクレア。


 後始末の時だ。


 ただ、女神エリノーラも、冥府のザカライアも、女神の遣いたるエラルドも……やはりまだ分かっていないのだ。


 この世界は確かに〝物語〟の制約を受けているが、この世界を紡ぐのは主要な登場人物だけではないということを。


 アル、ヴェーラ、ジレド、ヨエル、エイダ、クスティ、ネストリ、ヴィンス、ブライアン、クラーラ、コリン、サイラス、シャノン、ラウノ、コンラッド、セリアン、シルメス……などなど。


〝物語〟に大きな役割がない者たちも、確かにこの世界を紡いでいるのだ。



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※次回の更新は金曜日になります。

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