大乗仏教的なキリスト教

このところ、月イチで放送しているEテレの

『こころの時代』のなかの、

「無宗教から開く扉」というシリーズを

観ています。


先週5月19日が第3回目だったんですが

内容は、『歎異抄』についての放送。

法然とか、親鸞とかがとなえた

「念仏」についての初心者向けの

お話です。


わたしは無宗教ではありませんが

婚家の先祖が『浄土真宗』で、

義母は仏壇にいつも、

般若心経と念仏をとなえ、

お願いごとをしているので、

ちょっと関心が出てきたわけ。


夫が休んでいたときにこの番組を観ていたら

「クリスチャンのきみが

こんな番組に興味を持つなんて」

と驚きますので、


「だって、『善人なおもて往生す

いわんや悪人をや』ってとこ、

キリスト教とも共通点が

ありそうなんだもん」


と言いました。

キリスト教には、悪人も悔い改めて

イエスを信じれば救われる、という

教えがあります。


で、そう言ったところ、

夫は、「だけど浄土真宗は

大乗仏教だろー?」

って。


その言い方の「なにか」が

わたしに刺さりました。

大乗仏教とキリスト教に

共通点があるとしたら

小乗仏教(真言宗)を信じる

夫とわたしには

あまり共通点がないってことになる。


宗教が違うってことは

育った文化が違うってコトで

それは意外と、根深いんです。


具体的には、たとえば日本でも

香川のある地域だけの風習で

豆腐をいったん茹でて

冷やしてから冷や奴にするのがふつーで

東京の嫁さんが

それをしなかったと言って

「まずいメシを食わされた」と

2ちゃんサイトにぐちったら

ボコられた話がありますが


自分の常識が人と違うということが

わかってないと、それだけで

違和感を持ち、排他的になるのは

ありがちなことなんです。


だから、「大乗仏教だろ」って言った夫の言葉に

わたしは不安を感じました。

夫にとっては、小乗仏教が常識なのだろう。

そういう場合、大乗仏教的なわたしの宗教は

彼にとってどういう位置になるのかな。


宗教って、やっかいですね。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る