第5話 目覚めた〝狂戦士〟

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 その場の誰もが不思議な感覚を共有した。


 まず、音が消えた。動くことはできない。


 ただ、誰もが動けなかったのだが、その動き自体は見えていた。


 アルが地を蹴り、酷くゆっくりと……レアーナの懐へと踏み込むその様。


 クスティも、彼の部下たちも、今まさに肉薄されているレアーナ自身も……アルの動きは、無駄なく洗練された戦士のものではあったが、その全容が見えていた。


 ゆっくりとだが、踏み込んでからもその動きは止まることはなく、まるで滑らかな水の流れのようにアルの掌打が放たれ……レアーナの腹に触れる。


 ぽんっ……と、本当に軽く触れたように〝見えた〟。


 動けないまま、ただ眺めるしかできずに打たれたレアーナも、その瞬間には特に痛みや衝撃を感じることはなかった。いや、ソレをというべきか


 これは何だ? レアーナはそんなことを思った。それが彼女の最期の思考。


 次の刹那、周囲の者に音が戻って来る。体が動く。


 何故かアルは


 そして、レアーナは消える。


 その場にはレアーナだったモノが少し遺っているだけ。


 血肉を……肉体をそっくりそのまま再現していた『本物の分身ドッペルゲンガー』ではあったが、グロテスクな臓腑ぞうふを晒すことはなかった。


 消し飛んだ。消失してのだ。弾け飛ぶではぬるい。


 アルが腹に打ち込んだ掌打を中心に爆散した。正確にはその辺に欠片は散らばっているのだが……目立たない程度に細かくなっている。


 静寂が周囲を包む。体の自由が戻っても、誰も動けないままの時間が僅かに通り過ぎる。


 その場に居合わせ、一連の流れを目撃したクスティにとっては、覚えのある体験であり感覚だった。


〝避けられぬ死〟に触れた感覚。俗に走馬灯などと言われる、死の淵に見るナニか。クスティは〝ソレ〟を戦場ではなく、軍団長級との模擬戦などで何度か味わったことがある。


 そのお陰なのか、まだ部隊の者たちが困惑する中、いの一番に我を取り戻したのはクスティだった。


「…………アル殿。まずは見事と言わせてもらう。よくぞあの痴れ者を討った。そして、ヴェーラ殿とジレドのことは……弁解の余地もない。私の落ち度だ」


 彼はその場で跪き、アルに対して頭を垂れる。生殺与奪を委ねる……相手に対して、命をもって償うという戦士の儀礼。


「な!? ク、クスティ様! 死の詫びは守護の任を受けた我らです!」

「ア、アルバート殿! ど、どうか我らの詫びを受け取って下さい!」


 上役であるクスティの態度に、混乱を脱して反応する部下たち。上役が命で償うという、また別の混乱が待っていただけでもあったが。


 静寂から一転、場が騒がしくなるが、アルはそんなクスティたちを意に介さない。


「クスティ殿の謝罪は受け取れませんね。もちろん、部隊の方々のもです。彼女に出し抜かれたのは僕も同じこと。……それよりも、先のことを相談しましょう」


 アルは傍目には平静なまま。オーガの勇者ギラルを葬った〝出し切った一撃〟すら超える一撃にも、まるで動じていない。遥か昔からのことのようにただ受け入れている。


 そんなことに気が回らない……それほどまでに


「(……はは。まさかな。本当にまさかだ。……ヴェーラを喪った……ただそれだけのことだ。確かに彼女を守ると……一蓮托生だと誓った。でも、それでも……今までだって散々に喪ってきた。多くの身内の死を見てきた。時には僕の手で〝慈悲〟を与えたことだってある。……何を今更という話だ)」


 アルの中では、守れなかったヴェーラは……敵の手に落ちた時点で彼女は既に〝死んだ者〟として処理されている。処理してしまっている。


 それは辺境の戦士……特に大森林の狂戦士ファルコナーとしては当然の考え方。


 だが……だからこそ。


「(『大森林で〝仇〟なんて口にするな』……とはよく言ったものだ。言葉も情も通じない、身内の命を幾つも奪ってきた昆虫どもではあったけど……アイツ等はただ生きているだけだ。生きるため、繁殖するだけに戦う……その有り様は時に〝美しい〟とまで感じることさえあった。……くくく。昆虫ムシケラどもを、ここまで〝憎い〟と思うことはなかったよなぁ……ッ!!)」


 それはアルにとって初めての感情。激情。


 守れなかった。自らの不甲斐なさ。無能さ。不注意さ……それらが憎い。


 ヴェーラを〝殺した〟奴等が憎い。


 死ですら生温なまぬるい。許せるものか。


 壊す。殺す。〝仇〟を討つ。己の憎しみのまま征く。止まらない。止まろうはずもない。


 ファルコナーは大森林の昆虫と同じマナの制御法を……〝技〟を持つ。そもそも昆虫どもにはヒトと同じ情動などない。ならばこそ、感情を抑制することでマナの静寂を保つ。結果として、ヒトでありながら、その性質が徐々に昆虫どもへと近付いていく。


 それはファルコナーの呪いであり、ある種の救い。ヒトのままで生きるには、大森林はあまりにも過酷な環境なのだから……。


 しかし、アルはそんなファルコナーの呪縛と救済を今ここで断ち切った。


「クスティ殿。僕はクレア殿たちの計画とやらを壊す。殺す。さっきのレアーナ殿でしたか? アイツはそれを嫌がっていたようですからね」

「……〝仇〟を討つのだな? それならば私も同道しよう。アル殿がどう言おうが、彼女等を喪ったのは私の落ち度に変わりはない」


 激情のままに復讐行動する。その情動は昆虫どもに非ず。それはの根源的な姿。


「はは。そのお気持ちはありがたいですが、この戦いは僕のモノです。クスティ殿に譲ることも、共有することもできません。もし、ヴェーラやジレドのことに責任を感じるのであれば……そうですね……神子であるセシリー殿たちを助けて上げて欲しいかな? クレア殿にちょっかいかけられているようですし……あ、それから、クレア殿に与する奴は誰であろうと僕の敵なので……気を付けるようにして下さい」


 淡々と告げてはいるが、そこにはアルの明確な拒絶があった。


「しかし……ッ!! ……くッ! ……し、承知した。私はルーサム家の者として、クレア一派と手を切る。それを他の者にも周知する。御当主にも必ずだ。その上でセシリー殿を助けると誓おう……!」


 クスティは引き下がる。引き下がらざるを得ない。己の失態を挽回するために、失態で迷惑をかけた相手の望まない動きをするなど……本末転倒でしかない。


 今はアルが求めることに唯々諾々と従うことが正しいのだと理解した。それは、決して多くの者が正常に判断できることではない。己の感情を優先してしまう輩の何と多いことか。


「ありがとうございます。クスティ殿。後は勝手にやらせてもらいます。最前線の方向は分かりますし、どうせ向こうからも仕掛けてくるでしょうから……あぁ、道中、ルーサム家に敵対行動を取る連中がいたら、問答無用で始末はしておきますよ。それじゃ……僕は征きます」

「……武運を祈る」


 アルはあくまでも平静なまま。そのマナは凪いでおり、表層に出てくるモノはない。


 しかし、クスティには分かる。そこには確かな怒りがある。憎しみが渦巻いている。その身の皮一枚下には狂気が覗いている。そして、根底には悲しみがある。


「(ジレドは正しかった。アル殿にとってヴェーラ殿はまさに…………。そんな彼女を喪ったのだ。アル殿のマナの静謐さと冷静さが、逆にその怒りと悲しみを現わしているようだ……)」


 今のアルは、ファルコナーというくくりを通り過ぎた先……憎しみと悲しみと狂気が混ざり合う……まさに狂戦士。


 レアーナはナニを起こしてしまったのか?



 ……

 …………

 ………………



 アルが駆ける。


 今の彼の視界は広い。周囲のことが手に取るように分かる。即座に判別がつく。

ルーサム家の敵対氏族ごく普通の敵クレア一派憎い敵。たまに外法の求道者集団どうでもいい敵だ。


 オーガ氏族の強襲部隊がいた。

 ゴブリン氏族の斥候たちがいた。

 使徒のなれの果て……死と闇の眷属がいた。

 黒きマナを持つ少し頑丈そうな、多様な種族の混成部隊がいた。


 誰もアルを止めることはできない。いや、大半はアルを認識していたかも怪しい。


「ゴバッ!?」

「ギャゥ……ッ!!」


 オークの戦士が〝砕ける〟。通り過ぎながらアルが軽く〝押した〟結果だ。

 ほとんどが『銃弾』の精密射撃による対処だが、進行方向にいた場合はさっさと駆け抜けることを優先している。


 ただ、ある時は、足を止めて正面から打ち合う場面も。


「……キサマはあの女狐クレアの手の者ではないナ?」


 リザードマンの戦士。その身は瘴気に塗れている。黒きマナを纏う者。その上で、全身を覆う鎧にその両手に持つ槍と盾……装備品にも何らかの術式がかけられていることが見て取れる。


「あぁそうだよ。黒いマナってことは……アンタは魔族領でルーサム家やクレア一派とやり合っている連中のお仲間?」

「……その通りだ。クレアの手の者でないなら、おとなしく去れば……」

「じゃあ死ね」


 ごしゃりと鈍い音がして、リザードマンの頭部が弾ける……はずが、敵も甘くはない。アルの拳の前に咄嗟に盾を差し込んだ。超反応ではあるが、それは本能的な危険察知……つまりは勘。


 ただ、結局は盾を貫通して頭部の半分を失う。当然に命も零れた。即死だ。


 しかし、そこはザガーロの……冥府のザカライアの神子の手の者。当然にその身に黒きマナが馴染んでおり、生物としての死がそのまま彼等の〝死〟ではない。不浄の者アンデッドとして、外法の存在として復活する。


『ガアァァッッッ!!』


 亡者として起き上がるリザードマン族の戦士。潰された頭部からジュクジュクと黒きマナが溢れ、失われた部分を修復……ではなく、別のナニかに作り変えていく。


『許さんゾッ!! ヒト族の分際デッ!!』


 憎き敵アルの姿を探すが、既に彼は先へ進んだ。いちいち『どうでもいい敵』に構っていられないとばかりに。


『クソッ! 総帥にお預かりした尊き黒きマナを無駄にゴバ……ッ!?』


 駆けながらのアルの『狙撃弾』。狙いこそ下手なままではあるが、今となっては気配を消しての発動もできるようになった。集中についても、『銃弾』より少し気にする程度で撃てる。


 哀れなリザードマンは、亡者として復活早々に頭部を完全に消し飛ばされてしまう。流石に術式を自前で用意していたわけではないため、二度目の復活はない。


 肉体という檻を失っただけであり、正確には滅したわけではないが、死霊となっても自力で動けはしない。所謂地縛霊のようなものへとクラスチェンジ。誰も助けに来ることはない大峡谷の奥で、延々とただ存在し続けるだけのモノ。そこには〝死〟という救済すらない。


 そんなエピソードをアルは大峡谷に撒き散らしていく。


「(……次は……あっちに反応があるな)」


 狂戦士は止まらない。最前線も近い。



 ……

 …………

 ………………



 誤算だった。


 正真正銘、間違いなく、完全な誤算。計算違い。


『どうしてこうなった?』


 ……と、自問自答しても、答えは唯一つ。


「レアーナ。我が妹にして我が腹心よ。お主は賢しいし、力もあるのだが……時に驚くほど馬鹿な失態をするな……くくく」

「……返す言葉もございません」


 最前線……を越えて既に魔族領。瘴気の影響のまだ少ない場所にクレアたちはいた。


 クレアは傀儡となったダリルを連れ、計画の詰めの準備のために移動していたのだが……そこにレアーナが現れた。感知される危険を冒してまで、空間転移……事前に設定した座標に跳ぶ……を使った上に〝客人〟まで連れてだ。


「興味本位に過ぎないが、確かにヴェーラとは少し話をしてみたいと思っていたが……くは。まさかこのような形になろうとはな」


 不測の事態、不確定なナニか、不意に訪れる者……そういう諸々にクレアは悪感情を持たない。むしろ、彼女はそれらを望んでいる節もある。


 部下たちの失態すら『なら次はどうするか?』と、既に起きた出来事や事象より、その先のことを考える。それは彼女に残された〝彼女クレアらしさ〟であり、根の部分にある研究者的な思考だろう。


 しかし、そんな姉の……クレアの性質を知るとはいえ、レアーナが開き直ることもない。ただ頭を下げるのみ。


「……迂闊でした。もう少し冷静に話ができる相手だと思っていました。実際に何があったかは分かりませんが……その後の彼の動き、相対した〝三号〟が戻らないことを踏まえると……既に破壊されたかと……」


 三号。アルやクスティと対峙していたレアーナの分身体。人体が爆散するという、稀有な体験の後にマナへと還った。情報を持ち帰ることもできないままにだ。


「当然にそうであろう。小僧の間合いとはいえ、レアーナがあっさりとやられたとなれば……近距離においてはビクターを斃した時よりも遥かに危険なようだ。……小僧の身に一体何があったのやら……かなり脅威度が増しておるようだな」


 その内容はアルを警戒するものではあるが、クレアの声は弾んでいる。その顔には美しくも厭らしい笑みが浮かぶ。


「……既に十二号まで全てを解き放ちました。使徒アルバートを必ずや眷属化して引き摺って来ます」

「くく。この失態に対しては、ただ殺すだけでは芸がない……か。生真面目なことだな。まぁ好きにするが良い。既に一度はレアーナに任せた案件だ。お主の差配により判断せよ」

「……ハッ!」


 今のアルはクレアの〝眼〟も掻い潜る。向かってきてはいるようだが、どこに行ったかはクレアたちも把握できていない。手の者を……死と闇の眷属を差し向けても即座に壊される。壊された眷属の位置から割り出そうとしても、アルの動きは無軌道で早い。秩序がない。予測が困難となっている。


 いざという時のための予備として置いていたレアーナの分身体も、ことここに至っては、〝本体オリジナル〟以外の全てを放出して対応にあたらせる。


「(……くっ! アルバート・ファルコナー! 何故にこのような真似を! まるで癇癪を起こしたガキじゃないッ!)」


 レアーナは分からない。自分の行動が引き起こしたことなのは承知しているが、何故にアルが〝暴走〟したのかが理解できない。


 もしこれが、王都の都貴族社会において暗躍していたネストリであれば……決してあの様な〝交渉〟はしなかった。その本質が戦う者である〈貴族に連なる者〉に……いきなり人質など愚の骨頂。もしやるとすれば、相手が逆らえない状況を先に作った上で、人質はダメ押しの補助としてだ。


 詮無きことではあるが……神子セシリーにレアーナを、使徒アルバートにネストリを向かわせていれば……クレア一派のその後は大きく違っていたのかも知れない。


 もはや戻ることはない。


 選択してしまった。まさに後の祭り。


 

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