小説家の責任?

わたしは、FBで無料講座を受けていたときに、

性格がびょーきだと先生に言われましてね。

あんまりなので、縁を切ったんですが……


考えてみると、完璧な性格の人っていないんですよ。

そういう意味では、わたしも欠陥を抱えた

ひとりの女性に過ぎない。


縁を切ること、なかったかも。

ただ、小説を書く上で、

「性格の設定」ということを

考えると、これはけっこう、

深いモノがあるかもしれないと

思い始めているところ。


つまり、たとえば、主人公A子さんは

血液型がA型なので、几帳面で細かいことにこだわる、

なんて設定したら、

それは作者の思い込みでしかなく、

血液型と性格には、なんの接点もない……

なんてことは、よくあることです。


じゃあ、どうするか。

血液型がダメなら、星座占いがいいのか。

占いなんてアテにならない。いい加減な設定になるかも。

家庭的な背景はどうか。

A子さんは、シングルファーザーの子どもだから

ファザコンで甘えっ子……

それは一方的な決めつけでは?


もちろん、小説というのは

ある程度の誇張はあるものですから、

きっぱり、すっぱり、

決めつけてもいいんでしょう。

むしろ、その方が、話がスッキリする場合がある。


実際、『カラマーゾフの兄弟』なんかは

こんな人、ホントにいるのかってぐらい

個性的な人たちが出てきます。

そうすることで、近代ロシアの現実を

あぶり出しているわけ。


でも、わたしにはどうしても踏ん切りがつきません。

人を自分のものさしで

はかるってことだから。

自分がこうだと人を決めつけた責任を取ることが

出来るかどうかが、不安です。


いやいや、ホンネを言うならば

設定をする意味がわからないということです。

他人より自分の方に関心が向いてるわたしだから、

設定通りに人物が動かないんですよね。


要はセンスがないって話です。


作家には責任がある。

だから書くのが怖いんだ、と言うそばで


エッセイ日記に、

身近な人をネタにして、書いている。

自分のものさしで、人を書いている。

責任なんて逃げ口上じゃん。

くだらん。


設定できない、その才能がない。

いいかげん、認めろよな、

自分。

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