第5話 白木蓮
北国の春は遅い。根雪が解けて花が咲くのは4月も末に、足元にクロッカスが互いに寄り添い咲き出す。
この季節になると淡い想い出が蘇る。
あれは、ライラックの蕾がやっと膨らんで来た頃、同じ会社で付き合い始めたばかりの2歳年下の彼女と軽く飲みながら食事をして、春の風が柔らかく吹く夜の街をふたりで歩いていた。
しばらく取り留めもない話をしていると、繁華街から外れて人気も無くなり、民家が並ぶ住宅街を歩いていた。
頼りない街灯が間隔を長く開けて灯っている。
そんな道をふたりで話しながら当てもなく歩いていたら、少し大きな公園の入り口が見えた。
せっかくここまで来たのだから、公園も歩こうと、彼女の手を取り公園の入り口に進んだ。
まだ、公園の木々は新緑の頃、葉も小さく夜の公園でも街灯の光りが行き届き明るい。
公園の遊歩道は煉瓦が轢かれ整備されていて、雪がまだ道の脇に塊で残っていた。
公園の真ん中には池があり、遊歩道は池をぐるりと囲むように作られていた。
池には丸く太った月が風に揺れる水面に朧気に浮かんでいる。
しばらく手をつなぎ、ふたりで静かに歩いて行くと、池のそばに白く浮き上がって見える白木蓮の木があった。
その木のそばに着くと、大きく枝を横に上にと広げた白木蓮の花が、月に恋い焦がれるように手を伸ばして咲いていた。
それに応えるように、月は惜しみなくその光りを白木蓮に注ぐ。
月明かりを浴びた白木蓮は、
幻想的な風景で、月が演出した舞台を見ているようだった。
彼女と私はしばらく白木蓮を見上げていた。
白木蓮の甘く爽やかな香りが辺りに漂い、ふたりを酔わす。
繋いでいた手は、自然と強く硬く結んでいた。
そして、お互いの気持ちが一つに重なった。
彼女は私に向かい顔を上げ目を瞑る。
私は彼女を抱き寄せて、その唇に触れる。
月明かりの下、白木蓮の香り漂うなか、彼女と初めてのキスをした。
白木蓮の甘い香りの、キスをした。
その時の彼女とは、残念ながらその後別れてしまったが、今でもあの月夜の白木蓮の香りは忘れられずにいる。
この季節は白木蓮が咲く頃になると、ふと淡い想い出が蘇る。
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