年明けこそ鬼笑う

増田朋美

年明けこそ鬼笑う

年が明けて、穏やかな三が日も過ぎて、再び日常な世界に戻って行くことになるのだと思われる、そんな日であった。何故か、そうなると、みんな嫌だとか、お正月が続いてほしいとか、そう思ってしまうものだけど、中には、お正月というものは嫌だなあと思ってしまう人もたまに居るのである。

ここに居る今西由紀子もそうだった。できるだけ、長く水穂さんのそばにいてやりたいと思う。それができる正月休みは、嬉しいんだけど、水穂さんが目の前で、咳き込んでいるのを見ていると、早く正月なんて、終わってくれれば良いのにな、と思って居るのである。

その時も、水穂さんが目の前で咳き込んでいた。ただ咳き込むだけではなく、内容物も一緒に出てくる。それを、背中を叩くなりして、吐き出させるのを助けることが、必要になってくる。由紀子は、水穂さん大丈夫、苦しい?などと声をかけてやりながら、水穂さんが、吐き出しやすくするために、背中を擦ってやるのだった。吸引器を使用するという手もあるが、由紀子は、それはしたくなかった。そうすると、余計に苦しそうな顔をする事もあるからだ。

由紀子が、ああほらほら、と言いながら、水穂さんが中身を吐き出すのを、手伝ってやっていると、玄関の引き戸がガラッと開いた。由紀子は、その相手は杉ちゃんのすることだと思っていた。すぐに、杉ちゃんが、台所から、玄関に向かっていく音が聞こえてきたのであるけれど。

「ただいまあ。あーあ、楽しかったあ。ちょうどね、浅間神社に行ったら、出店やってた。ほら、買ってきちゃったわよ。美味しそうでしょう、食べよう!」

どうも帰ってきたのは、製鉄所の利用者たちであるらしい。何か、問題があって、家に居場所がなくて、来たんだと思うけど、それにしては、明るすぎるのではないかと由紀子は思うのだった。

「おかえんなさい。何買ってきたの?」

杉ちゃんが聞くと、

「ああ、チョコバナナ。寒い時期だったからさ、保冷剤は入れなくてもいいと思って、そのまま持ってきちゃった。ほら、みんなの分買ってきたから、みんなで食べよう。」

と、利用者は言った。

「そうか。チョコバナナか。今どきそんなものを売っているなんて珍しいなあ。よし、縁側で、日向ぼっこでもしながら食べるか。」

杉ちゃんたちは、縁側へ行ったようだ。由紀子は、咳き込むのが静かになってくれた、水穂さんを眺めながら、なんだか、そんな事をしている利用者たちは、鬼なのではないかと思った。

「ほら、でっかいサイズ。いただきます!」

と、彼女たちは、チョコバナナを食べているようだ。由紀子は、今度こそ腹を立てて、思い切って、ふすまを開けてしまった。

「ちょっと!」

由紀子は思わず言ってしまう。

「はあどうしたんだよ。由紀子さん。」

と、杉ちゃんがいうと、

「水穂さんの事を考えてあげてよ!水穂さんは、チョコバナナなんて、食べられないのよ!」

と、由紀子は急いでいった。

「そうなんですか?」

と、利用者たちはいう。

「知らなかったの?」

と、由紀子はいうが、利用者たちは、そんなこと知りませんでしたという、顔をして、由紀子を眺めた。

「水穂さんは、チョコレートは食べてはいけないって、ずっといわれているのよ、アレルギーで!」

由紀子はそう説明すると、

「そうなんですか。つまり、蕁麻疹ができたりとか、そういうことですかね。」

「でも、それは、あたしたちとは、関係ないことでもあるわよね。」

と、利用者たちは、そういう事を言っていた。まるで、自分とは、関係のないことだとでも言いたげだった。

「鬼!」

と、由紀子は言ってしまう。

「二人は、鬼よ!」

「でも、アレルギーって、大したことないと思うけど。そんなに、水穂さんには甚大な、ことなんでしょうか?」

と、利用者がそうきくと、

「まあ、いわなきゃというか、体験してみなきゃわからないよな。それに、誰かが病気なので、その人に考慮して、食べたいものを我慢するという精神があると言う人は、なかなか今はいないよねえ。」

と、杉ちゃんが言った。

「由紀子さんも、それについて怒ることはしなくて良いんだぜ。そういう世代性を生きるというのは、放置する事も大事なんだよ。」

そう言って、杉ちゃんは、チョコバナナをガブッと噛み付いた。

「なかなかうまいじゃないか。さすが、浅間神社で出している、チョコバナナだけあるわな。」

「じゃあ、あたしたちはどうしたら良いのかしら。由紀子さんに謝るの?」

利用者が、そう言うと、

「ああ、何もしないで、チョコバナナ食べればそれで良いんだよ。お前さんたちが、買ってきたのは、悪いことじゃないし、由紀子さんが、水穂さんに考慮してほしいということも悪いことじゃないからね。チョコバナナをすててしまうことが一番悪い。それはしないでしっかり食べろ。」

と言って、杉ちゃんは、チョコバナナをバクバク食べていた。そうよね、と言って、利用者二人もチョコバナナにかぶりついた。でも、それは、とても美味しそうという感じはしなかった。由紀子は、美味しそうねともいわなかったし、なんだか楽しみで買ってきたはずなのに、それでは、ぶっ壊されてしまったような、そういう顔をしていた。二人は、チョコバナナを急いで食べ終えると、ごめんなさいとだけ言って、急いで居室に戻っていった。

「一体どういうことなの。水穂さんのことを知らなかったなんて。」

と、由紀子はいうが、

「まあねえ。今の若いやつは、他人の事は興味ないからね。自分の事で、精一杯。そうなっちまうんじゃないの。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「でも、あの人達だって、水穂さんにさんざん話を聞いてもらったはずなのに。」

「まあ、そうだけどねえ。今は、御恩と奉公するのは、かっこ悪いという時代だからね。もう鎌倉時代は終わったよ。だから、もう無理だと思ったほうが良いな。」

杉ちゃんにいわれて、由紀子は、そうなのという顔をした。

「由紀子さんも年を取ったね。まあ、人間誰でも年は取るけどさ。僕も、水穂さんも、由紀子さんも。だから、そういう世代格差が起きても仕方ないの。まあ、それならそれで良いやと思うことが、一番大事なんじゃないの。」

そういわれて、由紀子は、なんで私が、そんな事、と思った。

「でも、水穂さんは、そういう事はできないわ。初詣に行って、チョコバナナ買ってくるなんて。できない人に、配慮するということも必要なのではないかしら。」

「さあ、それはどうかな。でも、悪いことばかりじゃないよ。誰でも、どこでも行ける時代になっているからね。由紀子さんが、水穂さんが初詣に行けなくて苦しいんだったら、水穂さんを初詣に連れて行くことだってできるんだ。僕だって、サービス介助士っていうの、それを雇えば、どこへでも行ける時代だよ。それを利用して、お前さんたちで行ってくればいいじゃないか。そうすれば、気が済むだろう。」

杉ちゃんにそういわれて、由紀子は、頭に来て、

「良いわ、やってあげる!」

と言ってしまったのだった。そして、急いで四畳半へ戻り、眠っていた、水穂さんの体を揺すって、目を覚まさせる。

「どう、、、したんですか?」

水穂さんがそうきくと、

「水穂さんも初詣に行きましょう!今は、そういう事もできる時代なのよ!」

と、由紀子は、興奮したまま言った。

「一体、どうしたんです?急に初詣に行こうだなんて。」

水穂さんは、そう言っているが、由紀子は、それを無視して、スマートフォンの検索欄に、病人が初詣に行くと打ち込んで検索してみる。確かに出てきた。杉ちゃんの言う通り、介護タクシーとか、そういうものがあって、水穂さんのような重い病気や障害のある人が、初詣に行ったという例が、結構載っているのだ。そこで由紀子は、その業者の一つに電話をかけてみた。1つ目の業者は応答がなかったが、2つ目の業者に電話を掛けると、はい、介護タクシー野中ですと女の人が応答している声が聞こえてきた。由紀子は、急いで、

「あの、初詣に行きたいんです。私、今西由紀子と申します。」

と、言った。すると、女の人は、

「いつ、初詣に行きたいんですか。行きたい人は、ご家族ですか?」

と聞いてきたので、由紀子は、これで契約を取り付けてやると思って、

「私の、大事な人です。彼をぜひ、初詣に連れていきたいと思っています。今日、今から、三日市浅間神社へ連れて行くことは、できますか?」

と、聞いた。

「わかりました。今日は、特に予定もありませんので、すぐにお伺いできますよ。ですが、数点だけ、お伺いしたいことがございます。まず、クライエントのお客様ですが、彼のということは、男性なんですね。」

と、電話応対の女の人は、そういう事を言った。

「ええ。そうです。私の、大事な人です。」

由紀子がそう言うと、

「わかりました。では、車椅子や、ストレッチャーなどのご用命はございますか?それとも自分で歩いていける方ですか?」

と女の人は言った。

「いえ、それが、何日も食事をしていないので、もうずっと寝たきりで、立ち上がるのは難しいのではないでしょうか。もちろん、私は、彼のそばにずっと付き添っていますけど。」

と、由紀子は急いでいった。

「わかりました。それでは、ストレッチャーを一台用意して、そちらに伺います。付き添いの方は、一名様としておけば、よろしいんですね。」

と、女の人は、そういう事を言った。

「はい、水穂さんと私と二人で行きます。」

由紀子がそう答えると、

「わかりました。お宅は、富士市内ですか?それとも、どこか他の街ですか?」

女の人は言った。

「はい、富士市の大渕というところです。」

と言って由紀子は、製鉄所の建物の姿形など、特徴を言った。女の人は、わかりました、わかりましたよと優しく言って、

「では、二人でお待ち下さい。こちらは、柳島なので、20分ほどで伺います。」

と言って、電話を切った。こうなったら、由紀子は、水穂さんを連れて行かないわけには行かなかった。由紀子は、水穂さんに銘仙の着物ではなく、別の着物に着替え直してほしいと思ったが、それは無理そうだったので、杉ちゃんに二重回しを借りて、それを水穂さんに着せて防寒した。銘仙の着物であることがバレてしまったら、もしかしたら、予約を取り消されてしまうのではないか、と不安に思った。

「こんにちは!介護タクシー野中です。今西由紀子さんのご用命で伺いました。」

と、明るくて元気な女の人の声がした。由紀子は、

「さあ、水穂さん行きましょう。」

と、水穂さんに言って、お願いします、と玄関先に言った。はい、わかりましたと言って、その元気な女の人は、四畳半にやってくる。

「随分大きな建物なんですね。このお部屋に入ってくるとき、とても驚きました。こんな大きな建物であって、迷ってしまいそうです。」

と、彼女は明るく言った。よく太った、あんこ体型の中年のおばさんである。美人はないけれど、優しそうな人であるのが、すぐわかる顔をしている。

「はじめまして。私、介護タクシー野中の、野中真苗と申します。真は真実の真、苗は、育苗の苗です。」

と、彼女はすぐに自己紹介をした。杉ちゃんが、急いで、

「ええ、僕は影山杉三だ、杉ちゃんって呼んでね。」

といつもどおりの自己紹介をしたが、由紀子たちは何も言えなかった。

「では、クライエントさんである、男性はどちらの方ですか?」

と、真苗さんが聞くと、杉ちゃんは、水穂さんと由紀子を顎で示した。そして、今西由紀子さんと、磯野水穂さんと紹介した。

「こちらのお二人なんですね。わかりました。では、これから業務に移らせていただきます。それでは、行きましょう。水穂さん。こちらのストレッチャーに上がることはできますか?」

と、真苗さんは、水穂さんに聞くと、水穂さんは、動けないと言った。わかりましたと言って、真苗さんは、水穂さんの体をヨイショと持ち上げ、よいしょとストレッチャーに乗せた。その時、二重回しの下から、銘仙の紺色の着物がチラリと見えたが、真苗さんは、そんな事を気にしなかった。由紀子は、どうしようと思ったけれど、真苗さんは、態度を変えなかった。

「では行きますよ。三日市浅間神社ですね。」

と、真苗さんは、水穂さんの体に毛布をかけてやり、ストレッチャーを動かし始めた。由紀子も彼女に着いていった。杉ちゃんは、頑張れようと言って、それを見送った。

真苗さんは、玄関から出て、水穂さんの乗ったストレッチャーを、ワゴン車の中に乗せた。由紀子は、助手席に座らされた。そして運転席に真苗さんが座って、さあ行きますよと言って、車を動かし始めた。

「いつもは、お出かけされないんですか?」

と、真苗さんは明るい声で言った。

「ええ。動かしてしまうのは、なんだか可哀想で。」

と、由紀子が言うと、

「そうでしょうか?」

と真苗さんが言う。

「そんな事ないと思いますよ。私はね、病気だからといって、部屋の中に閉じ込めておくのが一番かわいそうだと思うんです。だから、積極的に外へ連れて行ってあげたほうが良い。私は、それをお手伝いして差し上げたいんです。それで、この仕事を選びました。皆さん、重い病気であっても外に出られて嬉しいと言っています。せいぜい、サービスしますから、お二人も常連になってください。」

「そうですか、でも水穂さんは。」

と由紀子は言いたくなったが、

「ええ、そうかも知れません。でも、そういう事は、悲しまないであげることが、一番幸せなことだと思いますよ。彼にとっては。」

と、真苗さんはさらりといった。

「ええ。ですが、」

「そんな事、ありません。誰だって、出かける喜びは持っているのではないかと思います。どんな境遇の人だって、それは同じです。もう、過去がどうのとか、そういう事は考えなくても、良いのではないかと私は思います。」

「そうなんですね、、、。」

と、由紀子は、ちょっとうつむいてしまう。

「大丈夫ですよ。誰でも出かけることができますよ。そのためにも、どんどんお手伝いをする私達を、利用してくださいね。」

真苗さんはそう言って、車を止めた。

「はい、三日市浅間神社に到着いたしました。それでは、敷地内に入りましょう。大丈夫です。水穂さんは、私が背負って連れていきます。」

真苗さんは、急いで車を降り、水穂さんを背中に背負った。由紀子も、彼女に従って、車を降りた。水穂さんが、随分つらそうにしているのが、由紀子は、大丈夫かなと心配になったけれど、

「はい、行きますよ。じゃあまず、本殿に行って、お賽銭入れましょうね。大丈夫です。私、こう見えても力持ちです。」

と、真苗さんは、水穂さんを背負って、神社の敷地内に入った。由紀子も、神社の狭い石段を真苗さんと一緒に登っていく。確かに、両側には、出店が出ていて、いろんなものが売っていて、いろんな人が、買いに来ている。

「何か、食べたいものや、欲しいものはありますか?」

と、真苗さんが、由紀子に聞いた。由紀子はそれよりも、周りの人達の視線の冷たさに、怖くなってしまうのだ。なぜ、自分たちを見ているのだろう。だって、単に真苗さんの背中に乗って、参拝に来ているだけなのに。

「特にないですか?」

と、真苗さんに聞かれて、由紀子はとっさに、

「暖かい飲み物でも飲ませてやってくれませんか。」

と言った。真苗さんは、わかりましたと言って、近くにあった、茶店に入った。この茶店は、神社に来る観光客のために、通年営業している店で、出店とは違う。

「いらっしゃいませ。」

と、茶店の主人が、三人を出迎えた。もう、80を通り越してしまったような、そんなおじいさんだった。

「あの、コーヒーと、」

と、真苗さんが言うと、

「小麦とか、大豆アレルギーのある人にも食べられる、何か甘いものを。」

と、由紀子は、急いで言った。ご主人は、そんなものは作れないと断るのではないかと思ったが、

「はい、わかりました。お席に着いてお待ち下さい。」

と、おじいさんはにこやかにわらって、三人を、ソファー席に座らせた。

「じゃあ、水穂さん、椅子に座りましょう。」

と、真苗さんが、水穂さんを椅子に座らせる。由紀子はここでも、水穂さんの身分がバレてしまうのではないかと思ったが、それについて、言及する人はいなかった。由紀子たちは、店の窓から、楽しそうに参拝している、若い人たちを見た。由紀子は、そうしている若い人たちが、なんだか鬼のような気持ちになってしまった。

「はい、どうぞ。小麦や大豆を食べられない方だそうですね。では、そば粉でつくったケーキです。安心してどうぞ。」

と、おじいさんが持ってきてくれたのは、コーヒーと、そば粉でつくったという、ケーキであった。真苗さんはありがとうございますと言って、当然のようにそれを受け取った。

「受け取るのは当然なのよ。食べてはいけないという法律はどこにもないわ。水穂さんに工夫をしてくれたものを受け取るのは、当たり前なのよ。」

と言って、真苗さんは、そば粉のケーキを食べ始めた。水穂さんは、静かにいただきますと言って、食べはじめた。由紀子は、自分たちを眺めている若い人、正確には若い鬼を見ていたが、真苗さんに促されて、ケーキを食べた。ケーキは美味しかった。流石に、プロの料理人というだけあって、ちゃんとスポンジケーキと変わらないお味であった。

「さあ、コーヒーを飲んだら、本殿へ行きましょうね。お願いごとはなんですか?ここで聞いちゃうわけには行かないわね。」

と、真苗さんが、にこやかに笑って、水穂さんをまた背負った。由紀子は、コーヒーとケーキのお金をご主人に払って、丁重にお礼というと、

「いえ、大丈夫ですよ。」

とだけ言ってくれた。そしてまた、三人は本堂へ向かって石段を登り始めた。由紀子は、どうしても周りに居る若い人たちが気になった。なんで、こんなにジロジロ見るんだろう。対して手助けもできるわけじゃないのに、何故か水穂さんを見るのである。由紀子は、本当に腹が立ったけれど、真苗さんが、

「気にしないでいいわ。それが一番大事なのよ。」

と、にこやかに笑っていった。

「さあ、もうちょっと行けば、本殿に近づくわ。何をお願いするか、しっかり考えておいてよ。」

「そうね。」

由紀子は、周りに居る鬼たちを、退治できるように、願いたいと思った。



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