第伍話 豚、冷蔵庫の奥に
第五回にして、〝ようやく〟というべきか〝もう〟と言うべきか。
真打ち登場である。トリを飾るという意味では早過ぎだが、出し惜しみはしまい。
──アーレ・キュイジ~ヌ! スペアリブの煮込み(by鹿賀丈史)
ようやくお肉、ガッツリ、こってり、とろとろ煮込み。ホットくクックの真髄であろう。
しかし、このチョイスはいささか悩んだ。
スペアリブは一般的に豚で、肋骨まわりの骨のついた肉を指す。なのだが、兄は豚肉が苦手なのだ。苦手な食材を、わかっていながら出すのは気が引ける。誰しも好き嫌いの一つや二つはある。兄も食事当番の際は私が苦手なグリーンカレーを食卓には並べない。お互い様だ。食材のひとつと(しかも肉の三大勢力のひとつ)、メニュー(しかもカレーの一種類)のひとつでは大分差があるような気がしないでもないが。まあ、いい。兄には冷凍してあったカレイのみりん干しでも焼いておこう。
さて、では、何パック買うか(パック換算しかできない子)、っていうかスーパーに普通にあるのかしら、買おうと思ったことがないからわからない・・・・・・
不安を覚えつつも、仕事帰りスーパーに立ち寄ってお肉コーナーにゆけば、いるいる、存在感のある肉塊が。
早速、手を伸ばして──総毛立つ。素早く身を引いて、間合いを取り直し、息を殺し、相対する。
・・・・・・こやつ、お高い!
お肉といったら、挽肉、鶏肉(モモ、ムネ)、切り落とし、それぐらいしか縁がない身。豚なのに(失礼)、いいお値段!
まあ、桁違いとかではなく、いつも買う肉魚パックの1.5倍ほど。でも今回兄は食べない。心中唸り、身構え、睨み合うこと数分。
ハぁっ──気合い一閃。私は
少々、好戦的になっていたかもしれない。
でもでも長時間煮るし、絶品になる(はずだ)し、父はよく食べるし。
我が家は大人三人。一日の食費としてはオーバーだが、たまには良かろう、これから先、しばらく豚肉はお預けとなるだろうし。
調理はいたって簡単。
スペアリブ、玉ねぎ、バルサミコ酢、しょうゆ、はちみつ、ケチャップ、にんにく、しょうがをすべて内鍋に入れて、〈まぜ技ユニット〉装着して、ボタンをピ。
苦難の末、慣れてきたのでセットはもうまごつかない、材料は勢揃い、バルサミコ酢の有無は数日前から調査済み、賞味期限切れてたけど許容範囲内、すべての作業が淀みなく川のように流れる。煮込み時間は人間とホットクックと具材と調味料の
ここまで来て、失敗があろうはずない。
一時間三十分の名演奏後、蓋を開ければ大量の湯気、幾重にも重ねられた白幕の向こうに、神々しい姿が垣間見える。うやうやしく掬い上げ、皿に載せ、味見という謁見を賜る。褐色のソースと黄金色の油が円環を描き、まるでスペアリブの豪奢な絨毯。箸でふれると、ほろりと身は骨から外れ、口に含めば、じゅわっと広がる肉汁と濃厚なソース・・・・・・美味。
大成功である。たくさん作ったがこれなら瞬殺。いや、コレステロールの摂り過ぎはいかん、数日に分けて食すべしと伝えねば。少々、口うるさいだろうか。
そして夕飯時、私は父から思いがけない告白をされる。
下血、痛みはないが明日病院行く、もう寝る、と。
・・・・・・そりゃ、大事だ。
翌日、仕事中にLINEにて父入院との報せが入る。連休合間の滑り込みセーフ。コロナのご時世によくできたものよ。
スペアリブの煮込みは大量に余った。豚肉の塊を食べ慣れていない身は、ほんの2つ、3つ食べただけで身体がだるくなる。残りは冷蔵庫へと入れた。翌日の夕飯にはレンジで温め直して食したが、味はいまいち、やはり出来たてには敵わない。油分がきつくて少し残してしまう。無論、兄は食べない。四月の末のことだ。
そして、今。冷蔵庫の奥深くにそれはまだ、ある。
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