たかがお話じゃないか

SSnoteでちょっとしたお話を作ってます。

その際、読者からご指摘を受けました。

つくった作品について、その影響を考えて欲しい、という

単純なものでした。


その作品では、オオカミさんが悪者になってます。

そのためにオオカミが絶滅したり

鹿などが増えて食害があったりするので、

もうちょっと考えてーというのでした。


物語には、力があるという考え方があります。

『ああ無情』は、罪の軽重によって刑の重さも変わるという

社会的な影響を及ぼしましたし、

『アンクルトムの小屋』は、

アメリカの南北戦争の遠因になったといわれ、

リンカーンが作者のストー夫人に

苦言を呈したという話もありますね。


だから、人は物語を欲するのでしょう。

自分を変え、社会を変え、

さらに世界を変えるために。


しかし、いっぽうで、人間というものは

根本的には変わらないという

考え方もあります。

親鸞などは、その立場に立っていて、

自分で努力すれば救われると思っている善人が救われるなら

救われない悪人も救ってくださるのが阿弥陀さま、という教えを

説いています。

自助努力を放棄して、

阿弥陀からの救いを信じる。

それが、浄土真宗の教え。


その立場から言うならば、

根本的に人が変わらないように、

物語が人を変えることはあり得ないってことになる。

たかがお話じゃないか、と太宰治は言ったそうです。

お話の力は、そんなにも無力。


ただ、親鸞の説法も、お話めいているところがあり、

親鸞自身もまた、お話に支配されているところがあるな、と

思うこともあります。

ときどき、「阿弥陀さま以外は信仰しなくていい」

なんてことをきくと、

浄土真宗って一神教なのね~

なんて思ったりもして


ひとつのお話で、人生が変わることもある。

お話で人生を変えられた経験、みなさんありますか。

わたしは、あります。

現実を見据えつつ、現実を超えていく。

文章には、そんな力があると、わたしは信じます。


ま、わたしの場合は、読んでくれる人はほとんどいないけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る