義母に言わないこと(パート2)

義母は、仏教徒なので、仏壇にお経を上げ、夫の心臓手術の成功や、

わたしの風邪が治ったことを仏さまに感謝します。

わたしはまったくスルーします。

彼女が亡くなったら、わたしは仏壇を処分すると

夫に言ってあります。


だってわたしは、仏教を信じてない。

信じていない人間がお経を上げるなんて

死者への冒涜だと思う。

お経を上げない仏壇は、不要。

ゆえに処分します。


と、夫に言うと、

「でも、家の宗教は尊重して欲しい」

と夫は言います。

「我が家の宗教は浄土真宗だから、せめて花ぐらいは替えてよね」


「ああ、だまされた」

わたしは言いました。

「あんたが、宗教は個人のものだって言うから結婚したのに、

先祖の宗教を押しつけるなんて」


 夫は困ったようでした。

「押しつけるんじゃなくて、尊重して欲しいってだけだよ。

たしかにお経を唱えるのはハードルが高いだろうけど

花ぐらいはいいだろう?」


花だけ替えてたら、「尊重」したことになるんかい。

あんたの宗教観って、その程度のものなのかね。

もっとも、宗教というものは死んだ人のものじゃなく

生きている人のものだから、

花で済むなら別にいいけどね。


あなたの先祖代々の墓には入らないと夫に言いました。

子のないわたしたちは、だれかの先祖になることがない。

それにキリスト教は、個人と神の契約信仰ですから、

先祖がどうのというのとは、

本質的に相容れない。


それなら樹木葬にしよう、と夫は言いました。

自分もとなりに葬られたい。

無信仰の墓なら、いっしょでもいいだろ。

……仏教徒でしょ、あんた。


そんな口論を通じて考えたことは、

こういうことは、義母には言えないなあってこと。

義母の死んだ後にどうするなんて話したら、

彼女を悲しませたり、当惑させたりするでしょう。


キリスト教は、世界宗教ですが

日本的な風習には、なじめない部分が多い。

遠藤周作が苦労したのは判る。

はぐれクリスチャンとしては、

仏壇に花を替えるぐらいはするべきかも。


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