12 〝物語〟が終わる時
第1話 王都の暗闘
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女神エリノーラを信奉する教会の動き。
敬虔な女神の信徒……という皮を被った狂信者たちは、〝女神の託宣〟を未だに追い続けているが……託宣を脱した現実的な未来へと舵を切ろうとする王国とは、明らかに相容れない。
利益や権力に目が眩んでいる者や、時勢に応じて柔軟に変わろうとする者は……当然に女神の信徒、教会の上層部にも存在している。そのような者たちは、このまま託宣に固執することは教会全体にとっても悪手であると理解し、教義や託宣の解釈を緩やかに変えていくことも視野に入れている。
教会の中でも、王国の運営に合わせて緩やかに合わせていく融和派と、女神の託宣を至上のものとする原理主義者たち……即ち強硬派とに別れていく。
皮肉な話だ。
ヒト族社会に紛れて生きることを選んだ者たちと、自分たちだけの社会に固執した者たち。かつての魔族たちが辿った歴史と似たような流れが教会にも起こりつつある。教会は魔族のことを〝女神の恩寵を不当に盗む穢れた種族〟としているが、何のことはない。女神の信徒も、ヒト族も、魔族も、教会が認定する一部の魔物たちも……寄り集まって社会を構成する以上、その〝仕様〟や〝反応〟など誤差のようなもの。似た者同士だ。
もっとも、教会の融和派と強硬派のどちらからも〝魔族や魔物と一緒にするな!〟という答えが返ってくるだろうが。
「あのさぁ、素直に投降する気はない? 勝てる見込みがないのは分かってるでしょ?」
声が響く。明らかに呆れと疲労が混じっている声。心なしか、彼女の義足が立てるこつりという音にすら活力がない。
「め、女神様の啓示を蔑ろにする背信者どもがッ! 誰が貴様らなんぞに屈するものかッ!!」
そう反発するのは、当人曰くの〝敬虔な女神の信徒〟。その身を包む法衣が、彼が教会の中でもそれなり以上の地位にあることを示している。
教会の中でも、正式な司祭以上の位階となるには『神聖術』の素養が必要とされる。つまり、教会で立場ある者たちも魔道士であることに違いはない。違いはないのだが……皆が皆、戦うことができるのかと問われれば、決してそういうわけでもない。
「あ、そう。だったら仕方ないね」
女の……先端が杖のような形状の義足が、床を叩いてこつりと鳴る。
「……ぉふ……ッ!?」
かと思えば、次の瞬間には小さな呻き声と共に狂信者が崩れ落ちる。踏み込んで鳩尾に一撃。それだけ。仕掛けた側からすれば、歩いて行って、軽く撫でた程度の力加減だ。本気でやれば相手の身体に風穴が開く。
ファルコナーの流儀を持つ街娘。シャノン。
やられたらやり返す、やられる前にやる……という流儀ではあるが、いくら気勢を上げているとはいえ、明らかに戦いに向かない老齢の者を一方的に殺す気には流石にならない。もちろん、これが出会い頭であり、相手の背景など知る由もない状況であれば、シャノンは咄嗟に始末しているが。
「お見事ですシャノン殿。流石ですね」
「……嫌味にしか聞こえないね。どこがお見事なんだよ。何が悲しくてこんなヨボヨボの爺ちゃんをブチのめさないといけないんだか……しかも、この後にはただ殺すよりもエグい尋問をするのが分かっていながらだ。感じ悪いよ、ホント」
「ですが、その〝爺ちゃん〟が多くの信徒を扇動して治安を乱し……結果として民に被害が出ています」
「アーソレハタイヘンダネー」
王家からゴールトン伯爵家への密勅に協力する形で行動しているシャノンたちの『ギルド』。また、今となっては《王家の影》や治安騎士団も裏に表にと動いており、その上で女神エリノーラ教会においても〝正統〟な方向性が示されつつある。
決して託宣を否定しないが、絶対視はしないという姿勢。女神エリノーラが間違えることはない。間違いや行き違いがあるとすれば、それは託宣を受け取った側の問題であり、女神の啓示を正しく解していなかったという……要は託宣の正当性や教義を現実に擦り合わせる案を出してきている。
結果として、王都においては託宣を絶対視する原理主義者が次々に狩り出されることに。
ただ、王国も教会の上層部も侮っていた。神への信仰とは……弾圧があれば反発や連帯を強め、深く深く潜んでいくことを実感として知らなかった。そんな中、実動部隊としてシャノンたちは動いている。色々と見たくもないモノまで見せつけられるような現場も多い。
「……コンラッド殿。シャノン殿は理解している……敢えて言葉にする必要はない……」
少し距離を置き、気配を押さえていた人影が口を挟む。彼としてはあまり前に出たいわけでもないが、いかにも都貴族家へ仕える者という態度のコンラッドと、
「左様でしたか。それは失礼しました。ラウノ殿もご指摘をありがとうございます」
「(いや……だから、そういうところがシャノン殿の癇に障っているんだが……まったく、コンラッド殿も強情な方だ)」
《王家の影》へ復帰したラウノだったが……今更ながらにアルバート・ファルコナー男爵令息は、まだバランスが取れていたのだと実感している。彼は魔境の摂理や流儀だけではなく、貴族家の者としての立ち回りをそれなりに理解していたのだと。
シャノンも生まれは魔道士の血統……〈貴族に連なる者〉ではあるのだが、貴族家の者として育ったわけでもない。彼女の場合はファルコナーの流儀や戦いに比重が偏っている。あくまでファルコナー領のただの街娘として育ったのだから仕方のないことでもある。
「はいはい分かりましたよ。いちいちラウノ殿に気を遣わせるのも悪いし、もういいよ。……それで? 例の死霊の方はどうなってんの? 既に
「……未だに捕捉できていない。女神の信徒を
「かつて世話になったサイラスが心を痛めているみたいだから……とっとと現世から退場してもらいたいな。ま、死霊は聖女様に任せるしかないけどさ」
王都にて、託宣の残党を勢いづけている一因。力を持った死霊。元々は副業として暗殺稼業をするという……とあるイっちゃってる助祭がベースの死霊だ。
教会独自の武力組織であり、対アンデッドの専門家集団でもある聖堂騎士団。その聖堂騎士団の追跡を逃れながら王都を彷徨っている内に、件の死霊は力をつけていった模様。
しばらく前に、亡者たちが外民の町と民衆区に溢れた騒動があったのだが、その際のどさくさ紛れに他の死霊や亡者を取り込み、飛躍的に力を得たと見られている。
力を得た助祭の死霊は無差別に生者を襲ったりはせず、聖堂騎士団の追跡を躱しながら、何故か憂いを抱く女神の信徒の前に現れては、禁忌の外法や独特な女神の教えを授けて回っているのだとか。
「フランツ助祭……生前の暗殺稼業の一部は、聖堂騎士団の下請けという面もあったと聞いている。つまり、聖堂騎士団の動きをある程度知っている上に、
「死霊が女神エリノーラ様の教えを説くとは……まったく世も末です」
必ずしも託宣の残党……過激派たる敬虔な女神信徒の皆が皆、フランツ助祭の死霊を受け入れているわけでもない。ただ、外法の禁術による影響力を安易に取り込もうとした連中が後援している状況。また、一部ではフランツの死霊が説く女神の教え……教義の解釈やそれに即した行為について、感銘を受けて協力者となる者たちも増えつつあるという。新たな潮流の兆しありだ。
「やけに活動的な死霊だよね。平和的に女神の教えを説くだけならまだ良いんだけどさ……」
ファルコナーにおいても、女神の教えは日常生活に浸透はしていた。ただし、あくまでもそれは辺境地仕様の教えであり、派遣されてくる
志を胸に、周囲の反対を押し切り辺境へ赴いたか弱い修道女が……数年後に
とある異世界においては〝一寸の虫にも五分の魂〟などという、虫の命や魂を例にする
〝虫けらに神はいない〟
〝いい昆虫は死んだ昆虫だけだ〟
〝女神はその足で昆虫を踏みつけている〟
〝正義とは虫を殺すことを指す〟 ……などなど。
意味はそのまま。昆虫どもへのファルコナーの敵意が、そのまま現地の女神の教義などにも反映されていたりする。
要は女神の教えと一口に言っても、王国内だけでも各所でその内容は少しずつカスタマイズされている。
別に王都においても、本家本物の女神の教えに反したり、矛盾や誤解を生むような言説でなければ、ある程度はそれぞれの信徒の考えを許容するだけの度量が教会にはあったのだ。
「……シャノン殿、いくら平和的な女神の教えであっても、死霊という時点で聖堂騎士団が動く……」
「いや、それくらいは流石に私にだって分かってるから」
「とりあえず、聖堂騎士団に連絡してこの元・司教殿を引き取ってもらうとしましょうか?」
シャノンたちは過激な行動に走る託宣の残党だけではなく、若干ベクトルが違う死霊フランツが作り上げつつある異様な教団も追うことになる。
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「お名前はコリン殿と仰るのですか? ……どこかで聞いたことがある気がするのですが……?」
「そうなのですか? まぁ特に珍しい名でもないため、どこぞで耳にしたのでは? 少なくとも、俺自身がシルメス様とお会いするのは初めてかと……」
シャノンは単独での戦闘能力を買われ、少数での強襲を含む〝狩り出し〟担当に回されたが、コリンやサイラスは聖堂騎士団の隊と行動を共にしていた。あくまで実働部隊としてではなく、情報提供を主とする協力者として。
そして、そこにはゴールトン家の食客扱いとなっていた、教会から聖女認定を受けた修道女という……特殊な立場であるシルメスもいた。
「……そうですね。確かに、私もコリン殿とお会いするのは初めだと思います。すみません。余計なことをお話してしまいました」
「いえ、別に気にするようなことでもありません」
顔を合わせるのも、言葉を交わすのも初めてのこと。しかし、かつてシルメスとコリンには微妙なニアミスがあったのだが、それについてはお互い気付かない。
学院入学のための旅路。ファルコナーから王都までの二人旅。その道中の……アル曰くの〝ベタなイベント〟だ。その際に命を拾ったのがシルメスであり、コリンも現場に駆け付けていたが、主の指示で賊を斬り伏せて即座に撤収しただけ。襲撃側も襲撃される側にもまともに接触することはなかった。
「それでは気を取り直してですが……私どもは外民の町と民衆区にはある程度の情報網がありますが、民衆区でも比較的富裕層のいるような区画は網が薄いです。元々外民の町にあった教会の助祭様ということですし……逆に外民の町では姿を見知っている人も多い気はしますが……」
今は聖堂騎士団たちとの情報の擦り合わせの場面。コリンは自分たち『ギルド』の特徴なり見解なりを話す。
「しかし、外民の町から情報があまり出てこない……ということですな?」
「ええ。ただ、個人的には知りませんが……うちにいるサイラスをはじめ、そのフランツ助祭の支援を受けていた者たちからは……たとえ死霊であってもフランツ助祭に助けを求められれば、積極的に匿う可能性もあると聞いています。それほどまでにフランツ助祭に……生前の彼に恩義を感じている者は多いようです」
「うぅむ……女神の信徒としては喜んで良いか情けなく思うべきなのか……いや、もちろん死霊を褒め称えるような真似もできんが……」
隊を仕切る初老の聖堂騎士が唸る。彼の名はダニエル。フランツ助祭の生前の副業のことも承知の上で、彼が敬虔な女神の信徒だと認める側だ。
「少し酷ではありますが、サイラスに昔の伝手を含めて、フランツ助祭の支援を受けていた者でそれなりに成功している者を洗い出させています。もし、その中でここ最近に不自然な動きがある者がいれば……」
「そこにフランツ助祭の死霊が匿われている可能性もある……と」
「まぁあくまで気休め程度ですけどね。私たちはアンデッド相手についてはあくまで素人に毛が生えた程度です。専門家である聖堂騎士の方々の見解を踏まえて動くべきかとは思いますが……如何でしょう?」
コリンは堂々と言い切る。口では気休めなどと謙遜しているが、サイラスたちの動きの延長線上こそが、フランツ助祭の死霊に辿り着く最短距離だと考えた上で。
そもそも本腰を入れていなかったというのもあるだろうが、フランツ助祭の死霊を追い詰められなかったのは、誰あろう聖堂騎士なり教会関係者なのだ。コリンの物言いは丁寧ではあるが、事情を知る者からすれば痛烈な皮肉だ。
今さら聖堂騎士の思うように動いたところで、死霊を捕捉できると考えてなどいない。
「耳が痛いな。まぁ神子関連で浮ついてしまい、当たり前の職務に支障があったのは事実だ。今は貴殿らの情報収集の動きを最優先としておこう」
「……スラムで暮らしていたサイラスたちにとって、彼らを支援するフランツ助祭はまさに救世主であり、心の寄る辺でもあったようです。ま、副業だとかで、彼には彼で色々と問題もあったようですが……何にせよ、そんな彼を死霊として街を彷徨わせていたことについて、サイラスたちの現在の保護者としては……憤りがないとは言いません」
「……肝に銘じよう。だが、覚悟はしてもらう必要がある。基本的に死霊を〝個〟として認識することは、奴らを相手にする際にはご法度なのだが……既にフランツの死霊はかなりの力を持つ存在となっていると考えられる。恐らくは生前の記憶や人格も戻っている。……サイラスとやらをはじめ、かつての関係者にとっては、決して愉快な結末にはならんだろう」
今の状況を考えると、サイラスたちはもう一度フランツ助祭を喪う。しかも、かなりの騒動の末に。個人的には知らない相手ではあるが、既にサイラスたちを身内としているコリンだ。身内の恩人を始末することについて、当然に思うところはある。
「……コリン殿。せめてフランツ助祭が永劫の安らぎに抱かれるために……私も微力を尽くします。そのために女神様から授かった力です」
そのやり方に賛同はできない。だが、それでもフランツ助祭は多くの人々を救った。救おうとした。聖女シルメスには、彼のこれまでの行いに対して敬意を払う程度の余白は持ち合わせている。
「シルメス様。個人的には見知らぬ他人です。しかも死霊となった助祭様だ。そんな彼の魂の救済だとか安らぎなんかは正直どうでも良いんです。ただ、死霊を滅するにしても、生前の彼を慕っていた者たちの……その心を抉るようなやり方をしないで欲しいってだけです」
「……しかと心得ておきます」
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