第6話  緋月

その日の夕焼けはいつもよりも朱く、夕暮れの空を染めていた。

結子ゆうこは夕飯の仕度を終えて、リビングのサッシを開けた。少し暑さが落ち着きつつある少し生温い風が部屋の中へ入ってくる。それでも昼間の暑さを思えば涼しく思った。


結子は夕焼けに染まる庭を見ながら、ふと、懐かしい男性のことを思い出していた。

夫の誠司せいじと結婚する前に付き合っていた男。

身を削るほどの恋だった。

お互いに傷つけるつもりはなかったはずなのに、傷つけ合い離れてしまった。相手には家族がいたから。

それでも愛していた。


誠司と結婚してからも、ひとりになると時々思い出す。どこか誠司に対して後ろめたさを感じながらも、この想いは誰にも話したことはない。

辛くて苦しい恋の想い出は甘く麗しく、そしていつまでも心を離さないものだと、結子は思っていた。

夕焼けはどこかノスタルジックな気持ちになるものだと、自分に言い訳をして。

夕日も落ちてきて、家の中も薄暗くなってきた頃、玄関のドアが開く音がして、「ただいま〜」と誠司の大きな声が聞こえた。結子は慌てて懐かしい想い出を心にしまい込んで、玄関へと向かう。

「おかえりなさい。今日はずいぶんと早かったのね。まだ子どもたちも帰ってきていないのよ。」誠司の鞄を受け取りながら、いつもと変わらない口調で喋る。

「今日も暑かっただろ?出先から直帰してきた。ビール、飲んでもいいかな?」と、言いながら冷蔵庫から缶ビールを手に取り顔のあたりまで缶ビールを持ち上げて見せた。

「どうぞ」と結子は呆れたように笑いながら言った。

グラスを2つ持って来て、「おまえも一緒に飲まないか?」と、誠司が誘う。

「ふふっ、いいわよ。共犯者ってことで。」結子は少し意地悪く笑いながら、テーブルに着く。

「共犯じゃないよ、人聞きの悪い。ひとりで飲むより一緒に飲んだほうがいいだろ?」誠司が缶ビールを開けて、2つのグラスに注ぐ。泡がグラスの大半を占めて泡がおさまるのを待ちながらまた少しずつグラスに注ぐ。綺麗に泡とビールが2:8になるまでゆっくりと注ぐ。

誠司はビールを注ぐのがとても上手くて、黙ったままビールが注がれるのを見ていた。

誠司の納得の行くビールになったところで、ふたりで乾杯をした。


誠司はゴクッゴクッと喉を鳴らしてビールを飲み干して「ぷはーっ美味いっ!!」と鼻の下に白い泡をつけて大袈裟に言う。


その顔を見て結子が笑い、

「白い髭が付いてるわよ」と言うと、誠司は目線を自分の口元に向けおどけて「あれ?あわわ~」と言うと、ふたりで笑いあった。


すっかり外は暗くなって来た。

玄関のドアが開く音がして、今度は中学の部活を終えた娘の絵梨花が帰ってきた。

靴を脱ぎながら、「お母さん!今夜の月は赤いよぉ、赤い満月だよ!」と興奮気味にしゃべっている。

誠司と一緒にビールのグラスを置いて、玄関から外に出ると空の低い位置に重そうな緋い月が見えた。


誠司が「本当だ、赤い月だね。」と大きく見える緋い月を見て言った。

「本当に。今日の夕焼けを写したように緋くて綺麗。」結子は誠司の右腕にしがみつくように両腕を絡ませて、誠司の腕に頭を寄せて言った。

誠司は横にいる結子を見ながら言った。

「おい、酔ってるのか?」

そう言うとまた月に顔を向けた。


結子は誠司の腕に掴まり寄り添いながら、この人と結婚してよかったと思っていた。















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