第86話 ……何となく察したよ

「弟子くーん」


「はいはい。何ですか?」


 お昼前。そろそろ昼食の準備をしようと、僕は椅子から腰を上げました。丁度その時、師匠の部屋から僕を呼ぶ声。僕が部屋に入ると、そこには、ベッドの上で上半身を起こした師匠の姿。


「汗で体ベトベトになっちゃった」


「あー。まあ、風邪で寝てたらそうなりますよね。待っててください。今、新しいパジャマ出しますから」


「うん。ありがとう。でも、その前に……」


「その前に?」


「体、拭いてほしい」


 …………


 …………


 体を拭く? 師匠の体を? 僕が? 


 それはつまり……師匠の……裸を……。


 …………


 …………


「い、いやいやいや。それくらい、自分でやってください!」


 頭の中に浮かんだ映像を吹き飛ばしながら、僕は師匠に向かって叫びました。


「でも、私、病人だし」


「病人でも体を拭くくらいはできます!」


「むう……やってほしい」


 唇を尖らせる師匠。どうにも不満げ。何でそこまで……。少しは僕の気持ちも考えてほしいものです。


 僕と師匠は、しばらくの間、体を拭く拭かないのやりとりを繰り返しました。


「と、とりあえず、お湯とタオル持ってきますから、後は自分で……」


「弟子ちゃん、何やってるの?」


 突然、僕の背後から聞こえた声。思わず振り向くと、そこにいたのは、一人の女性。青色の三角帽子。軍隊のような制服。整えられた綺麗な短い黒髪。


「ゆ、郵便屋さん!? い、いつの間に?」


「ついさっきだよ。玄関ノックしたのに返事がなかったから、勝手に入っちゃった」


「そ、そうなんですね」


 全く気が付きませんでした。郵便屋さんは、気配を消すのが上手すぎます。いや、もしかしたら、僕が、師匠の言葉に相当混乱していたからなのかもしれません。まあ、なんにせよ、助かりました。


「ゆ、郵便屋さん。実は、師匠が風邪をひいてまして」


「へー。珍しいね」


「それで、今から体を拭こうって話になってるんです」


「ふむふむ」


「でも、師匠が……僕に……」


「……何となく察したよ」


 郵便屋さんの生暖かい視線が、僕に向かって注がれました。

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