(二)宋の医王山

鎌倉館では実朝が京から戻った公暁こうぎょうと共に、源仲章から和歌の手ほどきを受けている。

公暁とは故・頼家の次男・善哉ぜんざいのこと、父が亡くなった時はまだ五歳であり実朝の猶子とされていた。園城寺で出家して十八となり、鎌倉に戻って鶴岡八幡の別当に

就任することになっている。

源仲章は院近臣の家に生まれて後鳥羽上皇に仕える。実朝が上皇との関係を深めると、上皇の命により鎌倉に下って実朝の侍読じとう(教育係)となっていた。


「院より大切な書類を預かってまいりました」

いつになく緊張した面持ちで仲章なかあきらが話を切り出した。一冊に綴じられた書類を実朝の前に置く。

「これは・・・」

「源氏や平家などの武家政権について、朝廷が文覚上人という高僧から聴取したものでございます」

実朝はざっと書類に目を通すと、

「何故に、これを私に・・・」

「恐れながら、いにしえより朝廷と武家が複雑な対立を繰り返してきたこと、今さら申すまでもございますまい。この調書は文覚上人が亡くなった時点、即ち先代・頼家様の

最後で終わっておりますが、昨今の鎌倉の動きを見て院は実朝様の身を案じておられまする。気を悪くされると困るのやが身辺には暮れ暮れも気を配るように、との仰せでございました」

「気を悪くすることなど・・・、上皇様のご厚情には感謝の言葉もございませぬ」

その夜、実朝と公暁は二人して遅くまでこの書類を読み込んだ。


一二一六年、実朝は陳和卿ちんなけいという宋の仏師と面会した。

陳和卿は、平家の焼き討ちにあった東大寺の大仏殿を修復するために宋から招聘されていた。勧進上人の重源に従って復興に尽力したが、東大寺の僧侶たちから讒言され十年前に後鳥羽上皇より追放の処分を受けてしまう。

鎌倉に赴いた陳は実朝に拝謁し、「貴方は昔、宋朝は医王山の長老であり、私はその門弟に列しておりました」と述べた。それは五年前に実朝が見た夢の中に現れた高僧の言葉と同じであったという。


その夜、実朝は源仲章と公暁を館に招いた。

「宋の医王山いおうぜんこそが我が前世の居所、と言うておった」

「それはまた突拍子もない話でございますな。仏師たちは宋に帰る船を失って鎮西に留め置かれていると聞いております。おそらくは我らをたばかって船を造らせ、一緒に宋に渡ろうと企てたのでございましょう」

二人が笑う。しかし実朝は沈痛な顔をしている。

「宋に行ってみたい」

実朝がポツリと呟いた。

「その陳和卿とやらは信ずるに値するやからなのでしょうか」

「前世など、どうでも良い。しかし現世から逃れるには、宋に渡るのが一番ではないか」

「・・・・・」

重苦しい沈黙の時が流れる。

「確かに、もはや鎌倉には我らの居所はございませんからな」

鎌倉に希望を失っていた三人の顔にうっすらと赤みが差してきた。


実朝は唐船からふねの建造を命じた。

「お待ちあれ。鎌倉に将軍が不在となってはまつりごとに支障が生じまする」

思い止まらせようと義時が説得にかかる。

「何を申す。其方そのほうがおれば、儂など用無しであろうが」

実朝が皮肉を込めて義時を睨む。

「おたわむれを・・・」

「前世の居所に拝することさえ妨げるとあらば、上皇様に申し上げて将軍職を返上

致すまでじゃ。それであれば政に支障は無かろう」

家格の低い北条としては、将軍あってこその執権である。渋々、義時は実朝の要請

を受け容れた。実朝は結城朝光を奉行に任じ、陳和卿の指揮の下、六十名あまりを

駆り出して船の建造を急がせる。

翌年、唐船は完成した。喜び勇んで由比の浜から海に向って曳かせるも、んぬるかな、船は浮かばずそのまま砂浜に朽ち損じてしまった。


この頃、実朝はひたすら位階の昇進を望んでいる。実朝は自らの後継として、後鳥羽上皇の第四皇子・冷泉宮頼仁れいぜいのみやよりひと親王を猶子に迎えようと考えていた。親王の母は実朝の御台所みだいどころとは姉妹である。実朝が昇進を急いだのもそのための下地造りであり、

後鳥羽上皇は実朝の求めるがままに官位を与えた。

しかし、親王将軍を後継に据えて宋に渡ろうとした実朝の願望は、唐船の損壊と共

に潰えてしまった。

吾妻鏡あづまかがみには唐船は仏師の失策と記されているが、渡航に反対する北条の手出しが

あったとも考えられよう。これ以後、仏師の消息も途絶えている。

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