(三)曾我兄弟の仇討ち

一一八九年、奥州藤原氏を討滅とうめつし、後顧こうこうれいがなくなった頼朝はようやく上洛を果たした。翌年には権大納言・右近衛大将うこんえのだいしょうに任じられる。

建久三年(一一九二)三月、後白河法皇が崩御。同年七月、即位した後鳥羽天皇に

より、頼朝はようやく念願の『征夷大将軍せいいたいしょうぐん』に任ぜられた。


  ・・・・・ 四宮は「うつけ」と言われておったが、中継ぎとして即位してから

  四十年近くも権力の中心にあった。頼朝をして「天下一の大天狗」と言わせしめ

  た四宮であっても、齢には勝てんということだわな。

  右近衛大将とは王家の侍大将のことでな、四宮が頼朝を自らの支配下に置いてお

  きたいと考えてのことであった。頼朝は一旦はこれを受け入れたのだが、数日の

  うちにその職を辞して鎌倉に戻ってしまったのじゃ。東国にいては職責を全うで

  きないというのが表向きの理由ではあったが、実際には朝廷の組織に組み入れら

  れることを嫌ってのことであろうよ。

  頼朝が望んでいたのは大将軍の地位であった。大将軍とは令外官りょうげのかん、即ち律令に

  規定の無い官職なのだが、武家の棟梁を意味するものだったのでな。しかし四宮

  は言を左右にして最後までこれを認めなんだ。四宮が亡くなったことで頼朝は、

  後鳥羽天皇に大将軍の宣下を要請して、鎌倉に在っても全国の武士を統率できる

  名目を手にしたのじゃ。

  父・義朝が平家に敗れて三十年余り、名実ともに「武者の世」が訪れたと言って

  も過言ではなかろう。

  しかしここが頼朝の頂点とでも言うべきか、この後、少しずつ潮目が変わって

  ゆくのじゃ。


翌年、頼朝の征夷大将軍就任を祝い、富士の裾野に多くの御家人を集めて大規模な

巻狩りが行われた。巻狩りとは鹿や猪などが生息する狩場で獲物を射止める狩猟の

ことだが、それは軍事演習を兼ねた娯楽のようなものである。狩場を所領としていた

北条時政が準備を整え、五月初めから一ヶ月もの長期に及んで実施された。

その二十八日の夜、曽我兄弟が父の仇であった工藤祐経を討つという事件が起こる。


  ・・・・・ 工藤祐経すけつねは昔、平重盛に仕えていたが、上洛している間に本領の

  伊東庄を叔父の伊東祐親すけちかに占拠されてしまう。これに深い恨みを抱いた祐経は

  刺客を放ったのだが、その矢は祐親ではなく、隣にいた嫡男の河津祐泰すけやすを貫い

  てしまったのじゃ。

  残された祐泰の二人の息子は母が再嫁した曾我の里で苦労を重ねてな、兄の

  一萬丸は曽我の家督を継いで曾我十郎祐成すけなりと名乗った。弟の箱王丸は箱根権現

  社に稚児ちごとして預けられたのだが、出家を嫌がり縁者にあたる北条時政を頼っ

  て出奔しゅっぽん、元服して曾我五郎時致ときむねと名乗っておった。

  伊東祐親とは、かつて娘を巡って頼朝と対立した伊豆の豪族じゃ。やがて祐親

  は没落し、頼朝に従った工藤祐経は伊東庄に戻っておった。曽我の兄弟は富士

  の巻狩りでその祐経を見つけ、寝所を襲って仇討ちを果たしたというわけじゃ。


この時、祐経を討った兄・十郎が警護の宿侍と切り結んでいる隙をついて、弟の五郎が何故か頼朝の寝所までも襲った。十郎は駆け付けた仁田忠常に討たれ、五郎は頼朝の近習・五郎丸に取り押さえられた。

更には「事件に巻き込まれて頼朝が討たれた」との誤報が鎌倉まで伝わってくる。


  ・・・・・ さて、曾我兄弟の最大の支援者と言えば五郎の烏帽子親でもある

  北条時政だったのだが、この事件は何を意味しておるのだろうか。

  実は今回の巻狩りにはもう一つの大きな目的があった。それは頼家のお披露目

  じゃ。頼家が得意な弓の腕前を見せつけることで、将軍職の跡継ぎとして相応

  しいと御家人たちに認めさせるのが狙いじゃった。

  時政はこれを苦々しく思っておったようでな。あくまでも噂に過ぎんが、頼朝

  を暗殺した後、範頼が将軍職を継いで曽我兄弟は助命されるという筋書が立て

  られていたとも囁かれておった。


  頼朝が討たれたとの誤報が鎌倉に届いた時、嘆く政子に対して範頼が、

  「後には私が控えておりますので御心配めされますな」と慰めたそうじゃ。

  この言葉が後に謀叛の疑いを招いたとされておる。

  範頼はしばらくの後、伊豆へ流罪とされた。伊豆と言えば時政の領地、謀叛の

  証拠を隠すために範頼を幽閉したのかもしれん。頼朝の弟である範頼ほどの者

  を動かせるとすれば、それは時政ぐらいしかおらんだろうに。

  その後、範頼の消息はぷっつりと途絶えてしもうた。


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