(三)鶴岡八幡の闇

実朝は武士として初めて右大臣に任ぜられた。太政官の最高位である太政大臣はあくまでも栄誉職であり、左・右大臣こそが国家行政の最高責任者である。

建保七年(一二一九)一月二十七日、昇任を祝う鶴岡八幡宮拝賀の時を迎えた。

「いよいよ、この時がまいりましたな」

「抜かりはないか」

「準備万端、全て整ってございまする」

雪が二尺(約六十センチ)ほど積もる日であった。酉の刻(午後六時)、実朝は輿

に乗り、御家人たちに守られて社殿に向かう。

中門まで来たところで行進を止め、実朝は輿を降りた。武装した護衛は門外に残し、上皇から遣わされた公家たちと境内へと進む。

先導の太刀持ちは北条義時が務め、薄暗くなった中、続いて実朝が雪で滑らぬよう

ゆっくりと大石段を上っていく。公家たちは石段の下で見守っている。

やがて二人の影が拝殿の中に消えた。


神殿の前で、神主が二人を迎えた。

其方そなた、・・・」

義時が驚きの声を上げる。神主の衣装をまとっていたのは源仲章であった。

柱の陰から大男が姿を現わす。

「お久しゅう。公暁こうぎょうにござる」

義時が何か言おうとした時、公暁が強烈な当て身を喰らわした。この時、義時は還暦間近。公暁は二十歳を過ぎたばかり、勝負になるわけがない。義時は気を失ってその場に崩れ落ちた。

公暁は鶴岡八幡宮の別当となっていた。公暁がその職に就いたのは二年前のこと、

以後しばらく社殿に籠もったまま世上に姿を見せていない。しかし一年後に姿を現した公暁の頭には髪が伸びていたという。その間、公暁は博多に下って宋への渡航の準備を整えていたに違いない。

公暁が用意していた馬に乗って、三人は博多を目指した。


「随分と時間が掛かっておじゃるな」

石段の下で公家たちが騒ぎ始める。拝殿に上って既に一刻いっとき(二時間)ほどが経ち、辺りはすっかり暗い闇に包まれていた。

「大内殿はおるか。松明たいまつが入り用じゃ、急ぎ上がってまいられよ」

上から義時の呼ぶ声が聞こえてきた。大内惟義これよしは新羅三郎義光の流れを汲む源氏の門葉で、この時は義時の次位として拝賀に参列していた。

「何事にござる」

拝殿に上がった惟義は、ただならぬ気配を察して義時に問う。

「ご覧のとおりじゃ」

義時が渋い顔で堂の隅を指で差す。そこには実朝の衣装が脱ぎ捨てられてあった。

「右府さまは・・・」

「消えてしもうた」

二人は無言で顔を見合わせる。将軍が蒸発するなど幕府にあってはならぬ事である。やがて境内の清掃を担う奉公人が引き出されてきた。


しばらくの後、

「親の仇はかく討つぞ」

其方そのほう、公暁か」

突然、暗闇の中に大きな声が響き渡った。義時と惟義、示し合わせての狂言である。

石段の下では公家たちが慌てて御家人たちを呼びに走る。

「後はよしなに」

義時が姿を眩ました。

「公暁がいきなり現れて、右府さまに斬りかかった」

残された惟義が筋書きの通り、その時の状況を御家人たちに説明している。

横には実朝の衣装をまとった首の無い死体が転がっていた。


夜が明けて、事件の検証は北条の手で極秘に進められた。これに対し、有力御家人の三浦義村が疑義を呈する。

「右府さまが公暁に討たれたとは誠でござるか。首が見つかっておらぬようだが」

「ほぅ、聞き捨てなりませぬな。首が見つかっておらぬとは、どこでお知りになられたか」

「いや、噂を耳にしただけでござるよ」

「解せませぬな。首のことは調査を行った我ら以外は知らぬはずだが。そう言えば、三浦殿のお内儀は公暁の乳母でございましたな。もしや、彼奴をそそのかして・・・」

三浦義村の顔が青ざめる。将軍殺しの濡れ衣など着せられては、一族の滅亡は火を見るより明らかである。

「滅相もない。我らはこの事件とは何の関わりもござらぬ」

「さようか。ならば口は災いの元、以後、肝に銘じられよ」

この後、三浦一族は北条に痛くもない腹を探られて臣従を強いられ続ける。

更に、大内惟義も不審の死を遂げてしまった。事実を知る者の口封じであろうか。


この事件は「頼家の遺児・公卿が鎌倉八幡の境内にて親の仇と怨む実朝と義時を襲った。太刀持ちを務めていた義時は体調不良を訴えて源仲章にその役を譲っており、暗闇の中で公暁は誤って仲章も斬殺する。公暁は逃亡の途中で発見され三浦の手勢によって誅殺された」、と結論付けられた。

即ち、姿を消した三人を全て死んだことにして都合良く落着が謀られたのである。


政子と義時は、以前より話が進められていた親王の下向を急ぎ求めた。家格の低い

北条氏では将軍職を継承することなどできない。取りあえずは暗殺されたことにして後継を急がねば、御家人たちが源氏の傍流を担いで混乱を引き起こす恐れがある。

しかし後鳥羽上皇は親王の下向を白紙に戻した。そもそも親王の下向は実朝の後見があってこその約束である。次々と将軍を闇に葬るような野蛮な鎌倉へ、後ろ盾なくして親王を送るなど人質を取られるようなものだ。

やむなく幕府は九条道家の子で、前年に生まれたばかりの三寅みとらを将軍に迎えることとした。三寅は頼朝と近かった九条兼実の曾孫そうそんに当たる。鎌倉、いや執権として実権を握りたい北条にとっても神輿みこしは軽い方が都合が良かった。

ここに、名実ともに鎌倉から源氏の血が一掃された。この後、北条氏は執権として

百年を超える権勢を誇ることとなる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る