第10話 ビクター

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 意識の混濁。記憶の連続性が途切れた。


 アリエルが次に気付いた時、彼女は何故かビクターに抱えられていた。


「ッ! な、なにが……ッ!?」


 目の前がチカチカと点滅する。

 ビクターは血を流しており、少し離れた場所には、車輪が壊れて横倒しになっている馬車。御者と従者も放り出されたのか倒れている。動きはあるが緩慢であり、アリエルと同じように混乱している様子。もしかすると怪我をしているのかも知れない。


 何らかの攻撃を受けた。ようやくアリエルは状況の認識に至る。


「……馬車に攻性魔法を受けて足を止められました。申し訳ございません。感知できる範囲の外からであり、防げませんでした」


 冷静で落ち着いた声色であるが、ビクターの纏う気配は苦々しい。相手に出し抜かれた事実に悔しさが滲んでいる。


 そして、“敵”に追い付かれた。


 陰に潜みながら馬車と並走して周りを固めていた人外の兵も、既に斃されている。死屍累々とはこのことか。


 幸いなことに、アリエル達の逃走ルートは事前にランブロー家が吟味していただけあって、未だに正規の騎士たちには勘付かれていない。攪乱の囮が良い仕事をしているとも言える。


 ただ、それ以上に現れた敵が不味いとビクターは判断した。


「(……侮っていたのはこちらの方だったか。これが“本当の”ファルコナーの狂戦士……まるで気配が読めん……ッ!)」


 虚ろな瞳。幽鬼のような存在の不安定さ。まるで感じないマナの流動。女神の力すら制御しているのか、ビクターはこの至近距離でありながら、生と光の属性を感知することも出来ない。反属性を持つ人外となったにも関わらず。


 よく見れば、その身はここへ辿り着くまでに負った手傷がある。出血の痕も多い。血塗れの衣類。しかし、その戦闘能力に支障があるとも思えない。


 死と闇の属性を纏う者たちよりも、ソレは濃密な“死”を体現していた。

 

 ビクターのそんな緊張を感じてアリエルは“敵”を見やるが……視覚の情報として相手を捉えることは出来るのに、その存在を感知できないという気持ちの悪さを感じる。


 大森林の深部仕様。まごう事無きアルの本気。この姿を前にして生きている敵は多くはない。


「ビクター殿。悪いが余計な問答はなしだ。いまの貴方がヤバい存在なのは承知している。情報を出すならそれで良い。聞かれたことに答えないなら死ね。……さぁどうする?」


 熱のない声色。しかし、何故かアリエルはその声には“不吉”と“死”が宿っていると察知した。声の主の気配を一切感じないのにだ。怖気を感じる。


「(……こ、これが辺境の……南方最強と言われるファルコナーの戦士……ッ!)」


 アリエルは、彼女が知っている“強さ”をアルから感じはしない。膨大なマナ量。纏う強者の雰囲気。滲む力量。そんなモノは目の前の者にはない。

 ただ、それが怖い。何も感じ取れない。気付かない間に殺されるかも知れないという恐れがそこにあった。もしかすると、自分はもう死んでいるのでは? そんな気すらしてくる。


「アルバート・ファルコナー。気に喰わない奴だと思っていたが、いまを持ってますますその思いが募る。……渡す情報などない。貴様こそ死ぬがいい……ッ!」


 ビクターの影が蠢くと同時に、ヌルりとその影から人外の兵が湧き出てくる。一種の召喚魔法。

 ただ、それをただ待つほどにアルは甘くない。影が実体化するか否かという時点で、正確に影達の頭部が弾ける。容赦のない『銃弾』の連射。


 撒き散らされる血飛沫と人外の断末魔。


 辛うじて『銃弾』を掻い潜って実体化した者が順次襲い掛かるが、近付いただけで千切れる。その身が。遠目からでもその動きを認識できない程の速度。アルの方が人外よりも余程に人外らしい。悪鬼羅刹。


 兵の召喚と襲撃が一段落したのを見て、ゆったりとアルはその歩を進める。狙いはビクターのみ。


「……アリエル様。何体かこちらの手の者も付けます故、無事な従者や護衛と共に貴族区を抜けて下さい。民衆区のセーフハウスに避難し、準備ができ次第に王都を脱して頂きたい」

「……はい。ビクター殿、ご武運を」


 アルの虚ろな瞳には今のアリエルは映っていない。それを理解しつつも、彼女を逃がす為にビクターが隙を見せることはない。


 その身の内に恐怖を抱きながらも、周りを供に囲まれて闘争の場を脱するアリエル。

 彼女は予感していた。両者の戦いの結果がどうであれ、ビクターと共に王都を脱することはないと。この戦いの両者が、お互いに無事でいられる筈がないだろうと。


 この場に想いを残して離れていくアリエル。アルも敢えてこの場では彼女を追撃はしない。


 残されたのはビクターと人外の兵。そしてその上を征くだろうアル化け物


「(……アリエル嬢の気配は覚えた。民衆区においてはそれなりに目星もつけてある。ビクター殿を拷問に……と思ったけど、流石にこれは無理か。普通に難敵だな。ま、あとは殺すだけか)」


 ビクターから情報を引き出すことが出来ないなら……次。それだけ。事前の優先度に固執することはない。変更する。


 そもそも、先の『狙撃弾』は馬車ではなくビクターを直接狙ったのが外れた結果。

 致命傷を与えないようにと、加減したのが間違いだった。


 一番有利な初動でミスをした以上、アルは開き直るしかなかっただけ。覚悟を持って追ってきたは良いが、まるで締まらない話。


 相対するビクターはそんなアルのミスなど知らない。まさか開き直りで死闘を演じることになるとは。


 ただ、たとえどんな経緯であっても、もはやどちらかが死ぬだけだとお互いに覚悟を決める。


「(クレア様にはお叱りを受けるだろうが……コイツはここで確実に殺す……ッ!)」


 先手はビクター。彼は気付いている。いまのアルに対しては攻め続けないと即座に殺られると。守勢に回る余裕はない。


 唐突にビクターの気配が揺らぐ。

 アルは目の前にいるにも関わらず、その姿を見失うという、まさに他者がアルに抱く印象を実体験することになった。


 ラウノを上回る深き隠形。ビクターはまさに彼の直接の師。


 王家の影は基本的に市街での単独の戦いを想定している。暗殺などの裏仕事にせよ、護衛という晴れ舞台にせよだ。隠形による攻勢と守勢が彼等の本領。魔物との戦いよりも対人戦に特化している。

 辺境と王都という環境や方向性の違いはあれど、その求める能力は、奇しくもファルコナーの大森林の戦いと一致していた。


 クレアの契約者。人外となっても彼の戦い方は変わらない。己が信じる力を振るうだけ。


 アルとビクター。

 お互いの戦闘スタイルの基本は一撃必殺、一撃離脱。

 どちらかが死ぬまで、一瞬の攻防が繰り返される。


「(……まさか栄えある王都の貴族区で、大森林方式の戦いが待っているとはね。人生ってのはつくづく分らないモノだ。出来れば情報を引っ張りたいけど……ビクター殿はそんなに甘い相手じゃない……か)」


 だらりと自然体で構えるアル。

 周囲には濃密な死と闇の属性の気配が漂っており、ビクター単体の気配を追うことは諦めた。恐らく数手を凌げばその癖や気配を感知できる。しかし、そこまで長引くとも思わない。

 戦闘スタイルと力量がある程度拮抗する以上は、その結末は一瞬で訪れると知っている。


 そんな状況下で、情報を得られるように敢えて致命傷を避けるという芸当は……流石にアルにもできない。

 単純に魔道士としての総合力、特に対魔道士戦の経験においては、ビクターの方が上だという認識もある。手心を加える余裕などない。


 不意に真正面からの奇襲。


 ビクターの貫き手が胸元に迫る。

 咄嗟に躱す。危険過ぎて防御は間に合わない。

 反撃……も間に合わない。既にビクターは消えた。気配を探すが感知もできない。


 静寂に包まれた場。魔道騎士や貴族家の私兵の怒号が遠くに聴こえる。


 アルは『銃弾』を機雷のように待機状態で周囲に展開して流動させているが、それらを避けてビクターは踏み込んできた。完全に見切られている。


 既に周りに動く者は居ない。人外達も斃れ伏し、アルとビクターの一騎打ちの様相。


 静寂の戦場。


「(ビクター殿が恐ろしい魔道士なのは確かだが……やはり負ける気がしない。初対面の時からずっと感じていたけど、何なんだろう? むしろ明らかに実力は劣るけど、ラウノ殿やヴェーラにヴィンス殿……いっそコリンの方が怖いと感じる……?)」


 緊張感はあるが、平静なままのアル。ビクターに感じていた違和感を改めて実感している。

 命のやり取りをしている最中とは思えないほどの思考。普段ならこんなことを考える筈もないのに……と、浮かび上がってくる想い。


 勿論、そんなアルの内心などお構いなしに事態は動く。


 唐突に背後から二体の人外の兵が迫る。離れた位置への召喚魔法の気配すらビクターは消して見せた。

 先ほどまでの召喚は謂わばフェイク。アルには決して出来ない芸当。


 ただし、それでもアルは動じない。冷静に展開している『銃弾』を起動して人外の兵を屠る。


 そして、その一瞬の間隙を縫ってビクターが仕掛けてくることも読んでいた。死角から踏み込んできての、深い一撃。


 もはやただの勘。気配の感知や目視などの領域ではない。アルは死角から踏み込んでくる者を目掛けて裏拳を放つ。


 手応えあり。潰れる人体の感触。頭部を壊され、撒き散らされる脳漿。


 ビクターに非ず。人外の兵による変わり身。フェイク。一撃を放ちアルの身体が流れた。更に隙が出来る。


 この瞬間。コレがビクターの狙い。


 アルの隙を目掛けて踏み込むような真似をビクターは選択しなかった。

 更にその死角に回り込み、距離を置いての攻性魔法。


 手の込んだ魔法ではない。基礎魔法である無属性のマナの矢。魔法を習い始めの者が初期に覚える、まさに基礎中の基礎の技。


 十数本の矢が壁となってアルに迫る。


 その瞬間。アルは謎が解けた気がした。ビクターに負ける気がしなかった理由。


 読めていた。

 自分ならこうするだろうという既視感。


 迫る魔法が到達するよりも早く、身体を横にして急所を守りながらマナの矢をその身に浴びる。

 基礎魔法とは言え、一級の遣い手が放つ魔法に違いはない。受ける範囲を最小に抑えたとは言えども、ダメージは大きい。腕、肩、足、脇腹等々。その身に食い込む数本の矢。


 そして、防御とほぼ同時に起動した『銃弾』がビクターの右腕に多重に着弾して千切る。

 茫然とするその顔。自分の手が読まれていることを想定していなかった。


 そのツケ。相打ちというにはあまりにもな深手をビクターは負う。


 本来はここで勝負あり。しかし、アルは止まらない。ビクターが動揺を鎮めて深い隠形を発する前に一気に懐へ駆ける。

 やはりアルの本領は体術。より確実な一手を選び取る。自身の痛みやダメージなど後回し。


 思考の隙間に気付き、ビクターは咄嗟に隠形を纏うが……僅かに遅かった。刹那の差でアルの踏み込みが早い。


 目が合う。


 間に合わないと見てビクターの前蹴り。アルは躱さず、真っ向から脛の辺りを手刀で切断して更に自由を奪う。

 バランスを崩しながら、それでも尚、隠形を発動するビクター。逃がさない。


 ふと、アルの中で情報を引き出すという欲目が浮かぶが、それを無理矢理に掻き消す。


「(終わりだ……ッ!)」

「(……舐めるな……ッ!)」


 すわ決着か? その一瞬の攻防。


 ビクターの決死の反撃。


 足元に発動したマナの剣が、踏み込んでくる者の首を狩る角度で射出されるが……虚しく空を切る。アルを掠めもしない。


 致命の一撃を放つと見せかけて、アルは一気に後ろに下がっていた。本領である体術を手放す形。


「ッ!? なッ!!?」


 アルは冷静に、下がった位置から『銃弾』の雨をビクターに浴びせる。これで終わりだと。


「……ッ!!? ッゴごッ……ばッ……!?」


 その身を『銃弾』にてズタズタに引き裂かれるビクター。流石の人外であっても、至近距離であればその肉体強度のみで耐えられるモノでもない。


 ただ、当然に手加減はしないものの、アルに欲目が出たのも事実。


 ビクターのその身の六割を襤褸布ぼろぎれにすることになったが、念のため、本当にもしかしたら……程度で彼は頭部は壊さずに残した。



 ……

 …………



「……で、まだ生きているんですか?」

「ごふ……ッ……こ、このす、姿で……生きているか……だと……?」


 ボロボロの肉片。そんな状態。両腕もない。腹から上だけ。そこから下はもはや判別が付かない。頭部だけは辛うじての姿を保っているという状況。ある意味では死者との対話。


「いや、死と闇の眷属はタフさが専売特許なんでしょ? 追手の中には首が千切れても動いていた奴もいましたけど?」

「……わ、私は……ま、だ……新米だ。そこまでの……人外ではない……ごふッ!」


 そうは言いながらもビクターはまだ意識を保っている。言葉が出にくいのは、ただ血が喉に絡んでいるためという人外仕様に違いはない。


「……それで? 何が……知りたい」

「やはりビクター殿は話が分かるヒトだ。……まぁ時間もないようだし、質問しようかな。クレア殿の目的は何? 次に何をする?」


 アルはビクターに負ける気がしなかった。それは彼を見縊みくびっていたからではない。その実力を正当以上に評価しながら、それでも尚、ビクターのことが嫌いになれず、負ける気もしない。


 ビクターの思考がアルと似ていたから。先が読み易かった。


 特にその戦いにおいては合理的な組み立てがあった。自らを危険に晒すのを最小に抑えるという戦法。アルからすれば当たり前だが、この世界の魔道士はファルコナーに限らず脳筋が思いの外多かった。


 ビクターの戦いを目の当たりにしたことはなくとも、アルは心の何処かでずっと彼を似ていると感じていた。その事に気付いた時が死別のときだっただけ。


 アルとビクターの両者は似ていたが、当然違いもある。


 それは、自分のことを信用しているかしていないか。

 アルは自らをまるで信じていない。自分が最強などとは思ってもいないし、その戦い方が完成形だと考えたこともない。


 一方のビクターは自負があった。自らの力量と経験、その思考に。それがアルに対しての同族嫌悪となっていたのかも知れない。

 もっとも、ただ単に彼のことが嫌いだっただけという可能性も高い。


 すべては一方的なアルの想像に過ぎない。


 ただ、アルが初対面の際にビクターに脅威を感じなかったのは、その身を蝕む死病の影響が大きいというのもあった。

 死中に活を求めるという戦士ではなく、生を手放した者の諦念を感じ取っていた故。当然の事ながら、そんな事情をアルが知ることはない。この先も。


「……き、貴様が何を求めている……のか、知らんが……ク、クレア様……は、この世界の安寧を……求めている。……理不尽に、超越者に踏みにじられない……世界を……だ。ヒト族……貴族も平民も、魔族も……亜人族も……不浄のマナを纏う者でさえも……生きられる世界……だ。神々からの解放……」


 ビクターはクレアの願いを語る。

 アルはそれを無感動に聞く。それはそれは御立派なことだと、聞き流す程度。


 そもそも、超越者であるクレア自身が他者を理不尽に踏みにじっている事実はどうなんだと。


「……うん。解かったよ。貴方に聞いても意味がないことがね。やはり、ある程度客観的に話ができるだろうアリエル嬢に聞くべきか」


 ビクターが語るのはただの理想。恐らくはクレアの最終目的であり、それはアルの知りたいことではない。知った所でどうということもない。


 クレアが王国の民に被害を出さず、その理想を叶えるというなら、アルは諸手を上げて歓迎はする。手の者を殺したことを詫びもする。だが、王国を荒野に変えて目的を目指すなら、徹底的に邪魔をする。


 人外や権力者の語る大局とやらには興味がない。アルが望むのは目先の民の安寧。


 ただ、それを死の眠りに抱かれつつあるビクターにぶつけることもない。ぶつけたところで意味もないと分かっている。


 余裕があれば……死に逝く戦士の今際の言葉を聞き届けるのは、看取った側の戦士の務め。アルには十分過ぎる程にファルコナーの流儀が染みついている。


 彼の中ではアリエルを捕らえる事など些事に過ぎない。慌てる必要もなく、一連の“戦い”は終わったと判断していた。


「ビクター殿。他に言い遺すことはあるか? 少なくとも、クレア殿にその言葉を伝えることは出来るかもしれない。彼女とは相まみえる予感しかないからね」

「……ごは……ッ! ……で、では……伝えてくれ。わ、私は……満足だったと……あと……申し訳ない……と……」

「分かった。必ずとは約束できないが、可能な限り伝えるよ。……止めは要るか?」


 もはや長くはない。というよりも、今ですら意識があることの方がおかしいような状態。


 ただ、静かにビクターは首を振る。止めの必要はないと。


「……も、もう、既に死に抱かれている……こ、このまま……微睡みながら……逝かせてく……れ……」


 いっそ安らかにビクターは目を閉じる。


 アルもそれ以上に言葉を発することはない。ただ、貴族式の礼を取り、静かにその場を後にする。


 あちこちが痛むが、それでもアルはまだ止まらない。


 アリエル・ダンスタブル侯爵令嬢。

 

 本命でありながら、事実上の後始末が待っている。



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