第8話 情勢の推移

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「なるほど。貴女はクレア殿の遣いであり、ネストリ殿を取り返しに来たと?」

「……いえ、違います。ですから何度も説明しているように、私は神子であるセシリー殿を迎えに来たのです。……その……拳にマナを集束するのを止めて頂けませんか?」


 まるで話が通じない神子に、思わず困惑の隠せないレアーナ四号。やり取りの最中にチラリと見やると、ネストリ同僚の瞳には怯えが見える。演技ではなく、心の底からのホンモノの恐怖。トラウマの囚人。


「ネストリ殿も私を迎えに来たと言っていた。そして、今はクレア殿の所へ案内してくれている。貴女の迎えなり案内は要らない」


 神子セシリーは制御の効かない暴力装置ではあるが、女神の力を身に宿した、正真正銘の主人公属性を持つ者。その直感は鋭い。フラグを嗅ぎ分けるとでもいうか。


 その上で、今は彼女をサポートする女神の遣いまで存在している。


『この者は危険です。首魁はともかく……このエルフもどきは信用してはなりません。それどころか、共に行動することでを敵に回すことになります』


 神子セシリーに寄り添う女の子の声が……女神の遣いである妖精がそう囁く。


「悪いが私はクレア殿の真意を知りたいだけだ。その言い分が納得できるものなら、協力することだってやぶさかではない。だが、貴女は違う。貴女は私のことを身を守る盾のように利用しようとしている気がする。……あぁ。別に反論は要らない。私がただ思っているだけだし、貴女の真意を確かめる気はない」


 一方的な言葉。相手の話を聞く気がないという姿勢を強調するセシリー。

 レアーナからすれば付け入る隙はあるのだが……そうなれば、セシリーは暴力でゴリ押ししてくるのが目に見えている。彼女とて、セシリーとネストリとの一連のやり取りを知らぬわけでもない。交渉するには先が読めない危険な相手だ。


「……そうですか。では、致し方ありません。このままネストリに案内を任せましょう。しかし、魔族領で暴れているザガーロ一派は、大峡谷内の多数の氏族を篭絡し、ルーサム家との全面的な抗争へと発展しています。戦力としてはルーサム家側が優勢ですが、ザガーロ一派は瘴気を撒き散らしており、瘴気が漂う場ではルーサム家側の戦士はまともに活動できないでしょう。瘴気を根本から浄化できるのは……女神の力を持つ神子以外にはありません。そのことをお忘れなきように……」


 レアーナは引く。必要なことを伝え、後はネストリがまともに動くのを、遠目から見張りつつ期待するのみ。


「分かった。私とてマクブライン王国の〈貴族に連なる者〉だ。外敵であるそのザガーロ一派なり、大峡谷でルーサム家に敵対する氏族に対して、この力を振るうことに迷いはない」


 レアーナ四号とセシリーのやり取りを静かに見守っていたヨエルなどは『あぁ、セシリー殿は〈貴族に連なる者〉としての矜持を……その役割を忘れていなかったのか!』と、何故か感銘を受けていた。セシリーの明らかなポンコツ姿を目にしていた分、感動のハードルが下がっている。目が曇ってしまっている。ダメだヨエル。それは勘違いだ。彼女は辺境貴族家として当たり前のことを口にしただけなんだぞ。


「……ネストリ。クレア様は既に神殿におられる。セシリー殿一行を一刻も早くそちらへご案内するように……」

「……し、承知した」


 ビクビクとセシリーの挙動を気にしながらネストリも応じる。


「(……ネストリのバカっぷりはともかく、神子セシリーのこの警戒は何? まるで話を聞く気がないなんて……。まぁいい。別に私が自ら案内役を務める必要はない。ネストリに予定が前倒しになっていることが伝わればそれで良い)」


 結局、セシリーは迎えに来たというレアーナの手を取らない。頑なに拒絶する。当然に潜んでいるもう一人の存在……レアーナ五号にも気付いた上でだ。


 それはレアーナの後ろにファルコナー死の影を見たが故だったのか……。


 セシリー一行は、レアーナ五号の密かな見張りを引き連れて、改めてネストリの案内によりクレアの下へと急ぐことになる。



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 魔族領。大峡谷との境界よりもさらに奥。既に瘴気に侵された地。


 そこには外法の求道者集団。総帥の一味。


 何やらの報告をする者。

 浅黒い肌をしたエルフ族。細身の体型が多いエルフ族とは思えない、豊満な肉体を持つ煽情的な装いの女。


「……総帥。大峡谷の氏族たちを動かしました。これで盤上は最終局面です」


 報告を受ける者。

 血のように紅い瞳。腰にまで伸びた煌めく金髪を束ねた、気品溢れるヒト族の男児。その佇まいは上に立つ者の風格を纏う。


 外法の存在と成り果てた、初代マクブライン王たるザガーロ・マクブライン。


「そうか。……くく。しかし何だな。事ここに至っても、私はまだ〝物語託宣〟の呪縛が解けないようで自由には動けん。あのクレア女狐のように、役割が曖昧が故に好き勝手に動ける輩が妬ましいものだ」


 総帥は自虐的に嗤う。

 彼はクレアと違い、託宣が女神たち主導のものではないと気付いている。神々をも縛る〝物語上位存在〟を明確に認識している。定められた自らの役割も……。


『女神の神子たちと対立する者』

『尊き黒きマナを操る者』

『異端者たちを統べる者』

『神の顕現のための贄』


 ザガーロに割り振られた役割。立場。運命。


 彼はそれらを承知の上で、真正面から〝物語〟に抗う。我が身に絡みつく操り糸を、自らの意思と力によって手繰り寄せ……断ち切る。そして、まだ見ぬ〝物語〟の先へ行く。それが彼の願いであり通過点。


「……御大おんたいをはじめ、召喚の準備で動けぬ者も多いでしょう。動ける者の中では私が最大戦力のはず。この私が出向いて女神の神子を始末してきましょうか? もはや託宣の流れからは大きく外れていますし、召喚の術式についても、女神の神子は既に必須ではないのでしょう?」


 先ほどのエルフとは別の……初老の男が言葉を発する。見た目はまさにヒト族ではあるが、黒きマナ……濃密な瘴気の中で平然としている以上、ただのヒト族であるはずもない。


「……ふむ……確かにそうだな。こちらの手勢も減ってきている。わざわざ序列の低い者から順番にぶつける必要もない……か。くく。このような思考も託宣の縛りなのだろうな」


 男から声をかけられるまで、総帥は考えていた。


『弱い者から順番に出さなければならない』

『女神の神子一行と同数程度に調整しなければならない』


 まさにゲーム的。律儀で涙ぐましいバランス調整だ。


「……では?」

「あぁ。ここはロレンゾに任せよう。かつての弟子を存分に可愛がってやれ。何なら動ける連中は全員連れ立っても良いぞ。……ただし、神子を殺すのはなしだ。いや、より正確に言えば肉体という器を壊すな。精霊として顕現されると厄介だからな。召喚準備の片手間では流石に抑えられん。……生かさず殺さずが理想だな」

「……御意」


 静かに首肯する。彼の名はロレンゾ・オルコット。


 真っ当なヒト族の頃は、本家筋ではないにせよ、オルコット子爵家に連なる者であった男。


 神子たち……セシリーとダリルのかつての師。


 託宣と王国、ひいては教会の在り方に疑問を抱き、外法へと堕ちた者。ヒト族の異端者。託宣の神子を王国から連れ去ろうとした者。


 ただ、当時の彼は、何も知らされずに、王国と教会の操り人形となっていた哀れな弟子たちを……託宣という運命から救い出そうとしただけのこと。


 そこに邪悪な想いなどはなかった。それは今も同じ。


 彼自身は決してザガーロやその一味を肯定しているわけでもない。ただ、それ以上に王国や教会、神々への疑問……叛意が芽生えただけ。


 ザガーロと出会い、その活動を通じて、この世界が神々や上位存在に操られているだけにしか見えなくなった。神々のいない世界を望んだ。


 己の運命を知らず、ただ操られるだけの哀れな人形たちを解放する……そんな歪んだ正義が彼に巣食っている。


 それが自らに課せられた〝物語〟の役割だと知らずに。


 彼もまた哀れな操り人形に過ぎない。



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「……アル殿はかなり無軌道に暴れているようだな」

「はい。しかも、動きが早い上に隠形が見事です。節々にこちらに気を遣って気配を発してくれている様子がありました」


 ルーサム家私兵団のクスティ。

 彼はアルと別れた後、すぐさま前線へと赴き、アルの邪魔をしないように……と、詳しい経緯を含めて上役に進言した。結果として、ルーサム家私兵団はアルの動きを黙認することになったが……クスティはヴェーラ連れ去りの責任を感じ、アルを支援する形で動いていた。


「何体いるのか……神子セシリー殿にあのものが接触したようだな」

「はい。しかし、セシリー殿は全く意に介さなかったようです。一体は去り、一体は潜みながら張り付いているようですが……それすらも神子殿は承知のようです」

「……これまでの報告は偽り。クレア一派の者はおろか、見張りにつけていたこちらの手勢も完全に制していたとはな。一体神子殿に何があったのやら……」


 アルの言付けを果たそうとしたクスティは、並行して神子セシリーの動向を確認したのだが……はじめは意味が分からなかった。


 クレア一派の手の者に襲撃を受け、渋々に連れられて行ったと報告を受けていたのだが……クスティの部下が直接確認した時には、クレア一派の者は恐怖に囚われた素直な道案内となっており、軍団の見張りたちも完全に掌握されているという有様。


「現状、神子たちは主戦場となっている地域から少し外れた地点を目指しているようです。恐らく、クレア一派のアジトを目指しているのだと思われますが……如何いたしましょう?」

「完全に支配下に置いているとはいえ、クレアの手の者と同道している以上、アル殿と不意に遭遇しても不味い。事情を説明するために私が直接神子殿たちと合流する。当然にアル殿もクレアのアジトを目指すだろうが、最終的には瘴気に阻まれるだろう。伝え聞くところによると、神子であれば瘴気を物ともしないようだが……真偽は不明だからな。お前たちは引き続き各地の情報を集めつつアル殿を追え。彼に必要な情報を入手したならば、私に伝えるよりも先に……その命を賭してでもアル殿に伝えよ」

「はッ!」


 アルはキレた。ヴェーラ(とジレド)が攫われたことで……彼女を喪ったことで、彼は〝ニンゲン〟として目覚めた。どうしようもなく感情に左右される生き物として。


 その一方で、みすみす客人に危害を加えられたクスティたちもはらわたが煮えくり返っている。敵への怒りと自らの不甲斐なさに。戦士としてはとんだ恥さらしだ。


「我ら自身も、あの痴れ者どもも……絶対に許しはしない。戦士の誇りに懸けて、アル殿の復讐の完遂を見届ける。何人なんぴとにもアル殿の邪魔はさせん……ッ!」


 辺境の戦士としてクスティは誓う。アルのために動き続ける。



 ……

 …………



 アル。クスティ。ルーサム家。クレア一派。ザガーロ一派。神子セシリー一行。


 それぞれがそれぞれの思惑で動く間も、最前線や大峡谷内での争いは激化の一途を辿っていく。


 全体の動きとして、突発的な奇襲や情報の攪乱によりルーサム家が氏族連合やザガーロ一派に翻弄されたのは事実だが、何よりも彼らを苦しめたのは瘴気の拡がり。


 魔族領の奥深くから漂ってきていた瘴気が、大峡谷内部にいきなり発生したのだ。展開してた場所によっては、瘴気に挟まれて離脱もままならずにすり潰された部隊もいる。


 ザガーロ一派が、大峡谷内に長年に渡って仕込んでいた術式の発動。


 それにより、瘴気の中で十全に活動が可能なザガーロ一派に与した氏族連合は、動きの鈍ったルーサム家側を徐々に押していく。大峡谷が瘴気に侵蝕されていく。


 そんな戦場の推移を横目に見ながら、クスティは瘴気が濃くなっていく境界線上……最前線にほど近い場所にて、神子セシリー一行との合流を果たすことになる。


 チラチラと、敢えて自身の存在をアピールしてくるレアーナ五号にイラつきながらも、クスティは痴れ者への敵意を抑え、セシリーとの対話に臨む。


「神子セシリー殿。私はルーサム家私兵団、バライア軍団長補佐役のクスティと申す者だ。この度はアルバート・ファルコナー男爵令息への戦士の償いとして、貴殿の下へと参上した次第だ」

「……これはご丁寧に。私はセシリー・オルコット。オルコット子爵家に連なる者であり、不本意ではありますが神子などという名を背負わされています。……失礼ですが、アル殿への戦士の償いとは?」


 話をそのまま進めようとする神子ポンコツを制止するのはエイダ……と、ヴィンス。


「主たるセシリー。ダメだぞ? いくら当人に害がないとはいえ、ネストリやあのレアーナとかいうヤツの前で迂闊に話を進めない方が良い」

「その通りじゃよ。あのレアーナ殿はよく分らんが、ネストリ殿からクレア殿へは情報が筒抜けであろう」

「ん? 何のことだ?」


 ただ、言われても一瞬何のことだか思い出せないセシリーだったりする。


 考えるな、感じろ。そして忘れろ。記憶容量に空きができる分だけ脊髄反射が早くなるのだ(嘘)。


「……セ、セシリー殿。クレア様には、眷属から情報を引き出す能力があるという話を以前にしたと思うのですが……」

「! あ、あぁ、そ、そう言えばそうだったな!」

「ク、クスティ殿。私の名はヨエル。今はセシリー殿の従者の真似事をさせて頂いております。ここにいるネストリ殿はクレア様の眷属であり、見聞きした内容がクレア様に筒抜けになる恐れがあります。そのことを踏まえた上で発言して頂ければ……」


 訝しむクスティにヨエルが簡単に事情を説明する。従者というよりは、通訳なり介護者に近くなっている。


「……なるほど。だが、それについては問題ない。既に〝向こう〟も認識はしているはずだ。レアーナとかいう痴れ者の愚行により、我らルーサム家共々にアル殿と決定的に敵対したということはな……!」


 潜んでいるレアーナ五号に向けて、強烈な殺気を飛ばしながらクスティは語る。


 その様を見て流石のセシリーポンコツも察する。ルーサム家はともかく、アルとの決定的な対立とは……『クレア側が先に手を出した』のだと。


〝やられたらやり返す〟


 それはファルコナーの真骨頂。そもそも吹っ切れたセシリーは、アルの行動原理を(雑に)なぞって真似しているのだから……。げに不思議なのはファルコナーの感染率の高さか。


「クスティ殿、クレア殿側がアル殿に手を出したのか……?」

「厳密に言えば少し違う。直接アル殿に仕掛けるのであればまだ良かった。奴らは停戦のための〝交渉〟を偽装した上で、彼の従者と友をさらった。アル殿の怒りは如何ほどか……そして、それを止められなかった我らの不甲斐なさたるや……」


 クスティは語る。これまでの経緯と彼が神子セシリーの前に現れた理由を。


 復讐。手を出さなければ、アルはクレア一派を特にどうするということもなかった。だが、レアーナが……その妖しげな魔法により、複数の肉体を持つ者が手を出してきたのだ。


 結果として、クスティはアルの『神子セシリーを助けてやって欲しい』という言付けにより彼女の前に馳せ参じた。その上で、アルの復讐完遂を支援すると誓っているのだと。


 クスティは本気だ。それは当然のこと。何なら、アルの復讐を見届けた後、彼が望むのであれば、失態を詫びるために自らの命を差し出す覚悟もしている。


 そんな昏い決意さえ秘めた彼は、一連の経緯をセシリーに語った。語ってしまったというべきか。


 どうしようもなく、クスティは〝今〟のセシリーを知らなかったのだ。


 見張りとして、長らくセシリーのことを観察していた時期もあったのだが……彼女はもうその当時とは違っているのだと。


 戦士の誓いと悔恨を聞き、神子セシリー……〝物語〟の主人公たる彼女が導き出した結論は……




「クレア殿とはじっくりと〝〟必要があるなッ! まず手始めに……レアーナ殿からだッ!!」




 その日、大峡谷の最前線にほど近い地点で、気高き清浄さをたたえた白きマナの暴風が、周辺の瘴気を散らしながら吹き荒れたという。




 結果として、潜んでいたレアーナ五号はセシリーに意識を向けられていたためか、白きマナの暴風に曝され、塵も残らず滅することになる。はどこへいったのやら……。


 ちなみに、同じく死と闇の眷属であるネストリは余波だけで昏倒した。




 エイダは改めて思う。


「(あぁ、やはり主たるセシリーを揶揄からかうのはもう止めよう)」



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