第8話 神崎有紗は不安がる

 俺の匂いをたっぷり嗅いだ朝比奈真礼は気恥ずかしそうに視線を外して、言う。


「あ、ありがとう……」

「……」


 彼女は、踵を返して、颯爽と歩く。その後ろ姿からは、以前のような哀愁漂う悲しさは感ぜられない。


「俺もそろそろいくか」


 朝比奈真礼の姿が完全に消えたことを確認してから、目立たぬように学校を出る。


 そしてぼーっとなって歩いていると、我が家が見えてきた。親は二人とも社畜なので、家にいないはずだが、電気がついている。はい。わかります。


「ただいま」

「あら、倫太郎、私を待たせるなんて、随分いい度胸しているじゃない」


 口は笑っているけど、目はマジだ。


「……俺だって色々あるんだよ」

「へえ、倫太郎の唯一の友達、野原くんもお父さんからの頼みで先に学校を出たはずだけど」

「まあ、それはそうだけど……」

「目立たなすぎる倫太郎に用事があるとすれば……うん……いくら頭を振り絞っても何も思いつかないわ。まさか……クラスの女子の椅子や机に付着した残り香をくんかくんか……」

「やるか!」

「……ふーん……じゃ、女子更衣室に潜り込んで……」

「いや、やってないって!それ犯罪行為だろうが!」

「そしたら、自分の体臭をわざとらしく匂わせて、女子を手篭めに……」

「もうお前、言ってることがめちゃくちゃだ!」

「ふんーまあ、宝くじに当たる確率より低いとは思うけれど、異性から告白でも受けたのかしら?」

「ぎくっ!」

「へ?」

「い、いや。ソンナコトナイヨ?」

「……異性から告白」

「ん!」

「異性」

「ん!!」

「告白」

「ん!!!」


 おい有紗よ、なんでそんな怖い目で俺をめつけてんの?


「まさか……」

 

 ものすごい形相の神崎有紗は、テクテクと、俺へと近づいてくる。


 そして


「すうー……やっぱり、この匂いは……朝比奈さん……」

「有紗、お前、もしかして犬なの?」

「朝比奈さんから告白を受けたの?」

「……ま、まあ……俺にもいよいよモテ期到来って感じかな。ははは」






「……いやだ……」

「え?」

「嫌……いやいやいやいやいやいや!倫太郎は絶対渡さない!」

「おい、俺はものかい?ていうか急にどうした!?」

「朝比奈さんには絶対譲らない……倫太郎……お願い私と付き合おう……」

「い、いや……有紗……態度違いすぎだろ。今まで俺を冴えない凡人扱いしておいて、急に付き合おうとか……」

「ごめんなさい。今まで隠してきて……」

「え?」

「私、実は、倫太郎のこと大好きなの」

「は、はい?い、いや……今までそんな素振り全然見せてなかっただろ?」

「それは……」

「それは?」

「倫太郎が小学生だった頃、久留米さんに告白したことあるね?」

「久留米……ああ、久留米瑠美か。懐かしい。まあ、結局断られたけどね」

「久留米さんは今の朝比奈さんのように一番かわいくて一番勉強ができてた」

「ああ、確かにそうだったよな」

「だから、私も……一番になれば、倫太郎を振り向かせることができるんじゃないかと思って……あの頃、私、地味だったから……だから気持ちを隠して死に物狂いで努力してきたの!なのに……朝比奈さんが掻っ攫うなんて」

「有紗……」


 なるほど。そういう経緯があったのか。今まで冷たい態度を取ってきた理由が垣間見える。


「倫太郎さえ良ければ……私はOKよ……い、いや……これだけじゃ足りないわ……いかないで……朝比奈さんと付き合うのは嫌!」


 不安がる神崎有紗。そんな彼女の頭に俺は優しく手をそっと乗せる。そして、濡羽色の柔らかい髪をなでなでする。


「まだ付き合うとか言ってないから」

「まだ……ね」

「まだっつーか、俺と朝比奈じゃ釣り合い取れないからな」

「それは知ってるわ」

「即答かよ。まあ、なんだ、朝比奈は朝比奈なりに事情があるみたいだからさ」

「事情?」

「有紗は、一位になろうとして物凄いストレスを受けてたよね?」

「う、うん」

「朝比奈は逆だ。一位であり続けることに凄まじいプレッシャーを感じているらしい」

「そ、そう?」

「ああ」

「全然そんなふうには見えなかったけれど……」

「そんな圧迫されている自分を隠すために、有紗にあんな態度で接したっぽいよ」

「……」

「とにかくだ!有紗!」

「はい!」

「朝比奈と仲直りして欲しい」

「え、ええええ?」


 俺の提案に、神崎有紗は呆気に取られた。それもそのはず。今まで散々ひどいことを言ってきた相手と和解せよと言われてもピンとこないだろう。むしろ当然の反応である。けれど、このままお互い仲違いしたまま卒業するのは忍び難い。それぞれ、事情があれど、きちんと本当の気持ちを言い合えることができれば、確執は生じまい。


 朝比奈真礼にはちゃんとプライドを捨て、神崎有紗に謝罪して、楽になってもらいたい。


 俺は凡人だ。だから余計なプライドを振りかざして、傷つくことはまずない。余計なお世話なのかもしれないし、自意識過剰と言われても致し方あるまい。


 けれど、この前、朝比奈真礼が浮かべた悲しい表情を見ると、やっぱり居ても立っても居られない。


「そ、そんなこと……できるわけ」

「ああ、俺、学校一の美少女と付き合っちゃおっかな〜」

「んんんんんんんん!倫太郎のくせに、生意気よ!ちょっとこっちきなさい!」

「お、おい!襟引っ張るな!どこへ行くつもりだ!?」


 


 神崎有紗は俺を部屋に連れていき、思いっきり俺の匂いを堪能した。俺はというと、甘えてくる彼女の頭をなでなでしながら甘やかした。親が帰ってくるまで。ていうか、ここ一応俺の家なんだけど……


 あ、もちろん、朝比奈真礼と仲直りするという俺の提案は引き受けてくれた。すごく納得のいかない顔で俺を睨んでいたけど。そんな有紗を見てちょっと可愛いなと思えてしまった。


 ははは





追記



 ははは

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